(2)

 わたしが社長の突然のアクションに驚いてる暇もなく、すぐに電話が鳴り始めた。さっき工事しにきた人が、繋がってるのかどうか確認しようとしてるのかなーと思ったんだけど、一応ヘッドセットを付けて録音待機する。心構えもへったくれもない。いきなり、今日の業務スタートだ。


「はい、高野森製菓お客さま相談室です」

「出て行け!」


 この前よりもずっと大きなはっきりした男の声。でも、声質は前と同じだ。しわがれた低い声。これはお客さんからの電話ではないので、黙って切る。時間を確認する。午前9時3分。ノートに記録を書き込もうと思ったら、またかかってきた。前のも今度のも発信番号は非表示になっている。


「はい、高……」

「とっとと出て行け!」


 がちゃん。あったまくるーっ! なによこれっ!


 記録を取る暇もなく、三十分の間に二十回以上同じ内容の電話がかかってきた。さすがにうんざりする。そいつが電話で言うセリフは出て行けだけで、他に何も内容がない。相手にするだけばからしい。電話の設定を変えて、発信番号を非表示にしてる電話を着信拒否することにする。

 クレームの電話が掛かってきた時にも、悪質なクレーマーへの対策として相手の電話番号を必ず確認することにしている。公衆電話からかけてくるようなのは、間違いなくイタ電だ。まともに相手する時間がもったいない。今まではかかってくる電話の絶対数が少なかったから対象を絞ってなかったけど、これからはずっとこれで行こう。


 設定が終わった途端に、電話機が沈黙した。やれやれ。ヘッドセットを外して、椅子の背にもたれかかる。


「忙しくなるって言っても、これじゃなあ」


 さあ。電話が寝ている間にこれまでの情報を整理しておかないと。今日は朝から盛りだくさんだ。通常のクレームではないので、一冊目の業務日誌には何も書かなくていい。二冊目のノートには今かかってきたのをそのまま書けばいい。おそらく昨日と同一人物と思われるおっさんから、出て行けだけの電話が公衆電話とおぼしきところから二十数回かかってきた。発信番号非表示の電話着信を拒否して、それに対応した、と。


 三冊目のノート。これには、今朝社長が話をした内容をできるだけ正確に書き留めておかないとならない。


 火曜日。『TDY』

 全てこの部屋で、わたしの業務に関することだ。時間は午前九時。

 『IN RM AM9』


 鍵が変わった。わたし専用。

 『KY CHG Y_OLY』

 部屋に十個以上盗聴器が仕掛けられてた。

 『SPY GDS>10』

 電話回線が独立し、無線接続に変わった。

 『LN CHG 2 SPRT WRLS』

 社長の携帯とここの間にホットライン開通。

 『RMーSCH DRCT LN』

 新ルール。誰も部屋に入れるな。

 『NW_RL KPOT!』

 そして……敵の攻撃が始まった。開戦。

 『ENMY ATK!』


 敵の攻撃。わたしは、腕組みして考え込む。社長が大仰に敵っていう割には、その攻撃手段はずいぶん稚拙だ。イタ電かあ。それも、公衆電話からの出て行け連呼。芸がないったらない。声の質から言っても、どう考えても若い男じゃないだろう。おっさんだ。そのおっさんが、なぜわたしに向かって出て行けと連呼するのか? そして明らかにわたし標的のイタ電を、社長がなぜ敵の攻撃と位置付けるのか? むー、分からん。


 あ、と。白田さんのことも書いておこう。こっちは、社の話だ。

 『IN CY』

 昨日お茶休憩の誘いに来なかったのは、来客があったから。

 『NO_TEA  SR  GST_LIE』


 わたしはその場ではそうですかと頷いたけど、あれは明らかに白田さんの嘘だ。だから最後にLIE(嘘)を追加した。


 普段事務室に一人で詰めてる白田さんは、社員やお客さんが来ると、途端にすっごい賑やかなおばさんに変わる。そりゃそうだよね。ずっと一人じゃ寂し過ぎるもん。いくら相手が大事なお客さんであっても、用が済めば大声でおしゃべりする。二階が静かだから、それは聞き耳を立てなくてもすぐに聞こえてくる。でも、昨日はその気配がまるでなかった。明らかに、終日白田さんだけだったってことだ。わたしとのお茶休憩を、故意に回避したとしか考えられない。でも、その理由が分かんないんだよなー。

 怪しい御影さんは、いつもお茶の時間前に帰ってる。三時に事務室にいたことはない。わたしと白田さんしかいない状況なら、別にウソついてまでわたしを遠ざけることはないと思うんだけどなー。


 と。わたしはその途端にぴんと来た。そっか、そんなことない。白田さんの警戒は当然だ。今朝社長が言ったこと。盗聴器が仕掛けられていた……って。それがテレルームのことだけとは限らないんだ。

 白田さんが直接わたしから苦労して聞き出さなくても、普段の会話の中でわたしが社長のことをぽろっと言うのは充分ありうること。白田さんがそれを曲げて伝えても、黙ってても、もし事務室に盗聴器があれば、それは『敵』にそのまま伝わっちゃうってことだ。白田さんは、それに配慮してくれたのかな? いや、そうとも言い切れない。もし白田さんが御影って女の支配下にあるなら、その指令には逆らえないかもしれないんだ。


「む……むむむ」


 考え過ぎ? うーん。


 今の段階では何も分からない。確実な物証は、テレルームに盗聴器が仕掛けられていたっていうことだけなんだ。設置の範囲がどこまでだったのか、盗聴の対象が何なのか、そして誰が盗聴しようとしているのか、わたしには何も分からない。だからわたしの妄想は、単なる下衆の勘ぐりなのかもしれない。


 それよりも。わたしが、事務室では社長の指令や行動について一言もしゃべれなくなったってこと。わたし的には、それがものすごい堪える。これまで通りに白田さんがお茶に誘ってくれても、受け答えを慎重に調整しないとならない。


 めんどくさいなー。


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