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 社長がどこかでわたしの名前を出さない限り、白田ー御影軍からの敵対的アクションは出て来ようがないんだ。それを裏付ける事実が、御影不動産の杉浦さんの話から出てきた。社長が縁談を断るためにダシに使ったわたしの名前。それが杉浦さん、すなわち御影不動産に伝わっていた。そうでないと、あんな奇妙な縁談話が突然湧いてくるはずなんかないよ。杉浦さんは社長の与太話をまともに受け止めて、これ幸いと父さんに振ったんだろう。


 社長は、さすがにわたしと付き合ってるとは言わなかったと思うよ。そうしたら、もっと大騒ぎになってたはず。


『まだ片思いだけど、いいなと思う人がいる』


 くらいのところかな。でもさあ。それって、どう考えても社長のその場しのぎの言い逃れなんだよね。だって、社長がわたしに好意を示すようなアクションは、今の今までなーんもないもん。あの説明会の時だけは熱心だったけど、それはわたしに仕事をさせたいから。わたしを完全に駒として見てる。態度がぱりっぱりに乾いてて、そこには恋愛要素は一かけらも入ってない。それだけは断言出来る。そうじゃなきゃ、入社してからずっと放置なんてありえないでしょ。


 おっと。ここで推論を整理しておこう。


 社長には、以前から母親を介して見合い話が持ち込まれていた。結婚願望のない社長は、見合い話をまともに聞かないでスルーしていた。でも、わたしのお母さんのごり押しと同じで、断っても断ってもお母さんが新しい話を持ってくることにいい加減嫌気がさしていた。そして、社長に持ち込まれた縁談話の中にあの御影っていう女の子とのものもあったんだろう。社長はその相手を確認もせず、誰でもノーだと断った。


 社長とは逆に、御影は社長に興味を持って、白田さん経由でバイトとしてうちの社に潜り込んだ。そこまでは良かったんだけど、引っ込み思案な性格が災いして、御影から社長には何もアプローチが出来ない。そもそも社長がほとんど社屋にいないしね。もんもんとしているうちに、社長がわたしをダシにして縁談完全拒否を宣言し、その情報が社長の親から漏れて、白田ー御影軍に届いてしまった。二人は、社長とわたしが付き合ってる事実を隠していたと立腹して蜂起し、わたしを攻撃し始めた、と。


 じゃあ、白田さんから漏れて社長が苦慮していた居場所の情報。それを欲しがっていたのは御影? まあ、それもあるかもしれないね。陰ながらお慕いいたしますってか。でも、それって社長には何も実害がないよね。


 そこが変な風に絡まって、全体をややこしくしてたんだ。妙ちきりんな縁談話は、社長の情報統制には全く関わっていないと考えよう。切り離そう。だって社長にとって縁談系の話は、わたしをダシにしたところでもう終了なんだ。情報統制を敷くまでもないもの。じゃあ社長は、自分の居場所の情報が漏れることになぜあんなにぴりぴりしていたの?


 わたしは、ノートにぐりぐりと何度もその文字を書き込んだ。


『MKF』『MKF』『MKF』『MKF』『MKF』……


「ってことだよねえ」


 社長が徹底的に忌避しているのは、御影って女の子じゃない。御影不動産の方だ。でも、うちの社が順調に滑り出すまで社長をサポートしていたのは、間違いなく御影不動産だろう。白田さんや黒坂さんは、御影不動産からあてがわれたんじゃないかと思う。それが単純な話ではないにしても、ね。

 自己資金もなく、人材もなく、自分自身のノウハウもない。社長自身が言ってたみたいに、素人が起業するのは間違いなく無茶だ。それなのにここまで順調に来たのは、強力なサポーターがいたから。そして大手の不動産会社が、何の義理があってど素人の社長のサポートをする?


 そりゃあ、もちろん穂蓉堂にあそこを立ち退いてもらうため。頑固な父親から息子の社長を引き剥がして、孤立無援にしようとした? 確かにその可能性もある。でも、わたしはたぶんそうじゃないと思うんだ。

 社長は、受け皿を作るつもりだったんじゃないかな? もし穂蓉堂が廃業っていうことになれば、自分が親を支えないとならないと御影不動産に訴えて、会社の設立を急いだ。御影不動産も、その方が社長の父親に立ち退きを説得しやすいと踏んで、社長のサポートに回った。


 起業したのが、なぜ異業種じゃなくて同業の菓子だったか。両親の商売と重ねることが出来るからだろう。親の顔を立てるだけじゃなくて、親の持ってる知識やノウハウも使うことが出来る。そう考えるとしっくり来る。でも、親が作っている和菓子を上回る和菓子は、社長には作れない。技術的にも、親のプライドを傷付けないためにもね。だから、同じ菓子ではあってもセグメントを分けないとならなかった。


 だけどそれは、諸刃の剣だったんだ。全くの別展開にするなら良かったんだけど、それだとシナジー効果が得られなくて、下手すると共倒れになってしまう。販路か売り場を一部でもいいから重ねないと、同業種にする意味がなかった。そして……たぶん社長は売り場で親と自分の商売を重ねようと考えたんだろう。


「えっとー」


 デジカメを出して、御影テラス鈴庫町弐号館一階にあった空きテナントの画像を見る。一等地なのに、不自然に空いていたテナントスペース。御影不動産は、穂蓉堂に立ち退きを飲んでもらう条件として、あそこを格安でお貸しますよと社長に提案したんだと思う。ただし、条件付きで。

 マンション一階のテナント群はおしゃれな店ばかりだ。しかもバックヤードが小さい。そこに居住することも、和菓子を製作するのに必要な器具類を置くことも出来ない。しかも、他の和菓子店と代わり映えのしない陳腐なお菓子をちんまり並べられると、テナント群全体のイメージを悪化させることになる。売り上げが上がらないだけじゃなくて、他のおしゃれな店舗からも苦情が来る。


 だから社長は、そこに穂蓉堂の和菓子だけでなく自社のオリジナル製品を並べようと考えたんだろう。新しいアイデアを盛り込んだお菓子を同時展開して、多様化させる。父さんはこれまで通りに作ってくれればいい。その他に、僕のも置くから。そういうコンセプトで。


 社長の目論見通りにすんなり行ってくれれば、こんな騒動にはならなかったと思う。でも、そんなの無理だよ。社長。だって、船頭が二人いる船はまともに進まないもん。ど素人のわたしが考えたって分かるよ。新しいプランを社長が全部仕切るか、逆にお父さんに全部仕切らせるか、そうしないとまとまるはずなんかないじゃん! 当然、社長の目論見はあっさり外れたんだろう。親父さんはとんでもなく頑固だもん。冗談じゃねえって、吼えるに決まってる。


 そりゃあね。息子の提案だけなら、まだ聞く耳があったかもしれない。でも社長は、父親と出木のじいさんを正面衝突させる大ちょんぼをしでかしちゃった。頑固者が一度ヘソを曲げたら、もうダメだろう。社長は、作戦の練り直しを迫られたんだと思う。そして、社長に親父さんの説得役を期待していた御影不動産は早期解決のあてが外れたんだ。当然、現状の確認と今後の対策を社長と打ち合わせようとするだろう。社長が逃げ回っているとすれば、御影不動産のそのアクションから。わたしならそう考える。


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