(2)

 顔を背けていた社長が、慎重にわたしの顔色をうかがった。


「ようちゃん、怒ってるの?」

「怒ってますよ。わたしには敵視されるような覚えが何もないですから」

「ああ」

「敵視っていうのは、誰かを先に怒らせる言動、行動が発端でしょう? でも、わたしは入社してこれまで、昼ご飯と三時のお茶休憩の時以外は、テレルームから出てません。誰かに敵視される発端がそもそもないんです」

「そうだね」

「だとしたら」


 社長に、もう一度指を突き付ける。


「社長が、何かを宣言して今までの人間関係を変化させた。それにわたしが絡んでる。わたしにはそれしか考え付かないです。違いますか?」


 わたしの指摘に、社長が苦渋の表情を浮かべた。ほんとはここで社長をとことん問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。でも、わたしにはまだ社長にばちっと示せるだけのファクトが何もないんだ。社長の口からそれが出てくる可能性がない以上、ここでいたずらに時間を浪費してもしょうがない。


「いいです。わたしの推論に必要な情報がまだ全然足んない。そして、それは社長からはもらえない。わたしはそう考えます。ですから、わたしがそれを自力で集めることを制限しないでくださいね!」

「わ、わかった」


 わたしがまくし立てた剣幕に怖じけたように、社長の座っていた回転椅子ががらっと後ろに下がった。


「社長。ビジネスの基本はほうれんそう。報告、連絡、相談。わたしはこうやって、報告と連絡は欠かさないで行います。それが社長から命じられたことですから」

「うん」

「でもね。社長には相談出来ない。そこを自力でやれ、こなせと、社長はそう言ったから。わたしには『そう』がないんです。そのハンデを、もうちょいシビアに考えてください」


 わたしは、平手で机をぱあんと叩いて立った。


「それと、社長。もう一つ、どうしても守らせて欲しいお願いがあります」

「誰に?」

「白田さん」

「……」

「わたしが言ったら、それこそ角が立ちます。必ず社長から命じてください」

「何を?」

「クレーム用の回線に、わたしへのプライベートな電話を回さないように」


 その時のわたしの形相は鬼のようだったと思う。顔色を変えた社長がわたしに確かめた。


「どういうこと?」

「昨日、母とわたしの行ってた大学の教授から、くだらない電話がクレーム用の回線にかかってきました」

「え……」


 それは、社長の想定外だったんだろう。わたしには想定内だけどね。そこも思いっくそズレてる。


「わたしは公私混同は大嫌いです。それをよーくご存知で、ご自身も基本ルールを厳密に守られる白田さんが、わたしにはぺろっとルール違反を誘導する。わたしに急用があるなら、白田さんがその内容を聞き取ってわたしに口頭で伝えてくれれば、わたしから先方に連絡できます。わざわざノイズとしてクレーム用回線に流し込む必要はありませんよね?」

「確かにね」

「社員同士の信頼関係を損なわせる軽率な行為は、わたしには絶対許容出来ません! この回線は、わたしのものじゃないです。社長が、ここを非常用としてお使いになりたいと考えているのなら、ノイズはぎりぎりまで減らしておかないと、いざという時に役に立ちません!」

「ああ」

「よろしくお願いしますね」

「……分かった」


 歯切れのいい返事ではなかった。社長は、年下のわたしには無理難題を言える。でも自分より年上の白田さんや黒坂さんには、どうしても遠慮があるんだろう。でも、その皺寄せを一方的にわたしに押し付けられるのは困る! わたしはゴミ捨て場じゃないんだよ! 上官としての信頼を損ねたら、部下の兵はその命令をまともに聞かなくなるんだよ? 社長、それ、分かってる? 事態は、社長が考えてるよりもずーっと深刻なの!


「報告はそれだけです。わたしはすぐに出ます」

「ああ、よろしく」


 わたしは解析用のノートを社長に手渡して、社長よりも先にテレルームを出た。


「くそっ!」


 なによ。あの煮え切らない態度っ! 腹立つー! ねえ、わたしに備えさせたのは社長だよ? 社長は、当然こういう事態になり得ることを想定してたんだよね? それなのに、報告への反応がそれっぽっちなの? 指示とか対策とか何もないの? まるで他人事みたいにっ!


「むっかつくーっ!」


 社屋を出たところで、降るのか晴れるのかはっきりしないぼんやりした曇り空を睨みつける。ああ、ほうれん草がまるっきり足りないよなー。ポパイはほうれん草を食べると無敵になる。でも、わたしにはほうれん草が配給されない。よれよれだ。


 でも。それでも。わたしにはまだ出来ることがある。戦うために、出来ることがある。だから、わたしは精一杯努力する。ばらばらのキーワード。それを繋ぎ合せるための努力を。


「うっしゃあああっ!」


 さあ、出撃だっ!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る