(3)

 社長はふうっと一息ついて、それからわたしたちをもう一度ぐるっと見回した。


「会社の独立性を確保し、組織をコンパクトにし、既存社員との関係も組み直した。あとは、これから社がどうやって生き残って行くか、です。何野さんの指摘にあったように、この人数でこなせる限界以上に販路を広げてしまったこと。風呂敷を広げ過ぎたことを是正して行かないと、結局パンクしてしまいます」


 会社のパンクよりも先に、人が負荷に耐えられなくてパンクすると思う。何より社長自身が、そのしんどさを思い知っただろう。じゃあどうするか、だよね。わたしは、集中して社長の話の続きを待った。


「怪我で出社出来ない何野さんにはご参加いただけませんでしたが、残りの三人で何度もミーティングを行い、顧客参加型の商品開発と多種少数時限展開という、他社にはない形のビジネスモデルを試すことにしました」


 ふむふむ。


「そのアイデアを我が社と取引のあった松重製菓さんにプレゼンし、試作品の覆面モニター代行と引き換えに、生産の大半を松重製菓さんに委託させていただけることになりました。松重製菓さんのところには、稼働率が下がっている小型の製菓ラインがいくつかあり、それは試作品の生産にしか使われていません。どうせ試作品を作るなら、それをわたしどもを通して売ってみませんか? そう持って行ったんです」


 なるほど、そういうことだったのか! 白田さんが電話で説明してくれたことの具体策がきっちり示されて、わたしは深く納得する。


「一個作るのも、千個作るのも、機械のランニングコストは同じ。しかも市場に出せない試作品は、どんなに作ったところで一円にもなりません。生産するだけ費用が持ち出しになってしまいます。うちの名前で売れば試作を大規模に出来ますし、うちが機械のランニングコストを持ちますから、松重さんは経費を削減出来ます。しかも、うちを通してモニター情報がタダで手に入ります」


 社長は、背広のポケットから商品を一つつまみ出し、その品名を指差した。


「ネックは特許やパテントです。でも、うちでは商品としての有効期限をとても短く設定しています。小ロットで作って、さっさと売り切ってしまう。再販しない。希少性を売りにするんです。ですから、当社ではそうした権利関係には一切こだわりません。必要であれば松重製菓がパテント等を取得して権利を保持するという契約にしてあります。うちが自社で開発し、定番として売るものだけ商標登録と製法特許を申請する。それ以外は一切権利関係にこだわらない。そうしないと手間ばかり増えて、お客さんからの受注生産がてきぱきこなせないんです」


 確かにその通りだ。


「作って売り切る。それは生ものである和菓子の発想ですね」


 なーるほどなー。社長は、穂蓉堂での経験まで無駄なく応用してる。さすがだー。


「ビジネスモデルのブラッシュアップや松重さんとの交渉に際しては、黒坂さんに全面的にお知恵を拝借しました。この場を借りて、あつくお礼申し上げます」


 相変わらず腰が低い社長。社員に対してその言い方はあかんでしょ。くす。


「御影不動産とのテナント交渉の方は、白田さんに何度もお手伝いいただきました。本当にありがとうございます」


 ぺこり。


「そして、テナントでの展開には、事前宣伝がどうしても必要になります。そこは、アルバイトで来てくださっていた御影真佐美さんに、級友への口コミという形でご協力いただきました。白田さんを通じて、彼女にも謝意を表明してあります」


 ふむ。いかに誤解が影響していたにせよ。白田さんや御影さんがしでかした一連のアクションは、しゃれや冗談では済まされない。特に、うちの社外の人を巻き込んだ覆面モニターの騒動は、うちの社を倒産させてしまう恐れがあったんだ。社長のちょんぼで一部を相殺するにしても、無罪放免には出来ない。白田さんが顔も見たくないであろう、御影不動産の社員とのやり取り。社長は、交渉に白田さんを同席させることで懲罰に代えたんだろうな。

 御影さんもそうだ。部外者が不用意に社に刺さり込んだことで、事態がこじれた。悪意はないにしても、それが社に及ぼした悪影響を見過ごすことは出来ない。引っ込み思案の御影さんを口コミの発信者にすることは、お願いではなく懲罰に近いと思う。白田さんと御影さんの責任問題は、それでちゃらにしたってことか。


 それでも。社長のセッティングによって、白田さんには踏ん切りを、御影さんには積極性を、それぞれプレゼント出来る。社長の下した処分は寛大で、白田さんたちには十分許容範囲内だろう。ごたごたに、うまいこと前向きなオチがついたんだ。よかったー。本当にほっとした。


「そして、本日。何野さんが職務復帰されました」

「ちょっと待ってください!」


 わたしは、そこで話を止めた。


「社長。わたしが辞めると口に出したことは、決してその場の勢いではありません。社長が、わたしのポジションをずいぶん前から考えていたように、わたしが首をかけてあの場でぶちかましたことにも論拠と準備期間があります。わたしがあの時に強く訴えたかったことは、三点です。社長のリーダーシップ発揮。社員間のコミュニケーション深化。そして、この社のビジョンの明確化です」

「うん」

「社長が白田さんと黒坂さんと一緒にプランを練り、今きちんと説明してくださっていること。そして、それがすでに社長の手によって実行に移されていること。その二つの事実から、わたしが懸念していた最初の二つは、もう心配していません。ですが、以前社長がわたしに『夢』とおっしゃったこと。その中身が、今のお話からはまだ見えてこないんです」


 何を目指すのか。何を菓子作りのポリシーにするのか。本当は、社長が真っ先にわたしたちに説明すべきことだと思う。でも、社長の戦略は見えても目指すものが見えない。今もまだね。それが、わたしが入社してからずっと感じていた、ものすごく強い違和感なの。そこを解消出来ない限り、また同じ騒動が起こるよ。


 わたしのど真ん中の指摘に、社長が納得顔で頷いた。


「何野さんは、それが明らかにならないと復職には応じない。それでいい?」

「はい。ずばり、その通りです」

「うん。それは当然だよね」


 こほん。社長が小さく咳払いした。それから……。


「長期目標を置かない。それが我が社のビジョンです」


 なんですとーっ? 絶句して、口がぱかっと開いちゃった。


「わははっ。びっくりした?」

「……てか」

「それは、最初の失敗の反省からです」

「失敗、ですか?」

「会社の存続ありきで、そこに僕の夢を置く場所がなくなってしまった」

「あ!」

「だから、窒息したんだよね。でも、僕はまだ自力でそれを考えられない。僕に、まだそこまでの中身はないの。だから、夢は当分人からもらうことにします。その実現方法をいろいろ考える。そのプロセスをビジネスにして、同時に僕はそれを楽しむ。仕事に推進力を持たせるためには、僕が楽しくないと。楽しくないと夢なんか出てきません」


 ああ、そうか。わたしは前に、お姉ちゃんに夢のことを聞いたよね。その時に、夢はないって言われたのがすっごいショックだったんだ。でも、考えてみれば当然だった。自発的に、やりたい実現させたいっていうものがない時に、夢なんか出て来ようがない。

 お姉ちゃんがそのうち出来るって行ったのは、ウソじゃない。お姉ちゃんほどの馬力があれば、夢が出来た途端にそっちにぶっ飛んでしまうんだ。一度動き出したら軌道修正が難しくなる。だから、きちんと方針と決意が定まるまではあえて空にしておく。そういうことだったんだ。


 社長のもきっとそうなんだろう。中途半端な夢を見るために自分を削るんじゃなく。最初の夢は人の借り物でもいいから、自分を無理なく駆動出来る、自分の中身を作れるビジネスモデルを考える。それを実現させることで、しっかり夢を見られる余裕を作ろうとしてるんだ。


「だから、僕はずっと先には目標を置きません。今の陣容でどういう楽しいことが無理なく出来るか。それを考えて、まずやってみて。出来たなら、次はそれをちょっとだけ膨らませる。そういうスタイルの実現を、僕とこの社の当面の夢にします」

「おっけーっす!」


 ほっとしたように、社長が小さく肩を揺すった。


「じゃあ、復職に同意するってことでいい?」

「はい! ご迷惑をおかけしました。また、お世話になります!」


 ぺこ。


 ぱちぱちぱちぱちぱちっ! 拍手の音が聞こえて、わたしはまた涙腺が緩んだ。ひっく。


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