第27話 虎退治 天空の円環

「中園三尉、よせ!」

 中瀬一佐の制止する声と合わせたかのように、部屋を取り囲む装飾された壁が、続けざまに内側へ倒れた。

 倒れた壁は合わせて5箇所、4箇所には、重装備の兵士が潜み、中央部の壁には、一条准将が姿を隠していた。

「久しぶりだな、中瀬一佐、中園三尉」

 一条准将も、胸の前にアサートライフルを構えている。

 かぐやは、驚きのあまり一瞬息を飲んだ。

 黒幕は・・・日本政界の闇将軍、苅谷要輔。そして、味方のはずのウィリアム国務次官補、さらに・・・もっとも頼りにしていた自衛隊准将、一条準哉。

 誰も信用するな、俺さえもな・・・中瀬一佐の言葉の意味は、これだったのか。

「おっと、有紗、それ以上近づくんじゃない。おまえの技は知っている。この距離を保ってもらおうか」

 かぐやは、踏み出そうとした足の動きを止めた。

 たしかに、この間合いでは遠すぎる。

「裏切ったのですか、わたしたちを」

「いや、そうではない。わたしは最初から、シンジケートのメンバーだった。Jは2人いるんだよ。正しくは、ジェイジャックシンジケートだ。もちろん、決して表には出さないがね」

「この苅谷に誘われたのですか」

「そうだ。わたしの家は平安貴族につながる名門とはいえ、家計は火の車。代々、放蕩者ほうとうものの出る家系でな。俺は極貧の中、一番金のかからない大学を選ぶことにした。防衛大学校だ。だが、わたしにも放蕩の血が流れているらしく、金に困ってどうにもならなくなってしまった。その時、援助してくれたのが苅谷さんだ」

「父と母が殺された時、わたしを助けてくれたのはなぜです」命の恩人だと思っていたのに、という言葉は飲みこんだ。

 一条准将は少し迷った顔をして、ジャックのメンバーに視線を走らせた。

「おまえは、いつも本当にめざわりな女だな。だが、もうこれで消えてもらうから、冥途の土産に教えてやろう。わたしはジャックのメンバーとして日本再構築のために資金集めに奔走していた。少々、危ない橋でも目的のためには、手段を選ばなかった。おまえの父親は官僚にしておくには惜しいような、実に骨のある男だった。わたしは、同志に迎えるつもりで、ある製薬会社との密約プロジェクトにおまえの父親を誘った。親戚でもあるし、日本の行く末を真剣にうれいていたからな。だが、不正に手を染めるつもりはないときっぱり断ってきた。その上、わたしの不正を告発しようとした。見損なったよ。生まれた時から名門中園家のはなとしてちやほやされてきたおまえの存在も気に食わなかったし、劉さんに頼んで、おまえたち一家には死んでもらうことにした」

「母は・・・?」かぐやは自分の全身が震えるのがわかった。

「旅行先で不幸な事故に遭う。よくある話じゃないか」

 かぐやは一条准将に跳びかかりたい衝動を、かろうじてこらえた。

「では、なぜわたしを」

「不幸なことに手違いが起こった。おまえが家にいなかったこと、マスコミやオタクたちが騒いで人気者になってしまったこと。わたしたちは協議して、殺すよりも隠してしまうことにした。賄賂と政治的圧力を使って、おまえを極秘訓練施設に閉じ込めた。そのまま引きこもって死んでくれればそれでいいし、いつでも殺し屋を送りこめるからな」

「残念ながら、わたしは生き残った」

「つくづくめざわりな女だよ、君は。教官の成宮を使って始末しようともしたんだが、愚かにも自滅してしまった。しかし、まぁ、特殊工作員になれば表に出ることはないし、危険な任務の中で命を落とす者も少なくない。中瀬に聞くと、跳びきり優秀だったそうじゃないか。一番、危ない仕事が回ってくるわけだし、しばらく様子を見ることにしたのだ」

「沖縄にわたしをたった1人で送り込んだのも、おまえの差し金か」

 もう一条准将に敬語を使う必要はない。こいつは、最低、最悪の敵だ。

「いいや、中瀬の判断だ。それとなく、そそのかしはしたがな。中瀬はいい上司だよ。良かったな、一緒に死ねて」

一条准将は、中瀬一佐に向き直った。

「いつからだ、わたしを疑い始めたのは」

「オペレーションBとCが簡単に失敗した時からだ。内部情報が抜けていると思った。まさか、一番トップから抜けているとは思わなかったが。あなたが関わっているとはっきりわかったのは、ニライカナイ作戦で、SLBMを打ち込んだ時だ。人質奪還作戦に、あれは必要なかった。あなたが、ウィリアムと組んで、スタンドプレーと証拠隠滅を図ったのだ。駐日アメリカ大使救出直後という絶妙のタイミングもおかしかった。でも、あなたなら可能だ。それに、調べてみたが、SLBMの誘導装置、暗号キーなど、完全なでっちあげだとわかった。あなたにしては、杜撰ずさんな策だったな。わたしは極秘で、あなたとウィリアム次官補に24時間の監視をつけた。宇宙からもあなたたちは見張られていたのだ」

「それはご苦労なことだな。だが、現場はSLBMのおかげできれいさっぱり破壊され、何の証拠も残されていない。誘爆装置が有ったのか無かったのか、今となっては永遠に謎だ。中国が、自国の原潜に関する機密情報を提供するはずはないし、われわれの策に誤りはなかった。それに、状況の変化に応じて、さまざまなオプションを用意するのが戦略の基本ではないか。いつも、おまえには言っていただろう。今日だって、おまえが来ると想定し、わたしはこのオプションを用意しておいた。おまえたちがここで死ねば、われわれの思惑通りにことは進む。最後は、オプションを多く持つ者、智恵のある方が勝つのだ」

「まもなく、わたしの部下たちがエレベーターで上がってくる。おまえたちは袋のねずみだ」

「下にはわれわれの部隊もいる。今頃は交戦中かもな・・・どちらが生き残って上がってくるか、君と賭けができないのが残念だ」

「わたしの部下は優秀だ。必ず上がってくる」

「たいした自信だな。最後まで、部下を信じるいい上司だ。だが、仮にそうだとしても、君の部下には、死体運搬袋に君たちを収納する仕事が残っているだけだ」

「逃げられると思っているのか?ヘリを飛ばして、このホテル周辺の空域は抑えてあるのだぞ」

「高層ビルには、緊急避難用のこうした道具が備えつけられている。知らないのか?」

 一条准将が指さした先には、焦げ茶色の、人の背中を覆うほどの大きさの袋が置かれていた。一見、厚みのあるバッグのように見える。

 中瀬一佐が、そのバッグの正体を理解するのを待って、一条准将は背後の兵士たちに命じてシンジケートのメンバーと自分にバッグを背負わせた。

「中瀬一佐、君も知っているだろう?この滑空型パラシュートはずいぶん遠くまで飛べる。まさか、ヘリから撃ち落とすわけにはいくまい。地上には、世界中から集まった人があふれかえっているからな」

「それも、あなたのオプションか」

「わたしは血なまぐさいことも嫌いだし、空を飛ぶ趣味もないが、しかたないじゃないか。君たちを生かしておくわけにはいかないし、ここも出なくてはならないからね」

 一条准将は、かぐやたちを部屋の中央に並べ、アサートライフルの先端を中瀬一佐に向けた。

「君の部下はとても優秀だね。今、下の様子を聞いたら、われわれの兵たちはずいぶん苦戦してるようだ。君の部下たちが上がってくることも考慮せざるを得ない、ということで、そろそろお別れだね」

 中瀬一佐は一条准将が向けた銃口を、落ち着いた様子で見ていたが、

「最後ということなら、わたしの用意したオプションもぜひ、お目にかけよう」と言って、口元の発信器に向かって、GO、とつぶやいた。

 ペントハウスの両サイド、ペルシャ湾側と陸地側の天井から床まで続く大型ガラスに、下から浮上してくるステルスブラックホークの機影が映った。

「伏せろ!!」

 中瀬一佐の声に、かぐや、リュウ、佐知の3人は素早く身を伏せた。

 轟音とともに、大型ガラスが粉々に飛び散り、突っ立ったままの一条側の兵士たちに襲いかかった。せっかく立ち上がることのできた苅谷、劉、朴、ウィリアムたちだったが、爆風をまともに浴びて吹き飛び、床に叩きつけられた。ウィリアム国務次官補の銀縁メガネは持ち主を離れ、粉々にくだけちってしまった。

ロケットランチャーによってガラスが吹き飛んだ大きな開口部から、たちまち熱を帯びた外気がペントハウスに押し寄せてくる。

 その空気に乗って、左右の窓から、黒い人影が二つ飛び込んできた。

 その影は左右に分かれ、ガラスの破片を払いのけている兵士たちに向かっていき、一つの影は手裏剣状のものを2人の兵士に立て続けに投げつけて銃の威力を封じると、連続する三段の蹴りで壁の奥へと兵士の巨体を叩き込んだ。

 もう一つの影は、直進しつつも微妙に揺らぐ全身の動きで相手を幻惑させ、2人の兵士が放つ銃弾を避けてまたたくまに近づくと、それぞれの経穴を突いて手品のような鮮やかな手並みでライフル銃を取り上げた。

 ライフル銃は後方に棄てられ、兵士たちはその場に音も無く崩れ落ちた。

 肉眼を欺く幻体の揺らぎ、流麗かつ精緻な神速の連続技、湧き起こる雲のような変幻自在、融通無碍な動き・・・

 伊波師夫・・・

 かぐやは信じられぬものを見た思いで動きが止まり、立ち上がるのが一瞬、遅れた。

 その一瞬の隙を突いて、一条准将が猛烈な勢いで大型ガラスの開口部へ突っ込んでいった。

 かぐやは無意識に反応し、一条准将の後を追った。

 一条准将の全身が宙に浮いた。

 続いて空中に浮いたかぐやに、いつかの不思議な空間感覚が甦ってきた。虚空に描かれた一の円、二の円、三の円、四の円。そして、天と地の境を越えた自在の空間、天の視座。

 導かれるままに、かぐやはドバイの碧空に円環を描いた。

 放物線を描いて落下する一条准将の背中には渾身の蹴りが打ち込まれ、一条の体が大きく前方に押し出されるとともに、パラシュートの開傘かいさん部が破壊された。

 さらに、一条准将の体は勢いよく前方で回り、誰かを抱きかかえるような姿勢で、かぐやを見つめたまま地表へ向かって落ちていった。

 かぐやは空中で体をひねって体勢を整えると前方に2回転し、ペントハウスの二階下にせり出していたテント地の屋根に着地し、その反動を使ってホテル壁面のわずかな突起部分に飛び乗って空中高く跳躍した。

 かぐやの手が、伊波を送り込んだ後、ホバリングしていたブラックホークの最底部に伸びているスキッドと呼ばれる棒に届いた。

 かぐやの動きを察知したブラックホークのパイロットは高度を上げ、スキッドに片手でぶら下がっていたかぐやの体をペントハウスの高さまで持ち上げてくれた。

 ペントハウスの破壊された窓から、リュウが身を乗り出して大声で叫んでいる。

「姐さん!!!」

「リュウ!師夫は・・・」

 かぐやも大声で叫び返した。

 リュウの後ろから、伊波師夫がいつもと変わらぬ、穏やかな顔をのぞかせた。

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