第三章 羊の夢
(1)
「ふう……」
ちょっと調子に乗って飲み過ぎたかなー。わたしは、ぼやっと部屋の鍵を開けた。暗い部屋の中で、留守電ありのランプが点滅してる。またお母さんだろなあ。
わたしは、固定電話はほとんど使わない。お金のムダだから本当はスマホ一本で行きたいんだけど、そうすっと時間とか関係なくお母さんがスマホに電話をかけてきちゃうのが見え見え。だから、お母さんにはスマホの番号を教えてないんだよね。ママ対策のための家電て、どうよ?
部屋の灯りを点けて、留守録を再生する。ぴっ。
『メッセージを一件再生します』
機械的な女性の声の後で、うんざりするだみ声が響いてきた。
「あんたねえ! たまには連絡寄越しなさいよ! いいおはなし……」
ぶつ。力一杯ぶった切る。
また見合いの話かよ。今時、やっとハタチ越えたばっかの娘に毎日毎日縁談を迫る母親がどこにいるってんだよ、ったく! わたしが大財閥の一人娘で、事業拡大戦略に利用されてるとかならまだ分かるけどさ。どっこまでもびんぼーサラリーマンの娘じゃん。それも長女じゃないしぃ。ふつーは放っとくよねー。お母さんの度外れた結婚至上主義には、どうしても付いてけんわ。
大学の時と違って、今はこのアパートよりも実家の方が職場に近いんだけど、とても帰る気がしない。大学でのプレッシャーがなくなった今、お母さんのちょっかいが余計うっとうしい。まあ、とりま無視しとけばいいから、なんとかなるけど。
録音を消して、と。もう留守録設定すんの止めようかなー。そうすっと、本当の緊急時に困っちゃうもんな。はあ……。うんざり気分でスーツを脱ごうとして、ふと気付いた。
「う、くっさ」
さっき居酒屋でご飯食べた時に、服に料理やお酒の匂いが付いちゃってる。明日は、スーツをクリーニングに出さないとだめだ。格好がしっちゃかめっちゃかでも誰も何も言わなかった学生時代と違って、今はそういうところがめんどくさい。もっとも今のうちの社なら、わたしがどんなコスプレして出社したところで誰も何も言わないんだろうけどさ。一応、自分なりのけじめとして。
着替えを用意して、バスタブにお湯をたっぷり張って、お風呂の準備。入念に髪と体を洗ってから、試供品の入浴剤を入れたお湯にどぶんと浸かる。ふう、極楽やー。今度お給料が入ったら、バスボム買ってこようかなー。ガクセイの時には、とってもそんな余裕はなかったからなー。
わたしは、ゆったり手足を伸ばして目をつぶる。ずるんと体が滑って、顔が半分浴槽に沈む。ぶくぶくぶく。いかーん、眠くなって来た。風呂で溺れ死にしたら、しゃれにならない。もっとゆっくり浸かっていたかったけど、上がらなきゃ。
ささっとバスルームを洗っているうちに、鏡に写った自分の顔に目が行く。ちょっとはスキンケアしないとだめかなあ。ぬいほどじゃないにしても、わたしも自分磨きを熱心にする方じゃない。職場に同年代の女の子がいれば、いやでも自分の容姿を意識したんだろうけど、そういうプレッシャーが丸っきりない。それは気楽なんだけど、逆にそれに慣れちゃうと自分が世間からハズれても分かんなくて、かえって怖いのかもしれない。
大学の時もそうだったからなあ。入学してしばらくは典型的なじょしだいせーをエンジョイしてたけど、講座に張り付いてからはほとんど女捨ててたみたいな。何せトップがトップだったから。あのクソハゲ教授。横暴なんて言葉じゃ表し切れない、前時代の遺物ってか、祟り神だよ。女子大生をぼろっくそに罵ってから。脳みそあんのか? このバカ女ども! ちゃらちゃらしやがって、遊びに来てるんじゃないんだぞ! やる気がないならとっとと止めろ! バカ女! 女郎部屋じゃないんだ。女は目立つな、すっこんどれ! 女は偉そうに能書きたれるな。黙っとれ!
たまに言われるならともかく、毎日毎日顔を合わせばそれだもん。自分磨くどころか、磨り減らないようほっかむりするだけで精一杯だったよなー。二年間で、オトメ度が半分以下になったような気がする。
っくしょい! ううー、湯冷めしちゃう。早く出よ。
◇ ◇ ◇
「ぷはぁ!」
さすがに迎え酒する勇気はなくて。きんきんに冷やしたポカリを一気飲みする。
「くーっ! しみるぅ」
テレビのリモコンをぴっ! これといって見たい番組があるわけじゃないんだけど、家でまでのたくってると、そのうち本当にボけてしまうかもしれない。ニュースくらいは見とこう。
古いソファーにどすんと体を投げ出して、ぼんやりニュースを見る。まだ残ってるアルコールのせいか、それとも漠然と抱えちゃってる不安から目を逸らしたいからか。意識がテレビから離れて、ぱたぱたと空中に羽ばたきだす。
うーん。そうだなー。わたしの夢って、なんだったんだろう? なんだったんだ……ろう?
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