(3)
「どんぴ、じゃん」
バイト御影と黒坂さんだけなら偶然の線もある。でもわたしが検索で探り当てた一枚の組織図は、偶然を完全に否定するものだった。
ファイルは、本来は非公開のものだと思われた。顧客に配るパンフレットやIR資料を作る時に、組織図を付けようとして担当者が現況を調べたんだろう。元ファイルが社内用のものだから、社員の名前がポスト名にぶら下がったままだ。こんなものを、検索に引っかかる形でネットに出しっぱにした担当者はクビもんでしょ。おいおいって感じ。
パワポに貼られていたのは御影不動産の全体組織図で、そこに部課と社員の構成図がずらっと並んでいて。
『
ファイルには作成日のスタンプがあり、それは今から二年前の一月のものだった。二年前。高野森製菓の起業の年に相当している。
「見えてきたね」
一応、出木のじーさんも検索しておこうか。ぱちぱち。出木兼、と。
「むー」
残念ながら、出木じーさんの情報は全くなかった。まあ、そうだろね。社会性の高い人なら、趣味の分野とかOB会とかで名前が外に出る事があるんだろうけど、あのじーさんには見るからにそういうのがなさそうだし。
じーさんと御影との間には、どう見ても接点はなさそうだ。社長が製菓機械製作会社と交渉してOBのじーさんを紹介してもらい、じーさんに直接技術指導を頼み込んだんだろう。説明会の時に社長がそう説明していたし、その説明には嘘はないと思う。
わたし自身の情報も調べておこう。個人情報の公開度を計るための、対照区代わりだ。
「何野羊、と」
当然、御影とは何も関係がない。ヒットして出てくるのは、教授と連名で学会発表に申し込んだ時の要旨。それしかない。
「うん……」
さっき社長を地味だって言ったけど、わたしだって人のことなんか何も言えない。ネットを介した自己発信は、ゼロ。それ以外、リアルでも自分を主張して名前を残すようなアクションを何もしてないから、ヒットしようがないんだ。
ねえ。それってさ、自慢になるの? ネットに自分の実名が出ちゃうデメリットよりも、自分の履歴がどこにも残ってないことの方がうんとこさ怖くない? わたしってどこにいるわけ? どこにわたしの痕跡があるの? わたしって……本当に居るの?
ぞっとする。
「いやいやいやいやいやいやっ!」
慌てて、激しく首を振って否定した。おかしくない、おかしくない!
「わたしゃ、総理大臣じゃないんだからさ」
自分から情報を曝さない限り、ヒットしないのが当たり前なんだ。何も自己宣伝していないのに、実名が勝手にぞろぞろ出て歩くことの方がずっと怖いじゃん。
「ふうっ。ふうううっ……」
乱れた息が収まるのを待つ。落ち着け。落ち着けっ!
「なんだかなあ」
わたしが自分の存在感の薄さをことさら意識しちゃうのは、大学時代のことがあったからだ。意思の弱さゆえに、クソハゲ教授の抑圧を跳ね返せなかったこと。自我がすり減らされてしまったこと。無意識に泣いちゃうほど辛かったのに、それを辛いって言えないヘタレ。へらへらごまかす癖。わたしは、どん底に落ちちゃった自分を、まだきちんと立て直せてない。だから、考え方がすぐにネガティブに落ちやすくなるんだろう。
冗談じゃない! もう。あんな思いをするのはイヤだ。絶対にイヤだ! 絶対に、ずえったいにイヤっ!!
横暴なクソハゲ教授のことを、今さらどうこう言ったって始まらない。あれは、すでに終わったこと。でも、わたしは今、まさに戦場の真っ只中にいる。そこで自分が生き残るためには、ぺらぺらで中身のない自分をどうにかしないとならないんだ。
「ぐ……」
握りしめた両拳の中が、汗でじっとりと濡れていた。肩が張ってぱんぱん。
「ふうっ」
肩を上下させて、緊張を解す。わたしのことは、まだ情報として考えなくてもいい。それは最後にわたしが自分で落とし前をつければいい。それより、関係者の情報収集をさっさと終わらそう。お風呂に入るのがどんどん遅くなる。
無味乾燥なわたしに関する検索結果を消して、最後に社長の父親の名前を打ち込む。
「高野森茂作、と」
こっちは一件もヒットしない。社長の両親がやってる
そしてこの親父さんも、商売だけでなく、趣味や地域活動での露出がないってことも分かる。人付き合いのいいタイプじゃないのかもね。息子とも、出木じーさんとも正面衝突してるってことは……頑固で、こうと思い込むともう引かない、絶対に譲らないってことだ。
「むー」
出木じーさんと激突したってことは、親父さんが社に出撃して息子にがち入れようとしたんだろう。
「でも、なんで社屋じゃなくて、工場なわけ?」
最初に来るとすればいきなり工場じゃなくて、まず社屋だよね。だけど息子の裏切り行為で頭が煮えてる親父に、事務所なんか見せたってしょうがない。社長は生産現場の工場を見せて、親父を説得しようとしたんじゃないかな。ほら、僕のは親父の作ってるのとはセグメントがまるっきり違うんだよって。
「でも、最初から工場ってことじゃなければ……」
親父さんは、社屋にいる社員を見ていることになる。そして、その時にはまだわたしはいない。だって、わたしは社屋で一度も社長の親父さんに会ったことがないもの。
「そうか。親父さんが出て行けと言ってる人が、わたしじゃないのなら」
それが、社長を除くメンバーの誰かってことだ。
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