(4)
社長は、そこで初めてこれまでの呼び方を使った。
「ようちゃん、ごめんね。いろいろ迷惑かけて」
「い……え」
「ようちゃんの休職。その原因を作ったのは僕だ。規定上、休職中の給料は支払えないので、代わりに見舞金という形でその間の収入を補償します。そのお金は僕の俸給で相殺します」
「!」
「見舞金の中には治療費も含めるので、後で領収書をまとめて白田さんに渡しておいてください」
「あの、いいんですか?」
社長が、思い切り情けない顔になった。
「今回のことで、ようちゃんだけでなく、白田さんや黒坂さんにもすっごい迷惑をかけることになっちゃった。僕のは、とんでもない背信行為なんだよね。その責任は取ります。僕の六、七、八月分の俸給は自主返納し、それをようちゃんの保障と白田さん、黒坂さんへの一時金支払いという形に振り替えます。それで……どうか勘弁してください」
社長が、深々と頭を下げた。
うん。カネさえ払えばいいだろってことじゃない。社長には、それしか償う方法がなかったんだ。わたしも、もういいかな。せっかく復職するなら、これまでのことにはすっきりけりを付けたい。
「分かりました。正直、すっごい助かります」
社長は、ほっとしたように顔を上げた。
「でも、社長」
「うん?」
「わたしの仕事は、なくなりましたよね?」
「もちろん、新しい職務に赴いてもらいます」
わたしは、思わず小躍りしちゃった。
「わいっ!」
「大変だよ?」
「絶対クレ担より楽ですよっ!」
わはははははっ! 白田さんと黒坂さんが、腹を抱えて大笑いしてる。わたしは、まだ思い切り笑えないかな。びっしりと書き込みされた一枚の紙を見ながら、社長がわたしへの説明を続けた。
「業務の振り分けについても、白田さん、黒坂さんと何度も話し合いを重ねました。
その中で、今こちらに来ていただいてる前田さんに主任を引き受けてもらうプランが出ました」
「わたしに務まるかしら」
不安そうに首を傾げるおばちゃん。社長は、それにさらっと答えた。
「仕事の中身は大きく変わりません。でも、新しいパートさんの指南役はどうしても必要なので」
「はい。がんばります!」
おばちゃんが、丸顔をほころばせてガッツポーズを見せた。明るい、ちゃきちゃきの人みたいね。うん。これで、工場の雰囲気ががらっと変わるだろうなあ。
「そして、僕と白田さん、黒坂さん、ようちゃんでどう仕事を割り振るか。それも、ようちゃんの指摘にあったように、ばらばらにしないで有機性を持たさないとならない」
「はい!」
「ということで、それぞれの仕事を相互に補えるよう、出来る限りお互いの仕事を覚えようということにしました」
あ、それで黒坂さんが電卓叩いてたんだ。
「当然、ようちゃんにも僕らの仕事の中身を一通り覚えてもらいます」
「むー。そうすると、わたしはスーパーサブみたいな役割になるんですか?」
「いや、ようちゃんにも専門職を割り当てます」
おおっ! 思わず身を乗り出しちゃった。なんだろう? 社長はどんな仕事を考えたんだろう? わくわくする!
「クレーム担当の仕事は、クレーム処理でしょ?」
「はい」
「電話での応対を通じて、お客さんがうちの社に持っちゃったマイナスイメージを解消するのが役目だよね?」
「そうですね」
「でも、これからはお客様の提案を具体化する、プラスをどんどん引き出す作業が要るの。お客さんとのやり取りの方向が、前とはまるっきり違うんだ」
「うわ……」
「ようちゃんには、企画担当という肩書きが付きます」
ひええっ! キカクタントウ! なんか、一気に偉くなった気がする。気だけね。お給料変わらんだろうし。社長は、にこりともせず真顔で説明を続けた。
「それはね。どうしてもようちゃんじゃないと出来ないんですよ」
「え? どうしてですか?」
「テナントにしても、他のアンテナサイトにしても、商品開発に応募してくるのは若い女の子が主体になるからです」
「あっ!」
「でしょ?」
「そっかあ……」
「同時代性っていうのはとっても大事なんです。雑談からアイデアを切り出す作業が、友達感覚でスムーズに出来るからね」
社長がわたしをぴっと指差した。
「新しいやり方は、旬が短いの。さっと作って、わっと広げて、ぱっと売り切ってしまわないといけない。ぐずぐずしてられないの」
「ですよね」
「企画には、鋭い嗅覚と瞬発力が要るんです」
うおーーっしゃあああっ! がっつり気合いが入った。
「それとね、トレンドを掴む情報収集力、お客さんの意欲を引き出す話術、商品化に向けて機転を効かせる柔軟性、ピーアール作戦の立案、ネット活用の模索。いろんな能力が求められるますよ。出来ますか?」
ふふん。挑発してきたな。僕は優しくない、か。そらそうだよな。社長が優しい人だと思った時点で、わたしに緩みが出る。社長なら許してくれる、認めてくれる。そういう緩み。そんなの、仕事には何の役にも立たない。理不尽なのは困るけど、理屈がちゃんと通るなら、ケツにいるのが恐い鬼軍曹の方がやる気が出る。
「やるに決まってるっす!」
「わはは! 頼もしいね」
うん。わたしがもし大学を出たばかりの時に、社長から今の役を振られたら。わたしは受けられなかったかもしれない。そんなの、わたしには無理。出来ないよう。尻込みして、逃げたかもしれない。だってクレ担と違って、マニュアルも何もないんだもん。でも、自分がどこにいるかも分からない途方に暮れた状態から出発して、激戦をくぐり抜けて生き残ったのは伊達じゃないよ。あれに比べたら、これからの戦闘ははるかに楽。
なんたって、目指す旗の色が違うから。今度はぺっかぺかの金色だよ? そらあ、やりますがな!
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