第26話 虎退治 フェアバーン・リゾートにて

 中東にあるドバイはペルシャ湾の沿岸に位置し、アラブ首長国連邦第2の人口を有する。巨大ショッピングモールと観光名所が多くの人を引きつけ、世界金融センターとしても繁栄している世界都市である。

 ドバイで最も有名なのは、世界一の高さを誇る、160階建て、全高828.9メートルのブルジュ・ハリファであるが、その他にも超高層ビルが林立し、見る者を圧倒している。

 ホテル「フェアバーン・リゾート」もその超高層ビルの一つであり、ブルジュ・ハリファの南西方向にペルシャ湾を臨んで建っている。他の多くのホテルと同じように、低層階には大型ショッピングモールと、映画館やスカッシュコートなどのアミューズメント施設を備えているが、上層階には他のホテルと違って展望フロアやレストランなどを設けず、世界中のVIPがこころおきなく過ごせるスイートルームのみの構成となっている。

 さらに、最上階はワンフロアのみのペントハウスとなっており、首長国の王族、各国のロイヤルファミリー、首脳レベルの政府要人でなければ利用できない内規が定められていた。

 そのため、ペントハウスに上がるためは、他の宿泊客とは違って、地下のフロアから専用の直通エレベーターを使わなければならない。

 しかも、その出入口となるエレベーターホールは、精巧な監視装置と選び抜かれた警護団がしっかり固め、許可を得ていない者が接近することは不可能であり、施設利用料金とセキュリティーの高さでは世界最高レベルを誇っていた。

 この日、気温が下がり始めた午後、その部屋には4人の男が集まっていた。夏のシーズンには摂氏50度を越す酷暑に見舞われるドバイも、彼らが集まった12月からは摂氏30度を切るようになり、最低気温も16度まで下がって過ごしやすくなる。

 男たちは、イタリア製の高級家具カッシーナのソファに深々と身を沈めていた。

 やがて、給仕長が現れ、世界で5百本限定のフランス産ヴィンテージワインとワイングラスを運んできた。このワインの値段は、優に給仕長3ヶ月分のサラリーを超える。

 ワインが注がれ、給仕長はうやうやしくお辞儀をして専用エレベーターで下へ降りていった。

 男たちの1人がワイングラスを手にして立ち上がると、他の3人も立ち上がった。

 最初に立ち上がった男は、全員の顔を見回し、声を上げた。

「われら、ジャック・シンジケートの栄光に!」

「栄光に!!!」

 3人の男が呼応して、グラスを差し上げてから飲み干した。

 最高級ワインの味に満足した全員がソファに腰を下ろすと、銀髪で背の低い男が、もっさりとした感じで話し始めた。

「おかげさまで、わが日本の沖縄に対する主権は回復し、本土の政治経済も安定してきました。株価も暴落から一気に上昇に転じています。極端な円安も収まりつつあり、通貨の方もひと安心といったところです」

 銀髪の男の隣に座っている刈り上げ頭の男は、目の下のたるみが異常に大きい。

「それで、株のカラ売りとこの上げ相場でいくら稼いだのだ」言葉に中国なまりがある。

 カラ売りとは、証券会社などから借りた株を売っておき、株が下がったところで買い戻してその差額を利益とする手法である。通常、信用取引と呼ばれる制度を利用するため、損益は3倍になる。思惑がはずれて株が高騰したりすると逆日歩と呼ばれる金利を払う必要が出てきたり、損害を補てんする追加資金を求められたりするリスクを負うが、株価が暴落するとわかっていれば、リスクなしで一挙に巨額の利益を手にすることができる。アメリカの2001年同時多発テロ、ヨーロッパで頻発する中小規模のイスラム過激派テロの発生時、保険会社の株をカラ売りして大儲けした連中がいるという噂がささやかれたが、確たる証拠もなく、実態は不明である。

「一兆のちょっと手前といったところかな」

 こともなげに銀髪の男は答えた。

「まあまあだな。アメリカさんはどうだった?」

 刈り上げ頭は、向かい側にやや窮屈そうに座っている、金髪で青い目の男に話を振った。

「アメリカのダウは日本ほど動きませんからね。とりあえず、日本の市場でもこっそりやらせてもらいました。苅谷さんの半分、FX(外国為替保証金取引)と合わせて片手といったところでしょうか」流暢りゅうちょうな日本語であった。

 銀髪の、苅谷と呼ばれた男の向かい側に座っている、胡麻塩ごましお頭をスポーツ刈りにしている男が口をはさんだ。軍人のような体型である。

「わが韓国市場はだめだ。規模が小さすぎるし、南北の緊張感が以前から高まっていることもあって低いままだ。仕掛けが難しいのだ。リイさんの中国はどうだった?」

 刈り上げ頭の劉は、目の下のたるみを指でこすりながら答えた。

「かなり頑張ったよ。上がり下がりの激しいのがわが中国の特色だからね。戦勝ムードで沸き上がったときは最高に良かったよ。でも、パクさんところはこれからでしょ、いよいよ戦争ドンパチが始まるから。軍関係は、得意の分野だよね」

「難しいよ。いろいろ儲け話はあるけど、リスクも多いから。皆さんの力を借りて、せいぜい稼ぐけれどね」

 銀髪の苅谷が、全員のワイングラスにヴィンテージワインを注ぎ込んだ。

「何はともあれ、今度の独立騒ぎを演出したおかげで、日本円で2兆を超す資金が手に入った。われわれが目指す、新東亜共栄圏の実現に向けた、大きな一歩だ。さぁ、もう一度、乾杯しようじゃないか、そうだな、今度はアメリカ軍を思い通りに動かしてくれた最大の功労者、ウィリアム君に乾杯の音頭を取ってもらおうか」

 長身のウィリアムが立ちあがった。

「では、御指名にあずかりましたので、皆さん、どうぞ席はそのまま・・・Cheersチアーズ!」

 グラスを飲み干し、上機嫌の苅谷が卓上のインターフォンを取り上げて、何やら伝えると、3人に対してにこやかに笑いかけた。

「さてと、この成功を祝して、極上の女たちを呼んであります。どうぞ、心ゆくまで愉しんでいってください」

「Oh,No・・・わたしにはあまり時間がない。国際軍縮問題会議が迫っています。苅谷さん、急いでください」

 ウィリアムが苅谷に懇願した時、専用エレベーターの到着音がして、扉が開いた。

4人の耳目が一斉に扉へと注がれた。

 エレベーターの中から、均整のとれた体型の女性が4人歩み出てきた。4人とも薄い紗の長い上着をまとっているが、生地が透けているため、その下に半裸の体が見え隠れする。

 女性たちの後ろには、黒服のボディガードが二人直立して控えていた。ボディガードは、女性がそれぞれ問題なく男と個室に消えれば、階下に降りて待機することになっている。

 苅谷は、女性たちを手招きした。

「ウィリアムさん、あなたからどうぞ、好きなを選んでください」

 ウィリアムは目を輝かせ、乾いた唇をなめた。

 4人の中間に立っている2人は、東洋的ないでたちで、美麗な目元だけを残して顔の下半分を薄いベールで隠していた。

 ウィリアムは2人のうちどちらかにしようと決めたらしく、目を輝かせて品定めを始めた。

 右側の女は、濃い、くっきりした黒い宝石のような瞳を持っている。黒目がひときわ大きいところが気に入った。

 左側の女は、少しだけ瞳の色が薄く、額から、目元、鼻筋までのすべての輪郭が完璧なラインを描いている。薄い瞳の色もうれいを含んでいるようで、単純にひと塗りしたような色とは明らかに違う、エキゾチックで蠱惑こわく的な色彩であった。

 ウィリアムは若いころから東洋美をリスペクトしており、左側の女の美しさに強く惹かれた。

 苅谷に自分の選んだ女を告げようとして、ウィリアムはふと思い直して右腕を伸ばすと、左側の女の顔を半分覆っているベールをはずした。

 この女・・・どこか、見覚えがある・・・

 濃い化粧をして、男の目をとろかすような衣装を身につけているが・・・まさか、ニライカナイ・・・

 ウィリアムは記憶を呼び起こした。

 そうだ、日本の部隊にいた超美形の隊員・・・確か、名前が、中園三尉。

 だが、なぜだ、なぜここにいる?

 ウィリアムが驚きの声を上げようとした瞬間、彼の体は床に抑えられ、経穴を突かれて身動きが取れなくなった。

 かぐやはウィリアムの制圧を終えた次の瞬間、隣にいた苅谷の正面に立ち塞がって行動を制限した。苅谷の体は固まった。

 ソファの周りでは、かぐやの隣に立っていた佐知がたちまちのうちに、韓国人と中国人を制圧していた。

 エレベーターの前で、直立待機していたボディガードが2人とも歩み出て、かけていたサングラスを外した。

 1人は、中瀬一佐、もう1人はリュウである。

 中瀬一佐は、苅谷に向かい合った。

苅谷要輔かりやようすけ、元副首相。ようやく見つけました。今回の黒幕は、あなたですね」

「どうやって見つけた。後学のために、聞いておこう」

「あなたに、この次はありません。あなたの寿命のある限り、この大混乱を引き起こした責任をとってもらいます」

「幹事長の中野が、ここを探り出したのか?やつの古ぼけた中国ルートで」

「そうですね。ここにいる中国共産党序列第8位、中央規律検査委員会書記の劉については、中野幹事長から情報を得ました。あなたについても、もちろん。日本の戦後政治の闇将軍と言われたあなたのことをね。ただ、わたしがあなたに最初に行きついたのは、あなたの認知していない娘が生んだ子、つまり孫娘の線からです。元沖縄県知事、新垣里江、そうですよね」

「わたしの孫という証拠は何もない」

「公式には、です。しかし、元アイドルの新垣を立候補させ、指南役に送り込んだ男はあなたの政治家時代を支えた男だ。片腕と言っていい。それに、多額の現金をふんだんにばらまき、若者たちの票を買った。その資金の流れも調べがついています。少々派手にやりすぎましたね。新垣里江自身も話し始めていますよ、あなたからの指示で動いていたと」

「だめな娘だ。母親もだめなら、やはり娘もくずか」

「あなたに、それをいう資格はないでしょう。長年、日本政府の要職にありながら、金権政治を横行させた。挙句の果てに、沖縄を中国に売り渡そうとした」

「あのちっぽけな島は、米軍の基地という価値しかない。中国にくれてやっても別にかまわんだろう。平和ボケで堕落した日本人の目を覚ますのは、これぐらいしてやらんといかんしな」

「あなたは国を売った。恥ずべき売国奴だ」

「頭の固い男だな。日本は戦争に負けて無条件降伏をした。そこへアメリカがGHQとしてやってくると、新しい憲法を強引に押し付け、自分の領土も国民も護れない国にした。沖縄を取り上げて、平和条約締結後も長いこと返さなかった。そして、安保条約でぐるぐる巻きにして、さらに手足を縛りつけた。日本は未だにアメリカの植民地だ。今度の騒ぎを見ろ。自国の問題を解決する力もなく、何もかもアメリカ頼みだったではないか。わたしがこの10年間で仕掛けたのは、沖縄という小さな独立を狙うものではない、わが日本の真の独立を実現するためなのだ」

「そのためにウィリアム国務次官補を抱き込んだのですか」

「彼は昔、日本の古代史と美術を学ぶために留学していた。きわめて優秀な学生で、何かと世話をしているうちにわれわれは意気投合した。アメリカでの出世も最大限、後押したしたよ。抱き込んだのではない、いわば同志だ」

「あなたが秘密裏に、東アジア共栄圏の勉強会を組織したことも聞いています」

「そうだ。そこから信頼できるメンバーを選抜し、最終的にこのメンバーによるシンジケートを作った」

「ジャック・シンジケートですか・・・・」

「結果として、四カ国の代表が集まったのだ」

 苅谷のいう、四カ国の代表によるジャック・シンジケート(JACK Syndicate)の構成はこうである。JはJAPAN、AはUNITED STATES OF AMERICA、CはCHINA、KはKOREA、を表している。4人それぞれの国籍である。

 もちろん、シンジケートの名称はおろか、存在自体が公にされることは決してない。

「では、それぞれの国の法に基づいて罪を償ってもらいましょう。あなたたちがしでかしたことは、10や20の罪状ではすまないはずです。あなたたちの野望のためにたくさんの人が死んでいるのです」

「大事の前の小事、取るに足りんことだ」

苅谷の言葉が終らぬうちに、かぐやの身がひるがえり、胸の経穴をえぐられた苅谷が汚物を床に撒き散らして昏倒した。

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