(3)
「います。御影さん」
「その子が、アルバイトでうちの社にちょこっとだけ来てるのよ」
「じゃあ、何野さんと何かトラブルが?」
「うーん、それがねえ」
わたしは思い切り顔をしかめた。
「そっちも思い当たらないんだ」
「えーっ?」
「だって、わたしは入社して二か月間、ほとんど一日中テレルームにこもってる。御影さんて子がバイトで来てることは知ってても、顔を合わせたことがほとんどないの」
「じゃあ、話したりとかも?」
「ない。無視するとかいびるとか、それ以前よ。そもそも接点がないもの」
「うーん」
「もし御影さんが黒幕だとしたら、なぜわたしを一方的に敵視してえげつない攻撃を仕掛けてくるの? そっちも訳が分かんないんだ」
水沢さんは、変だなあおかしいなあって素振りで、しきりに首を傾げた。
「どうしたの?」
「いえ、どうしても今のお話が御影さんのイメージに合わないので……」
「ふうん。どんな子なの?」
「おとなしいです。わたし以上に地味子かも」
「カレシがいるとか、そっちは?」
「ないと思います。引っ込み思案ですっごい臆病です。わたしたちと話するのも最小限て感じで」
わたしや白田さんと一緒に外飯した時の、彼女の態度。あれは、演技ではなくて地だったってことか。白田さんの問い掛けに、なんでもいいと答えたこと。あれは面倒臭いんじゃなくて、自己主張して変に邪推されるのが怖い……そう考えると納得出来る。なるほど。
でも、地味子だから思想や行動が地味とは限らない。それは、あの盗聴器やエロ音源で分かる。思い詰めると、ブレーキが効かなくなるってことだもん。
問題は、わたしを敵視する『原因』だ。そこがまだ何も分からないまま。谷口っていう先生と違って、御影って女ならわたしが直にがちを入れられるかもしれないね。ただ、その前に白田さんのガードを外しておかないと厄介なことになる。
そうなんだよね。白田さん。御影っていう女。そして御影不動産。そこにどういう繋がりがあって、社長や社とどう繋がってるのかが未だに全く分かんない。
「それにしても……」
「はい」
「その御影って子、有名人の谷口教授を動かせるほどの筋者なのかあ」
「は?」
水沢さんが、ないないって感じで手をぱたぱた振った。
「それはないですよー。御影さんの親はふっつーのサラリーマンですしぃ。それに彼女、谷口先生をすっごい怖がってますから」
「えええっ?」
てっきり御影不動産の直系の子女だと思ってた。苗字が一致してるのは、偶然?うーん、それならわたしの推論の前提が全部崩れちゃう。
「ぬー。御影っていうからきっと御影不動産の直系だとばかり」
「あ。そんな風に思われるの、すっごい困るって言ってました」
「へ? 彼女が?」
「はい。時々勘違いする人がいるみたいで、そんなわけないじゃんて。あの大きな会社とは、全く無関係だそうです。御影不動産の社名は、創業者の名前じゃなくて地名から来てるんだよーって」
うっそおおおっ?
「じゃあ、御影一族みたいのがいるわけじゃ」
「きゃははっ! それはドラマの見過ぎですよー」
があ……あん。
「御影さんのお父さんは、確か機械メーカーかなんかの社員さんだったはず」
「不動産業には全然関係ないのかー」
「はい」
うーん。
「じゃあ、特別お金やコネに恵まれているわけでもなく、しかも谷口先生を怖がっている御影さんが、なぜ有名人を動かせたんだろう?」
「さあ……それはわたしには」
あ! そうか! わたしの前提が間違ってるんだ。そこをきちんとデフォルトに戻しておかないと、また推論がおかしくなる。わたしは最初、白田さんが御影の支配下にあるって考えてたんだ。違う! 逆だ! 主導権を握っているのは白田さん。白田さんが、御影のバックに付いてる。御影は白田さんのガイドがないと動けない。
わたしはバッグからノートを出して、それをぱらぱらめくった。最初の方。これ、これ。
『MK>SR』
その部分に朱を入れて消した。
「逆だ」
『MK<SR』
そして、もう一つ修正が要る。
『SCH>SR』
「これも違う」
今朝、社長に経過報告した時に感じたこと。社長は、白田さんを全くコントロール出来ていない。
『SCH<SR』
パワーバランスが、当初の予想とまるっきり逆だ。当然、一番基本的な論拠が全部逆転する。それを元に、今までの推論を全部練り直さないとならない。ぐぅ……。これは大変だ。
「あのー、何野さん、それって……」
わたしのノートを覗き込んだ水沢さんが、絶句した。そりゃそうだよね。アルファベットと記号だけ。訳が分かんないと思う。
「あはは。これね、業務用のノートなの。クレームが来た時にどう対処したか。それを記録するノートはあるんだけど、それとは別」
「へー」
「あなたたちが昨日かけてきたみたいな電話は、通常のクレームじゃないでしょ? 目的が違う」
「あ、そうですね」
「それをさばけっていうのが、社長のオーダーなの」
「ええっ?」
「変だよねー。本来のクレーム電話なんか、一日に一本かかるかどうかってとこ」
「あ!」
勘のいい水沢さんは、わたしがなかなか気付かなかった違和感にすぐに気付いた。とほほ。ぬいの突っ込みを思い出して、がっつりめげる。
「そのためだけに正社員でテレオペ入れること自体、ものすごーくおかしいの」
「はい……」
「つまりうちの社長は、クレーム処理用の回線に大量のノイズが流れ込むことを、もう予測してるの」
「ノイズの元は分かってるんですか?」
「分かってない。わたしだけでなくて、社長もね」
「うそーっ?」
水沢さんが、口をぱっくり開けて絶句した。
「分かっているのは、ノイズがどれもわたしを社から追い出そうとするアクションだって言うこと。それだけなんだよね。それが、誰のどういう目的によるアクションか分からない以上、わたしは推論の内容を覚られないように、こういう記録法を取らざるを得ないの」
暗号だらけのノートをかざして見せる。
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