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 社長と御影不動産に大きな誤算があったとすれば、社長の親父さんの説得難航に加えて、社長に変な縁談が絡んでしまったことだろう。そう、御影っていう紛らわしい名前の子との。その縁談は、どう見ても御影不動産のあてがいじゃないよね。だって、バイト御影は御影不動産とは全く関係がないもの。当然御影不動産や穂蓉堂には何の影響も及ぼさない。御影不動産が社長の縁談を穂蓉堂の立ち退きに利用しようとするなら、社長とバイト御影とのマッチングはまるっきりナンセンスなんだ。それに、社長は縁談をまともに考えてなんかいない。まるっきり無視してる。


 誰にとっても大した益のない縁談。そのまま立ち消えで終わってくれれば、騒動は早く鎮火したのかもしれない。でも、その縁談がバイト御影に大きく跳ねちゃったんだ。社長が気になった御影は、うちの白田さんを頼って社長に不用意に近付いた。それなのに社長は、バイト御影をまるっきり知らない。社長とバイト御影の意識の間に、大きな大きな落差があったんだ。

 そして、もう一つ。社長とバイト御影との縁談話がとんでもないところに飛び火しちゃった。社長の父親である穂蓉堂の親父さんに、だ。穂蓉堂の親父さんは御影っていう名前を見て、それが御影不動産直系のお嬢さんだと思い込んだんじゃないかな。だとすれば、たぶん思い違いはまだ解消されていない。


 いくら親父さんが頑固だって言っても、マンションが建ってからの売り上げの落ち方は半端なかったと思うよ。だって、親父さんの商売は馴染み客相手のやり方だもん。新住民にとっては動線をぶった切る目障りな古ぼけた菓子屋だし、店の周辺の旧住民はほとんど転居して去った。加えて、再開発で人の流れが変わり、バスの利用客もがたっと減った。馴染み客も飛び込み客も減ったら、とても商売にはならない。いかに親父さんが頑固でも、商品が売れなきゃそれまでだ。頑なに移転を拒んだところで、もう無理だってことは分かってたと思う。


 もんもんとしていたところに、息子にバイト御影との縁談が飛び込んで来た。落ち目の和菓子屋に、敵の大将が娘の縁談を送り込んできた。親父さんは、そう考えたんじゃないだろうか。親父さんのプライドは、その時点でぱんぱんに満たされたんだ。

 だけど自分の縁談じゃない。息子の縁談だ。息子にその気がなければ、はいそれまでよ。そして息子は結婚なんかまるっきり考えてなくて、けんもほろろ。親父さんは千載一遇のチャンスが目の前にあるのにって、いらいらしてたんだろう。そこにわたしが入社した。社長直々のスカウトで、しかも個室を与えてる。それが特別待遇に映ったんじゃないかな。


 わたしは大人しいって言っても、御影ほど極端じゃない。楚々としていて控えめっていうタイプじゃないんだ。偵察にきた親父さんがわたしを見れば、そりゃあ儚げで大人しそうな御影の方を気に入るでしょ。向こうの方が和風の美人なんだしさ。

 でも親父さんの気合いとは裏腹に、社長は御影との縁談を無視して、こともあろうに社員であるわたしを縁談を断るダシに使った。それが御影不動産に漏れて、杉浦さん、そしてうちの両親に跳ねたんだ。社長は仲介者に言い訳しただけで、親父さんに直接わたしのことを言ったわけじゃないと思う。でもどこかでその話が親父さんの耳に入り、それにぶち切れた親父さんがわたしに出て行けを連呼した……ってこと。


 白田さんも、最初わたしが社長との間に特別な関係はないと言ったことを信用していた。でも、社長が無責任に垂れ流した与太話が、御影不動産経由で白田さんにも伝わってしまったんだ。その同じタイミングでテレルームが要塞化され、白田さんはあの部屋に入ることを禁じられてしまった。それは社長が情報統制を敷くためで、わたしを特別扱いするためじゃない。でも、白田さんにそんな事情が分かるわけないじゃん。あの女、社長をまんまとくわえ込んだ上に、済まし顔でつらっとウソをつきやがった。そう考えるよなー。


 最初の盗聴器、そしてエロ音声。そこまでは御影のプランだった。白田さんはただの協力者。でも谷口教授のは違う。あれは白田さんじゃなきゃ出来ないこと。きっと白田さんはベガ女のOBで、谷口教授とは旧知の仲なんだろう。そこで、腰の引けた攻撃から一気に先鋭化したってことだ。


 そうやって順々に考えて行くと、ばらばらなように見えた全てのパーツがぱたぱたと組み上がっていく。


 社長がなぜ御影不動産からのアクセスを嫌がっているか。それは縁談を押し付けられているからじゃない。社長が、そろそろ御影不動産からの離陸を考えているからだろう。資金や人材の面で社長にノウハウの蓄積が出来て、御影不動産がバックアップしていた部分を自力でこなせるようになれば、社長としてはさっさと独立したい。

 そうしないと、いつまでも穂蓉堂の立ち退きに自分の社が絡んでしまう。その事態だけは絶対に避けたい。店を畳むかどうかは父親の判断であって、それを御影不動産という外からの圧力で曲げて欲しくはない。自分の父親の意地とプライドを尊重して、父親自身の手で進退を決めてほしい。受け皿は僕が用意しとくから。


「ってことなんだろなあ。ふううっ」


 開いたノートの上に、シャーペンをぽんと放る。


 でも。でもね。わたしの推論には、まだまだ『仮』の前提条件がいっぱい混じってる。例えば、御影テラス一階の空きスペースと穂蓉堂との関係。例えば、社長が御影不動産と距離を取ろうとしてる真の理由。例えば、社長がわたしに情報整理させる意味。わたしの推論のどれが当たっててどれが外れてるのかは、わたしには確かめられない。それは当事者にしか分からないんだ。


 そして。このまま、分からないままで放置すると善意が悪意にどんどん変わり始めるだろう。現にそうなりつつあるんだ。悪意の交点にわたしがいるから、わたしだけがその直撃を食らってるけど。わたしが交点からどけば、それは関係者全員に燃え広がる。でも、それを誰かのせいに出来ないの。くっきりした悪人が、どこにもいないんだもん。悪人どころか、わたしが目にして来たことは全部善意が起点になってるんだ。縁談といい、御影不動産のサポートといい。お節介なくらいに善意ばかり。

 だから。さっき御影不動産の支店でわたしが杉浦さんにぶちかましたこと。立ち退き目的で、裏でこそこそとって。あれは、御影不動産側では絶対に思って欲しくなかったことなんだろう。事を荒立てず。出来るだけ円満に。関係者全員が納得出来る形で解決を。関係者はみんな、そう望んでいるんだろう。


 大事な情報があちこちでふん詰まってる。煙幕ばかりで、関係者の意思や感情が何も見えてこない。しかも、当事者はみんな温和で地味な人ばかりだ。ちょっとした行き違いで身がすくんでしまって、考え方がどんどん矮小化する。事を荒立てたくない。穏便に済ませたい。接点を小さくして、相手がそれで諦めてくれればって。

 誰もが引いてしまって、ますます全体像が見えにくくなる。それが悪意の連想を生み出して、まずますコミュニケーションを細らせ、それに苛立って感情が荒れてくる。アイツサエイナケレバってね。


 社長が絞り込んだ情報接点。テレルームの一本の電話。そこに全ての感情が集まり、交錯する。社長が言った通り、狙った通りになった。それは、社長の洞察力の鋭さを裏付ける反面、意思や突破力の弱さをこれでもかとあぶり出す。


「ふうう」


 でもさ、社長。もう逃げてる場合じゃないと思うよ。とっくにね。


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