(2)

 いい子。悪い子。普通の子。


 わたしは、ずっと普通の子だったんじゃないかな。自分がそうしたかったわけじゃない。結果的にそういう第三者評価だっただけね。自分では控えてよう、引っ込んでようって思ったことはない。ないけど、だからと言って突出させるつもりもなかった。自分がいるところが埋まってしまいそうなら声を上げ、自分が丸見えになりそうならこそっと下がる。それだけ。


 わたし自身の生き方、考え方を変えようと思ったことは一度もなかった。偉そうに人に主張出来るようなものなんか何もなかったけど、だからって自分がダメ人間だとも思ってなかったしぃ。自然体。それがわたしのスタイルだった。


 自分にとって何が大事で、何を主張したくて、何を武器にするのか。まじめに考えた方がよかったんだろうけど、それは明日考えりゃいいじゃんつて、ずっと横に放ったらかしたまま過ごしてきたような気がする。

 それじゃいけないの? いや、わたしだけじゃない。みんな、わたしらくらいの年の子たちはほとんどそうなんじゃないのかな? え? みそもくそも一緒にするなって? はい、そうですね。ごめんなさい。


 うん、そやって謝っちゃう。最後に謝っちゃう。それだけは、昔から変わってないなー。


 わたしが謝っちゃうのはめんどくさいからだ。ああ、もういい! わたしのことなんだから放っといて! そう言いたいけど、言っちゃったらカドが立つでしょ? だから、とりま謝る。ごめんね、って。そのごめんは、相手に対して済まないと思って言ってるわけじゃない。のーさんきゅー。その略なんだよね。

 でもほとんどの人は、わたしがごめんねって言うと、その切っ先を目の前からどかしてくれる。ほんとは、がっちんがっちんやり合わないとダメなこともあるんだろうけど、わたしは上手に立ち回って来たってことね。


 あのクソハゲ教授との間でも、その手段は有効だった。わたしが済みませんって言って、教授の暴言を聞き流している限り、被害がそれ以上拡大することはなかったんだ。わたしが教授の言うことを聞かないのは、わたしが反発しているからじゃなくて、わたしに理解力がなくてぼけっぱーだから。そういう印象をたっぷり教授にインプットした。それは、まんまと当たった。

 教授はわたしのことを、この脳足りんのアホタレがって、ずっとそう思っていたんだろう。そしてわたしへの圧力をみりとぬいへ振り分けて、わたしには過激な鉄槌を振り下ろさなかった。教授の言う、今時のアタマの悪いへらへらジョシダイセイ。わたしは上手にそこに自分のイメージをはめ込んで、教授に納得させたってことね。

 でも……。わたしはバカを装って、クソハゲ教授の容赦ない暴言と横暴さからのらりくらりと逃げ回ったけど、本当は逃げたくなんかなかった。何も悪いことなんかしてないのに、ゴメンなんて言いたくなかった。だけど、それがわたしが使える唯一の武器。わたしに出来る唯一の対抗手段だった。


 吹き荒れる横暴な教授の嵐を、わたしはうまく乗り切れたんだと思う。って言うか、今までそう思ってた。そう思い込もうとしてた。違うよね。わたしは、大失敗しちゃったんだ。わたしは、嵐を乗り切るために自分の持ってた荷物を全部海に放り捨てしまった。ユメも。キボウも。レンアイも。何もかも。自分自身のちっぽけなアイデンティティまで含めて、何でもかんでも闇雲に。そして、教授の暴風圏を抜けてほっとした途端に、手にしてたオールまで捨てちゃってたことに気が付いた。

 うん。今、わたしが職場で抱えている漠然とした焦燥感。それが、まさにそうなんだろう。凪いだ海を望んだのはわたしだ。そして望んだ通りに、わたしはベタ凪の海面の上にぷかぷか浮かんでる。波はない。潮の流れもない。完全にベタ凪ぎ。そこでわたしがどこかを目指そうとするなら、自力で船を漕がないとならないんだ。でも……そのオールが、推進力がない。わたしでないとって言うものがない。好みも。こだわりも。得意技も。わたしを前向きに推進させる材料が。何一つない。


 わたしがサボってきた、わたしを作るってこと。そのツケが今いっぺんに出ちゃってる。誰かにそれを責められてるわけじゃない。自分自身にとって、とことんまずい状況なんだ。学部に上がってから自分を削ることで生き延びて来た弊害が、削る必要がなくなった途端に吹き出しちゃった。もう削れるところはどこにもないんだもん。

 元々なかった、わたしの夢。そして削っちゃった、わたしの心。わたしは。なんのためにこうして生きてんだろ? 自分を埃塗れにして放り出し、欠けたり壊れたりしたところをそのままにして。もう、自分がほんの少ししか残ってない。そして、それに焦ってる。なんとかしなきゃって焦ってる。


 わたしの夢。それはなんだろう? わたしは夢を見たい。せめて、わたしを招き入れてくれる理想郷を夢見たい。それが実現しないものであっても構わない。夢がぼんやり光っているだけでも、わたしにはそこに行こうとする推進力が生まれる。このままじゃヤバいよねって、自分の尻を叩ける。でも、明るい海面の上にぷかぷか浮かんでいるのに。わたしの夢はからっぽだ。


 わたしの夢。それは……なんだろう?

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