(2)

 社長が、ぐるっとわたしたちを見渡して発声した。


「おはようございます!」

「おはようございます」

「本日の僕の話は少し長くなるので、どうぞみなさんお掛けください」


 ばたばたと、みんな自分の椅子を確保して腰を下ろした。


「みなさんご存知のように、我が社は今、激動の時期を迎えています。当社設立以来、これまで二年間ずっと守ってきた生産、販売のシステムをがらっと変更したからです。そして、どうしてもそうしなければならない理由がありました」


 社長は、じっとわたしを見た。


「当社の設立に当たっては、御影不動産の営業部の方々に多大なご協力を賜りました。それは、白田さん、黒坂さんがここにおられることで分かると思います。何野さんの解析の通りです」


 社長は、『ようちゃん』と呼ばずに『何野さん』と言った。わたしは、思わずぴしっと背筋が伸びた。


「白田さん、黒坂さんの意識はともかく。僕の意識の中ではお二人は顧問。社員ではありませんでした。もちろん、この度退社された出木さんもそうです。何野さんは、この社には五人しかいないと言いましたが、違います。この社には、僕しか。僕一人しかいなかったんですよ。何野さんを採用するまでは」


 一人。ワンマンアーミー、か。そのまんま、わたしのシチュじゃん。


「もちろん、白田さんも黒坂さんもとても優秀な方です。右も左も分からない僕をしっかりと支えて社の基盤を作り、業績を上げてくれました。僕は、お二人には足を向けて寝られません」


 社長が、二人に向かって丁寧なお辞儀をする。


「でもね、お二人が顧問である限り、僕はお二人を指揮出来ないんです。顧問はあくまでもアドバイザーであり、社員としての責務を負わされないからです。それは、雇用契約がどうであるかとは全く別の話。僕の意識の中での位置付けです。ですから、僕はお二人にそれぞれの持ち場を任せるしかなかった。あとは……僕一人だったんです」


 社長が、ぴっとわたしを指差した。


「何野さんが指摘した通りです。僕は逃げたかったんですよ。何もかも一人でやることに疲れて。それで何野さんに入社してもらうことにしました。あとは、ほとんどあの時の何野さんの報告の通りです。僕が何も実状を話さなかったのに、自力で情報を集めて推理を働かせて、ほぼ正解を出した。何野さんはものすごく優秀です。考えるだけじゃなくて、行動すること。その点においてもね。黒坂さんの言い方じゃないですけど、我が社は何野さんにとって本当に役不足でしょう」


 うーん……。


「でも。何野さんの推論には一つだけ大きな間違いが含まれていました」


 ん? なんだろう?


「僕はね、優しくありません」


 社長が、きっぱりと言い切った。


「優しい人というのは、いついかなる時も自分を人に分け与えられる強さと余裕のある人のことです。僕は自分を切り崩して、人に分け与えようと思ったことはありません。それは、何野さんの買いかぶりです」


 社長の視線がわたしの視線とぶつかって、かちっと小さな衝突音を響かせた。それは感情衝突ではなく、ファクトとファクトの衝突。当然あってしかるべきものだもん。わたしはそれは苦にならない。社長は、わたしが一方的に作り上げた虚像を否定したいんだろう。もちろん、おーけーです。


 わたしが小さく頷いたのを確かめた社長は、早口で続きを話した。


「自分が生き残るために、自分が使えるものを全て使う。それは優しさ前提ではありません。生存戦略の一つとして優しさってのがある。そう考えて欲しい。僕の養親との関係、御影不動産との関係。それぞれを良好に保つことが、もっとも出口に近い。僕が生き残るための出口に近い。それだけなんです」


 そうだよね。了解です。


「もし僕が本当に優しい人間だったら、何野さんに理不尽な役目を押し付けるはずがありません。何野さんが激怒したように、あれは純然たる僕のわがまま。エゴです。僕の蛮行で何野さんが被った不利益については、何度でも謝罪するしかありません。本当に申し訳ない!」


 社長がわたしに向かって、深々と頭を下げた。その謝罪のほんの一部でもいいから、あの時に言って欲しかったな。でも、社長がもうパンク寸前だったとすれば、仕方なかったのかもしれない。ふう……。


「でも、何野さんがまとめてくれたレポートは、とてもよく出来ていました。それを無駄にしたら、何野さんが怪我をしてまで提言してくれたことが意味を失ってしまいます。ですので何野さんがご自身をリセットされたように、僕も自分をリセットすることにしました。自分の性格や根性を、ではありません。それを変えたら、僕でなくなりますから。そうじゃなく、ビジネスのスタイルを、です」


 社長が、わたしたちをぐるっと見回す。


「これまでのスタイルに合わせて人を探すんじゃなく、今の人材で何が出来るかを考える。手持ちの人的資源からビジネススタイルを組み直す。そう、発想を変えることにしたんです。そのためには、どうしても一度全ての関係を解除して原点に戻す必要があります。でも、会社を解散させて再度組み直すのは、あまりにリスクが大き過ぎます。僕にはまだ社会的な信用がありませんし、金銭的にも困難ですから」


 そりゃそうだ。ゼロからじゃ無理だよね。


「ですので、少なくとも立場だけは中立に戻したい。御影不動産の営業担当の方には、穂蓉堂の移転とセットということで、それを了承していただきました。同時に、御影不動産の方で御影テラス弐号館に確保してくださっていたテナントスペースの利用権も、お返しすることにしました。それは、必ず自力で取りに行くから。そう言ってね」


 なるほど……それは思い切ったなあ。


「当社の社屋や工場スペースも、身の丈にあった形でこの度縮小しました。この事務所は超訳ありの事故物件。古い上に、以前暴力団の組事務所として使われていたので、借り手が誰もいなかったんです。それを格安で借りました」


 どてっ。そ、そういうことかあ。それで最初から中が事務所っぽい作りだったんだ。……防弾仕様だったりして。


「ここの隣にある工場も、倒産したメーカーの倉庫を格安で借りて、それにちょっと手を入れただけです。インフラが身軽になったところで、白田さんと黒坂さんには、顧問としてではなく、一社員として協力していただけるかどうかを改めて打診させていただきました。僕は……」


 社長が、ほっとしたように笑った。


「お二人がいいよって言ってくださって、本当に嬉しかったです」


 白田さんと黒坂さんが、にやにや笑いながら会釈でそれに応えた。


「そこでやっと、我が社は四人になったんです」

「社長!」


 今のうちに聞いておこう。


「その方針転換は、出木さんにも説明されたんですか?」


 すぐに答えが返ってきた。


「もちろんです。でも、出木さんは僕の誘いを即座に拒否しました」

「ああ、俺に指図するなって言ったんですよね?」


 社長が、どうしようもないと言わんばかりに苦笑した。


「そうです。それでは、僕が社をまとめることが出来なくなります。我が社の功労者である出木さんを切りたくはありませんでしたが、解雇の手続きをさせていただきました」


 どんなに難ありだって言っても、社長は最後まで出木さんを立てようとしたんだろう。その社長の気遣いが、じーさんにはこれっぽっちも見えなかったってことか。あの偏屈じーさんのことだから、捨て台詞がすごかっただろなあ。

 でも。なんか悲しいね。出木さんを誰からも嫌がられるような性格にしてしまった背景が、きっと何かあるんだろう。もし、わたしたちにそれをうかがい知るチャンスがあれば、少しは帰結が違っていたかもしれない。寂しい王様……かあ。


 出木さんを除いて四人。じゃあ、社長の言う四人の中にはわたしも入っていたってことか。


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