(3)

 今朝出勤する時。わたしが危惧していたのは、電話する端末を変えた出て行けおじさんががあがあ出て行けと連呼することだったんだ。でも、最初からすでに攻撃者が想定外だった。


 事務室の扉越しに白田さんに挨拶して、そのままテレル−ムに直行して。ヘッドセットを装着し、録音の準備を整えてすぐ。9時ちょうどに最初の砲弾が着弾した。


「はい。高野森製菓お客様相談室でございます」

「……」

「どのようなご用件でしょうか?」

「……」

「あの……?」


 ぷつ。切れちゃった。無言電話、か。番号は、090 XXXXーXXXX。携帯からだ。いつもならそんな番号はすぐブロックしてしまうんだけど、わたしは発信者の情報が欲しかった。かけてきたのが男か女か。どんな声を持つ人物か。どんな感情で電話をかけてきているのか。無言ではあっても、その向こうの気配はなんとなく分かるものなんだよね。わたしは、無言の向こうにある情報がもう少し欲しかった。だからすぐには番号をブロックしなかった。


 出て行けおじさんと違って、無言電話は短い間隔では続けられなかった。数分から十数分の間隔があって、十一回。全て同じ番号。でも、相手もわたしに発信者を覚られないよう細心の注意を払っているようで、声はおろか息遣いさえ聞こえて来なかった。声を拾うマイクの感度をゼロ設定してあるんだろう。それじゃ声だけじゃなくて、発信場所の音も拾えない。どこから掛けられているのかの判断も付かない。繰り返される無言電話で心理的圧力をかけることだけを目的としていて、わたしの手元には何も情報が残らない。


 いや、情報がゼロってわけじゃないね。相手の攻撃手段が、最初のちゃちなこけ脅しから変質してる。わたしは、敵の想定以上に図太くてふてぶてしいと判断されたんだろう。これ見よがしに盗聴器仕掛けるみたいな示威行為や、わたしを慌てさせミスさせようとする間接的攻撃では効果が見込めない。直接攻撃でないと効果がないって。その直接攻撃の第一弾が、無言電話だってことだ。


 その電話番号からの攻撃をブロックするかどうか悩んだけど、電話からの情報量が少な過ぎて、まともに対応するだけバカらしいと考えた。11時20分に十一回目の無言電話。わたしの呼び掛けに対する反応がないことを確かめてから、その電話番号からの受話を拒否する。やれやれ……。


「これで済むわけないよなー」


 そう、わたしはそんなに甘くない。


 敵は、発信者を覚られないよう細心の注意を払っている。それでも、わたしに直接攻撃を仕掛ければ、常に返り討ちのリスクを負うことになる。そのリスクを承知の上での攻撃だから、きっと二の矢三の矢が来るだろう。わたしはそう考えた。


 拒否番号の設定からわずか十分後の11時30分。予想通り、次の攻撃が来た。


「はい。高野森製菓お客様相談室でご」

「出て行けっ! とっとと出て行けっ!」


 やれやれ。今度は出て行けおじさんか。


 番号は、090 ZZZZーXXXX。前は公衆電話からだったけど、今度は携帯からだ。おじさんが誰かの携帯を借りたのか、プリペイドとかを契約したのか、それは分からないけど。発信者非通知の電話が繋がらなくなったことだけは、何とか理解したんだろう。通話内容が出て行けだけだから、このままじゃ追加情報はない。今かけて来てる番号からの受話を拒否すれば対応完了だ。


 でも。さっきの無言電話と同じで、少しは向こうの情報を引っ張り出さないとわたしに何のファクトも残らない。推理したり、対応策を練ったりすることが出来ないんだ。よし! 挑発しよう。


「当社は法令を順守し、製造、営業を行っております。当地を立ち退かなければならない理由は何もございませんが?」


 まず『出て行け』の対象が分からないことには手の打ちようがないからね。相手が社か、人か。そこだけでも切り分けておかないとならない。


「出て行くのはおまえだ!」

「はあ!?」

「とっとと出て行け!」


 なるほど。出て行けの対象は人。それもピンポイントにわたしだ。もっとぎっちり突っ込もうと思ったんだけど、その前に切られてしまった。


「ちっ。根性のないおっさんだ」


 いや。その根性は別のところに使うんだろう。前にかかってきた時も、矢継ぎ早に追撃が来た。案の定、ノートに通話記録を書き留める間もなく、すぐに次のがかかって来た。


「はい。高野森製菓……」

「出て行けーっ!!」


 絶叫になってるよ。大丈夫か? このおっさん? アタマに来る以前に、あまりの単細胞さが逆に気の毒になる。社長の性格とはあまりに違うよなあ。考え込んでいる間に、電話は切れた。さっきの無言電話と違って、こっちは相手が誰かがだいたい分かってる。そして、相手の攻撃方法も最初から一貫して変わっていない。工夫がない。


 三回目の出て行けが着弾した時に、わたしは短く反撃した。すぐ切ってしまう出て行けおじさんには、だらだら説教しても始まらない。


「そちらの電話番号は、受信しないよう設定させていただきます」


 わたしの方から電話を切って、さっきの番号を拒否設定する。さあ、どう出るか。複数携帯を準備してあって、切り替えて攻撃を続行する可能性もある。でもそれはコストもかかるし、一度の通話だけで拒否設定されると攻撃の意味がない。あのおっさんに、そんな余裕はないように思えたんだ。単に自分の鬱憤をわたしにぶつけたいだけ。おっさんの攻撃でわたしがここを辞めるなんて効果は、最初から期待してないんじゃないかと思う。それはそれで厄介なんだけどね。


 これであのおっさんからは掛かって来ないかと思ったら、数分後に別の番号からかかってきた。


 0YZ XZYーYXZX。一般電話だっ!


 公衆電話からも確保した携帯からも掛からなくなって、おっさんの頭に血が上ったんだろう。呼び出し音が鳴っている間に、三冊目のノートに書き留めておいたある番号と今掛けてきてる電話番号を照合した。どんぴしゃり、だった。


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