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「社長! あの時わたしが爆発しなかったのは、単にとまどっていたからです。何が起こるか全く想像出来なかった。不安感はあったけど、まだ何も実害がなかったから。あったのは出て行けという電話一本だけ。まあ、なんとかなるだろうと気楽に考えてた。でも、その直後から事態がどどどっと動き出しました」


 ぎっ! 社長を睨み付ける。


「月曜には一発だけだった出て行けおじさんの脅迫。それが火曜日の午前中に、いきなり連呼になりました。二十回以上! 間隔開けずに二十回以上! 出て行け! 出て行け! とっとと出て行け! そればっか! どの電話もわたしが対応する前に切れてしまうので、探りが入れられません」

「なんじゃそりゃ……」


 黒坂さんが呆れてる。そう、ばかばかしいの。でも解析しろっていう社長命令がある以上、イタ電だからって割り切れないんだ。


「相手にして、引っ張って、発信者の情報を得たかったんですが、罵倒を聞かされるだけじゃ情報ゼロです。公衆電話とおぼしき非通知の電話でしたから、非通知受信拒否で対応せざるを得ませんでした。奇妙なのは、出て行けの対象が誰なのか、何なのか分からないことです。わたしがちっぽけな脳みそをぐるぐる動かして、それをうんうん考えているうちに。すぐ次の攻撃が来ました」


 みんな、分かってて黙ってるわけじゃない。知らないことが混じってて、表情に不安が浮かんでる。


「出て行けおじさんは、公衆電話が使えなくなったことを悟るまで次の攻撃に出られない。わたしは撃退出来たことにほっとして、油断しました。うっかり地雷を踏ん付けてしまったんです。白田さんの仕掛けた物騒な地雷を、ね」


 社長と黒坂さんが、白田さんをじっと睨む。


「それまで、白田さんがわたしに敵対的な行動、言動を示したことは一度もありません。わたしは、白田さんが穏やかで誠実な方だと思っていました。信用していたんです。その白田さんが、いきなりわたしに向かって牙を剥いたんですよ」

「ようちゃん、何があったんだ?」


 黒坂さんに聞かれて、一度深呼吸する。ふうううううっ。


「地雷を踏んだ時に、それを社長に報告するかどうかをずいぶん迷ったんです。でも、わたしは白田さんからとんでもない攻撃があったことを伏せることにしました」

「なぜだい?」

「何が行われたのか、わたしが証明出来ないからです。ここには普段、わたしと白田さんしかいないんです。そこで何かあって、わたしがその被害を訴えたところで、白田さんが知らない、やってないと言えばそれまでです。わたしは入社したてのぺーぺー。白田さんは実質うちの社を切り盛りしている最重要人物。社長も黒坂さんも、どっちの言い分を信用します?」


 二人とも黙っちゃった。でしょ?


「白田さんの仕掛けた罠。地雷。とても巧妙なものでした。事務室には鍵がかかっていて、わたしはすぐには部屋に入れないようになっていた。そして、事務室の中でとんでもない物音がしていた」

「はあ?」


 社長と黒坂さんが顔を見合わせた。


「オフィスファックの物音ですよ。でかいあへ声が聞こえよがしに!」


 ずるん! 社長と黒坂さんが、椅子から派手にずり落ちた。白田さんは真っ赤になってる。


「でもね、実際にそんな不謹慎な行為が行われるはずはない! そんなの絶対にありえないですっ!」

「な、なぜ?」


 社長が慌てふためいてる。


「もし、わたしじゃなくて業者さんとか黒坂さんが異常に気付いたら、どうなります?」

「あっ!」

「白田さんの作戦は、とんでもない物音でわたしを混乱させ、騒がせること。わたしに対する社長や黒坂さんの信用を失わせるのが目的です」

「じゃあ……」

「事務室の中に流れていたのは音だけ。エロ音声をスマホから流したんでしょ?」


 白田さんを、ぎぎっと睨みつける。


「もちろん、わたしはものすごく驚きましたし、白田さんが犯罪に巻き込まれたんじゃないかって心配もしました。でも騒ぐ物音もしないし、その後に人の出入りとか、戸や窓を開け締めする音とか、一切聞こえてこない。わたしはその時点で、白田さんの策が読めたんです」


 出来上がっちゃったイメージってのは本当に怖い。わたしも、推論を立て始めた時に先入観に散々振り回されたから、よーく分かる。ましてや、ぷっつん状態だった白田さんには、わたしの背景を冷静に読む余裕はなかっただろう。ついでだ。今のうちに、わたしの虚像を完全にぶっ壊しておこう。


「白田さん」

「なに?」

「おあいにく様です。わたしは、白田さんが思っているほど世間知らずのうぶな女じゃないです。高校、大学と付き合ってたカレシはいましたし、そっち系の経験もあります」


 理系大学での男女比考えてみたら分かるじゃんか。あほー。


「ともかく。白田さんの策にはまるわけには行かないので、とぼけてスルーさせていただきました。帰宅する時にいつも通り事務室に顔を出して、その際に事務室内を五感全開でチェックしています」


 ぴっ! 白田さんを指差す。


「室内に残った匂い。白田さんの衣服や髪、化粧の乱れ。書類や什器の位置のズレ。何も異常なし。そりゃそうですよ。あったら証拠が残る。白田さんは一発退場ですから、あるはずがない。わたしの予想はきっちり裏付けられました。そして」


 机の上を指差す。今はそこにないけど、その時に乗っていたものをイメージして。


「公私混同を強く嫌う白田さんが、それまでわたしたちの前では決して出さなかったスマホ。それが、堂々と机の上に乗っていた。三時には音声を出すスピーカーとして使ったスマホを、今度はわたしとの会話の録音に使ってたってことです。会話内容が鮮明に録音されてないと、わたしがこれこれこういうとんでもない発言をしたってことを社長に聞かせられませんから」


 今度は、背後のドアに視線を移す。


「白田さんのかまかけをとぼけて逃げ切ったわたしは、その後直帰するふりをして、こっそり白田さんの様子をうかがいました。白田さんは、どなたかに『作戦失敗』と連絡していた。つまり……」


 ぴっ! もう一度、白田さんを指差す。


「白田さんの単独犯ではない。裏で糸を引いている共犯者がいるってことですね」


 わたしは、ここで一度話を切って、血塗れになった自分の拳をぺろっと舐めた。もちろん、ものすごく痛い。痛いけど、もっと痛いのはわたしの心だ。白田さんを吊るし上げたくなんかない。でも、最初にぎっちり膿を出し切っておかないとかえって遺恨を残してしまう。ここで話を終えるわけにはいかないんだ。わたしは気合いを入れ直すために、ずきずき痛む右拳をぎゅっと握った。


「当たり前ですけど、これで終わるわけなんかない。絶対にない! そう覚悟して臨んだ水曜日。ここが天王山でした」

「ああ、それは僕が報告を受けたやつだな」

「はい。社長には報告しましたが、みなさんにも知っていただこうと思います」


 ふうっ!


「まず、無言電話が十数回。それから出て行けおじさんの連呼が数回。なぜか、わたしの母からクソ電話。そして、ベガ女子大の女子学生から架空のクレームが七十本。とどめは、わたしの大っ嫌いな天敵の尾上教授からクソ電話」


 あの時の屈辱が蘇って、吐き気がしてくる。


「朝から晩までびっしりです。総攻撃ですね。通常のクレーム電話なんか、一件もありませんでした。でも、それが最初から分かってるわけじゃありませんから、受け答えには細心の注意を払わないとならない。いかにくだらない内容であっても、そんなの知るかバカヤロウって切れないんですよ。だって、わたしは社長に命じられている。記録を取り、解析し、報告しろ。それを自力でこなせってね」


 あのしんどさは……ここにいる誰も理解出来ないだろうな。そんな、半ば絶望的な気分で。わたしはもう一つ言葉を付け足した。


「わたしは勤務が終わって家に帰ってから、ストレスで吐きました」


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