(5)

 わたしが、穂蓉堂という屋号と警察沙汰にするぞという警告を口に出したことで、電話はぴったりと沈黙した。それがいい方に効いてくれればいいんだけどね。


 午前中の攻撃をなんとか凌ぎ切ったわたしは、ヘッドセットを外して机の上にぽんと放った。それから、昼ご飯のお弁当を温めようと思って席を立ちかけて……座り直した。電子レンジは事務室にある。昨日のことがあったから、わたしは正直言って事務室に顔を出したくない。白田さんなら上辺を取り繕って何食わぬ顔が出来るかもしれないけど、わたしの神経はそんなに太くないもの。


 午前中の無言電話の発信者が御影もしくはその関係者なら、わたしのダメージがどの程度のものかを確認するために、白田さんがかまをかけて来るだろう。今は、それを冷静にいなせる自信がない。しょうがない。冷たいお弁当を食べたくないけど、我慢するしかないか。


 電話の置かれた事務机の上にべたあっと潰れて、それから広げてあった二冊のノートを畳んだ。もっとも、本来のクレーム処理用のノートはずっと真っ白なまま。それは……なんだかなあ。わたしの解析用の三冊目は、食べながら書くことにしようか。コンビニの袋からお弁当を出そうとしたその時。電話が鳴りだした。


「あ! しまったあ」


 いつもなら、受付時間外はすぐに留守録モードに切り替えるんだけど、さっきの出て行けおじさんとのやり取りが押して、そのままになってたんだ。仕方ない。時間外に取り次いだっていう事実を作りたくなかったけど、敵の攻撃なら対処しないとならないし、もし一般のお客さんからの電話なら居留守使うことになっちゃう。それはまずい。わたしは、外したヘッドセットを掛け直して、椅子に座った。


「はい。高野森製菓お客様相談室でございます」

「ああ、やあっと捕まった!」


 受話器から漏れて来たでっかいだみ声。わたしは、それが誰の声かが分かって青くなった。お……母さん? お母さんは、わたしの携帯の電話番号を知らない。家電には昨日の時点でお母さんからの着信はなかった。社のクレーム受付用の電話に掛けないといけないような緊急事態? お父さんかお姉ちゃんに何かあった!? わたしは震える手をどやしつけるようにして、聞き返した。


「お母さん、何か……あったの?」

「いや、何度あんたに掛けても捕まんないからさ。いいお話が」


 ぶっちーーん!!


 バカだバカだとは思ってたけど、自分の母親がここまで常識知らずの大馬鹿者だなんて認めたくなかった。信じられない! 勤務時間中に、娘に私用の電話! それも、わたしの携帯の番号探ってそこにかけるならともかく、社のクレーム受付用の回線使ってっ! どこまで非常識なの!?

 テレルームで大声を出せば、無駄にだだっ広い部屋に響き渡って白田さんに勘付かれちゃう。わたしは怒りでぶるぶる震えながらも、必死に感情爆発を押さえ込んだ。


「お見合いなんてしないって、前から言ってるでしょ?」

「そんなこと言わないでさあ。どこに良縁が転がっているか分からないでしょ?」

「嫌だって!」

「相手は社長さんだよ?」

「社長だろうが、会長だろうが、嫌なもんは嫌!」


 頭は怒りで煮えたぎってたけど、わたしには一つ引っかかることがあった。びんぼーサラリーマンの家に、突然社長との縁談? そんなの絶対にあり得ないでしょ。どういうこと?


「うちに社長との縁談なんか来るわけないでしょ。寝ぼけてんじゃないの?」

「いや、間違いなく社長との縁談だよ。珍しく父さんが持ち込んだの」

「はあ!?」


 あり得ん。絶対にあり得ん。お父さんは影が薄い。お母さんの言うことには逆らえない。そのお母さんの意向を無視して、大きな縁談を提案? 何か悪いものでも食べたのかな?


「てか、相手、なんて人?」


 いつもなら一方的に電話を切ってしまうわたしが、そうしなかったことで、わたしが乗り気になったと思ったんだろう。得意げな声で母さんが、名前を読み上げた。


「ええと。高野森孝夫さん」


 &+=?#%ー&!+@¥&&$$;+>&*=!!??


 あ、あり得ないっ! ずえったいにあり得ないっ! てか、おかあはん。それ誰だか分かってるのっ!?


「なんの冗談よっ!」

「冗談なんかじゃないよ。マンション買うのにいろいろ相談させてもらった不動産屋さんで、そこのお偉いさんが知り合いの社長に紹介出来るお嬢さんを探してるって」


 不動産屋さん……か。


「もしかして、御影不動産てとこ?」

「そうよ。大手だから」


 やっぱりだ。偶然じゃない。これは間違いなく仕組まれてる。でも、なんで? 御影不動産が、縁談を通してうちの社長をコントロールしたいのなら、わたしと社長をくっつける意味なんかなーんもないじゃない。どうもおかしい。敵の意図がまるっきり分かんない。


「てかさ。わたしたちのことなんか何も知らない赤の他人が、いきなりおかーはんたちにそんな考えられん縁談振ってくるってこと自体、めちゃくちゃ変だって思わないわけ? おかーはん、頭おかしいんちゃう?」

「何よ! その言い方っ!」


 何よもへったくりもあるかいな! ばかったれっ!


「何度も言うけどさ。わたしはまだ就職したばっかで、仕事こなすので精一杯なの。縁談やら見合いやらに乗る余裕はないし、そのつもりもないの」


 向こうで何やら反論する気配があったから、全力で先手を打って潰す。


「見合い話を持ってきたいなら、わたしがその気になってからにして。今のおかーはんのアクションは、すっっっっごい迷惑っ!」

「そんな言い方ないでしょっ!」

「ここまで言わないと分かってくれないでしょ? だいたいさ。さっきの縁談だって、ちゃんと先方の身元確かめたの? 社長ったって、大会社から零細企業までいろいろあるんだよ?」

「う……」


 ばかったれえっ!


「ついでに言うけどさ。おかーはんが今電話してるところは、わたしの勤めてる会社の外線や代表番号じゃないの。クレーム受付用のとこ」

「え?」


 これだよ。


 ああ、そうか。これは白田さんの仕業だな。おかーはんが社に電話してきて、わたしを呼び出そうとした。白田さんは、わたしには取り次げないと断ったんだろう。ただし取り次げない理由は、私用だからじゃない。内線を回せないから、だ。わたしに急用があると言われた時、わたしとお母さんを繋げることが出来るホットラインは二つしかない。携帯とクレーム受付用の電話だ。

 わたしの携帯番号を漏らせば、わたしのプライベート情報をわたしへの確認なしで他人に漏らしたことになる。それは、社員の個人情報を一括管理してる白田さんにとっては致命的なミスになる。お母さんは、白田さんがわたしの携帯番号を漏らしたっていう証人になってしまうんだ。


 逆に、緊急だからってクレーム用の回線を教えるのは理に適ってるよね。テレルームが厳重に施錠されてて、わたしと社長以外部屋に出入り出来ないこと、そしてわたしを物理的に呼び出すのが難しいのは事実だもの。白田さんは、テレルームが遮断された要塞になってるってことをちゃっかり逆用したんだ。くそう……。


 でも、今はお母さんを撃退しないとならない。こんなことで時間を潰されたら、午後から保たなくなる。


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