(2)

「そっかあ」

「どうされるんですか?」

「一応、先生のスタンスを聞いてくる。直に喧嘩売ったって、わたしみたいな若造相手じゃ、味噌汁で顔洗って出直して来いって言われるだけでしょ」

「あはは……」

「でもね。わたしは、されたことは我慢しない。スルーしない。倍返しするつもりなの」


 大丈夫だろうか。水沢さんの顔に、そういう心配の表情が浮かんだ。


 うん。この水沢さんていう女の子。雰囲気が柔らかいっていうだけじゃなくて、性格がいい。文句を言いに来たわたしを嫌がって、最小限の接触だけで切り上げられてもしょうがない。それは覚悟の上だった。でも、わたしのことを逆に心配してくれてる。それなら、こっちもちゃんと手の内を明かそう。


「そうね、わたしはあなたの三つ上。今年の春大学を出て、今の会社に就職したんだけどね」

「そうなんですか」

「うん。わたしが居た大学はベガ女と違って三流だけど、理系の大学なの。わたしは生命科学を専攻してた」

「わ! すごーい!」


 名前だけはね。中身は大したことなかったよ。


「わたしの所属した講座。そこの指導教官の教授がとんでもない横暴おやじでね。わたしは屈辱の二年間を過ごしたの」

「屈辱……ですか?」

「そうだよ。朝から晩まで、女性蔑視の罵詈雑言をずうっと聞かされる。この脳足りんの馬鹿女。目障りだ、とっとと消えろ、すっこんどれ、このうすのろ女め!」

「げ……」

「一日だけじゃないよ。二年間。大学に行ってる間は朝から晩まで毎日毎日一日も欠かさず。今時信じられないでしょ? とんでもないアカハラ」

「……はい」

「わたしは、それで女子力が擦り切れちゃったの」


 わたしは両手のひらを上に向けて、呆れたポーズを取った。


「我慢……されたんですか?」

「しなきゃ卒論通らないもん。あなたがさっき、谷口先生に逆らえないって言ったのと同じよ」


 水沢さんは、口をきゅっと結んでこくっと頷いた。ふうっ……。


「わたしがラッキーだったのは、同じ講座にすごい女傑が二人いたこと。その二人が教授と派手にどんぱちやってくれたから、わたしは直撃を受けなかったの」

「うわ」

「それでも、わたしが少しでも自分の地を出せば、速攻で教授に潰されたでしょ。猫を被って、あほーのふりをして二年間耐え忍んだの」


 その時。わたしはもう堪え切れなくなっていた。涙が勝手にこぼれて……いた。


「その屈辱が……あなたに分かる?」


 水沢さんが、ひっそりと顔を伏せる。


「もう、あんなこと、絶対に我慢しない。売られた喧嘩は必ず買う。わたしは羊じゃない! ただ生贄にされる羊なんかじゃ、絶対にないっ!」


 骨がぼきぼき言うまで、両拳を固く固く握り締めた。くっ。


「取り乱してごめんね」

「いえ……」


 わたしは赤くなった目をハンカチで押さえて、どうにか感情爆発を押さえ込み、体勢を立て直した。急いで彼女から情報をゲットしないと、今日の予定がこなせなくなる。


「でもさ。その谷口って先生の仕組んだこと、どうもおかしいと思わない?」

「どうしてですか?」

「先生の仕組んだことは、うちの会社に損害を与える行為。でも地位もおカネもある大先生が、なんでうちみたいな零細企業に手の込んだ嫌がらせをしないとならないわけ?」

「あっ! そうか」

「おかしいでしょ?」

「はい!」

「うちを潰すつもりなら、簡単よ。異物混入は食品会社には一大事だもん。こんなの入ってた、けしからんつーて、ツイッターやフェイスブック、ユーチューブにアップされたら、もう致命傷」

「……そうですね」

「でもあなたたちのクレームは、そうならないように微妙に調整されてるの」


 首を傾げた水沢さんが、空になったカップをじっと見ながら考え込んだ。


 この子、女子大生にありがちな浮ついたところが全くない。ふわっとした外見に反して、受け答えがすっごいしっかりしてる。わたしと違って、きっちり仕事が出来るいい社会人になるんだろなあ。


「どうもねー、うちの社への攻撃としては、ものすごーく中途半端なの」

「おかしいですね」

「でしょ? そりゃそうよ。先生の狙いはうちの社じゃなくて、ピンポイントにわたしだもん」

「あっ!」


 がたっ。椅子を鳴らして、水沢さんが立ち上がった。


「まあまあ、座って」

「……はい」

「テレオペがわたししかいないことを知ってる。そのわたしに大量のクレーム処理をさせる嫌がらせ。しかも、その対応をヘマったら、わたしが責任を取らされる。わたしをクビにさせようとするアクションなの」

「う……わ」

「だけどさあ。それもおかしいんだよね」

「どうしてですか?」

「わたしは谷口先生という人を、本当に知らないの。さっき水沢さんに教えてもらうまで、何も知らなかったの。大学も全くの別系。職場も大学とは一切関係がない。個人的な接点も全く思いつかない。なぜ唐突にその先生から攻撃されないとならないのか、思い当たる節がないの」

「うーん……」


 水沢さんは、わたしの持ち出したネタがすっごく面白いと思ったんだろう。講義なんかもうどうでもいいって感じで、がっつり食いついてきた。よしよし。谷口っていう先生のことをよく知らないわたしにとって、水沢さんは単なる情報源以上の存在になる。しっかり味方に取り込んでおこう。


「変……ですね」

「でしょう? 先生が妄想爆発系のイっちゃってる人だっていうなら別だけどさ。文系であらふぉで教授っていうのは、とんでもなく切れ者だよ。その若さで、きちんと理論武装出来るわけでしょ?」

「はい。間違いなくそうだと思います」

「訳分からん策略と切れ者の先生とが、全然マッチしないの」


 わたしがヒントを出す前に、彼女がすぱっと正解に辿り着いた。


「誰かの依頼……って線は?」


 ぱちん! わたしは指を鳴らした。


「さっすがあ! 水沢さん、鋭いっ! 頭いいわー」

「あはは」

「わたしが考え付いたのも、そういう線なの」

「誰か思い当たる人がいるんですか?」

「水沢さんに聞きたいことが、先生の他にもう一つあるの」

「はい」

「あなたの所属してるクラス、もしくは講座に、御影真佐美さんていう女の子がいる?」


 こくっ。水沢さんの反応は早かった。肯定だ。


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