(3)

「ひゃっほーいっ!」


 ばたあん! アパートのドアを蹴破るみたいに開けて、だだだっと部屋になだれ込む。戦い済んで日が暮れて。今日はとこっとん充実していた。気分は最高! トートバッグやらコンビニの袋やら、手に持ってたものを床にぽいっと放り投げて。それから、服を脱ぎ散らかしてバスタオルを引っ掴んだ。


「汗、流そ!」


 ユニットバスに直行だ。体がすごく熱いのは、日焼けのせいだけじゃない。わたしがすごく興奮して、上気しているから。溢れんばかりにぼこぼこ湧き上がってくるアドレナリンを、汗と一緒に冷たいシャワーの水で洗い流す。


「ぷはあっ!」


 汗の匂いが消えて、ボディソープの匂いに入れ替わった。少し気持ちが落ち着いてきた途端に、お腹が派手にぐうっと鳴った。


「ああ、お腹が空いてたことさえ忘れてたなー」


 何かにすっごい集中している時って、そういうものなんだろう。シャワーはさっとでいいや。早くご飯を食べようっと。


◇ ◇ ◇


 怪我のリハビリ明けで、仕事のペースがまだ掴めてない。今は張り切り過ぎてオーバーペースになってるから、帰ってから何かする気力はもう残ってない。どうしても夕食はビニ弁ばっかになっちゃう。でも、社長は急かさない会社にするって言ったんだ。今は出っぱなしのわたしのアドレナリンも、そのうち少しずつ落ち着いてくるだろう。そうしたら、帰ってからご飯を作る余裕も出てくると思う。


 お弁当をレンチンして、ビニール包装をばりばり剥がして。冷蔵庫から缶ビールを出す。


「ああ、これが最後のビールだー」


 決戦の前に買い過ぎた五本の缶ビール。一連の事態にきちんとけりが付くまでは、思考をなまらせないようお酒に手を出さない。そう決めた。だからわたしが復職するまで、五本の缶ビールはずっと冷蔵庫の中で眠っていた。


 わたしがそれに手を付けたのは……。募集したアイデアをもとに開発された新商品が、初めてお菓子の形でテナントの売り場に並んだ時。冗談抜きに感動して、涙が出た。それは、わたしが初めてお給料をもらった分だけ仕事が出来たっていうこと。胸を張っていばれること。自分が本当に始動したってことを祝いたかったんだ。自分をいっぱい褒めてやりたかったんだ。


 新しい企画商品が一種類出荷される度に一本ずつ。わたしはビールを開けた。でもね、今日までの四商品はまだ仮免許だった。だって企画の元がサクラだもん。テナントで募集してから商品開発してたんじゃ生産ラインの確保が間に合わないから、水沢さんに頼んでベガ女の学生さんにコンセプトを説明して、アイデアを出してもらったの。

 覆面モニター事件でうちの社と接触した学生さんは、社の新しいビジネスモデルにすごく興味を持ってくれた。さすが経済学部の学生さんだなあと思う。学生さんは、お遊びではなく真剣にアイデアを出してくれた。それだけじゃなく、コンシューマーの立場からいろいろな提言をしてくれた。まとめ役の水沢さんの優秀さが際立ってたね。


 ただ……。わたしは、まだ自力で企画を仕切れなかった。学生さんとの打ち合わせの時には、これまで商品開発を担っていた社長が同席して、商品化までのプロセスを丁寧に指導してくれた。専門知識の乏しいわたしは、補佐がないと何も出来なかったんだ。企画担当なんて名ばかりだって言われないよう、必死に仕事を覚えて食らいついたけど、それでもわたしはぴよぴよだ。わたしが半人前のうちは、新方式はシミュレーションの域を出られなかったんだ。

 だから、アイデアが製品になっても手放しでは喜べなかった。これまで飲んだ四本のビールは、どこか苦かったんだよね。わたしは旗を取りに行ってる。旗にどんどん近付いてる。そういう実感はあったけど、まだ果たされてない。その……苦さ。


 でも、今日のは違う! 店頭募集のお客さんのアイデアを、初めて二人三脚で一気に新商品まで持って行った。社長に一切頼らずに、一か月足らずっていう最短の期日で、しかも仕上がりには一切妥協しなかった。

 難航したのは、商品化よりもお客さんのモチベーションを上げることだった。怖じけてすぐ腰が引けそうになるお客さんに、辛抱強く説明し続けた。これはわたしたちのお菓子じゃなく、あなたが考え出したあなたオリジナルのお菓子なんです。あなたの名前が付いて店頭に並ぶんですよ。それなのに中途半端に妥協しちゃっていいんですか? そう言って励まし続けた。お客さんと松重さんのところを気が遠くなるくらい行き来して、ものすごーく忙しかった。でも製品が出来上がるまでが、これまでで一番待ち遠しかったの。


 そして今日。果実がついに実った。それは、うちの社のビジネスモデルがいろんなしがらみから離陸して、鮮やかに大空へ飛び立った瞬間だったんだ。


 ごたごたの後。社員それぞれが自分自身をリセットした。わたしも、社長も、白田さんも、黒坂さんも、みんな。リセットの後、ばらばらのパーツはがっちり組み立てられて、新生高野森製菓は見違えるように生き生きと稼働し始めた。でもね、わたしたちはリセットの恩恵を受けられたのに、社だけがまだその成果を手にしてなかったんだ。みんなが熱望していた新しいビジネスモデルの果実。それが、とうとう今日産声を上げた。


 ぱきっ! プルタブを起こして、缶ビールを高々と掲げる。


「やったねっ! おめでとう!」


 社長は飲めないし宴会も嫌いだから、みんなで乾杯ってのは出来ないけどさ。でも、今夜はみんな祝杯を上げてると思う。


 きんきんに冷えたビールを、一気に喉に流し込む。ごっごっごっごっごっ!


「ぷはあっ! 効くうっ!」


 日焼けして火照った体に、ビールがじわっと染み通っていった。


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