第25話 正統後継者 皆伝書と短刀

 日本政府は、沖縄における主権を回復した。

 岸部内閣総理大臣自らが専用機で沖縄に飛び、政府が沖縄の復旧、発展に全力を挙げる決意を表明した。さらに、基地問題、日米安全保障条約及び日米地位協定の根本的な見直しに、挙党体勢で取り組むことを約束した。

 体調の回復に努めていた駐日アメリカ大使メアリー・ウッドワードも元気な姿を見せ、全面的な協力を申し出た。

 アメリカ国務省ミーガン・ハーフ報道官は、沖縄南部への爆撃は日本政府の要請であり、沖縄独立派の中でも強硬な武力行使グループによる大規模な軍事行動を阻止するものであり、正当かつ有効な攻撃であったと説明した。

 中国外務省は、日本の内政問題であり、わが国の関与する問題ではないと突っぱねた。南西諸島ラインへの軍事行動に関しては、自国防衛のための緊急措置であり、なんら侵略の意図を持ったものではない、その証拠に、拿捕された原潜の回収も終了し、現在は一隻たりともその海域に中国船舶は存在しないと居直った。

 前沖縄県知事の新垣里江、副知事らの沖縄独立派は、任意の聞き取りを受けていたが、どこで聞き取りが行われているか、誰が尋問しているかなどの詳しい内容はどこからも伝わってこなかった。

 すでに熱狂から冷めていた沖縄県民の多くが、短期間のうちに以前の生活に戻っていった。

 

 かぐやは、恩納岳の麓、知念夫妻の家に、リュウ、佐知とともに身を寄せていた。

 知念夫妻は3人の無事を、とりわけ佐知の無事を喜んでくれたが、伊波師夫のことには触れなかった。ただ一度だけ、知念師範が、大義に生きたのだとつぶやく声をかぐやは耳にした。

 朝早くから、星々が夜空を飾るまで、かぐやは長峰師範の墓前に居続けた。家に戻るのは、わずかな時間だけだった。出される食事にもほとんど手を付けなかった。

 

 旧海軍司令部地下壕の通路で、確かにあの時、自分は天の視座にいた。

 平面でもない、単なる立体でもない、空間が自在となる、天をかけるような円環術を得た。

 だが、それは二度と姿を現さない。

 どんなに思念を凝らしても、内功をめても、よみがえってこない。

 あれこそが、わたしの奥義、わたし自身の流心だと確信したのに・・・

 わたしの流心は、伊波師夫とともに、うたかたのように消えてしまった。


 かぐやはそれでも、長峰師夫の墓前でひたむきに修練に励んだ。そうしなければ、打ち寄せる悲しみと苦しみに打ち負かされそうであった。鬼気迫るその姿は、リュウであっても近寄りがたいものがあった。

 知念夫妻家に奇寓して5日目、かぐやは知念師範に呼ばれて、奥座敷へ入った。

 そこには、正装した知念師範が座っていた。

 促されて、かぐやは知念師範の前に座った。

 知念師範は手にした古ぼけた経典を差し出した。かぐやには、それが仏教の巻物のように見えた。

「これは、東雲流の皆伝書です。奥義の書はありません。奥義は口伝とされ、一子相伝として受け継がれてきました。というより、教えられて習得できるものではないのです」

 さらに、知念師範は横に置いた短刀を手にした。

「この短刀はいつ頃から伝わったものか、さだかではありません。ただ、東雲流正統継承者のしるしとして、受け継がれてきたものです。受け取ってください」

「とんでもありません。わたしのような未熟者が、継承者などと」

「伊波に言われておりました。自分に何かあれば、佐知を護って幸せな人生を送らせてくれと、そしてあなたを連れてきてから、伊波の願いが一つ増えました。ここで終わるはずであり、長峰師範の墓に納めて終えるはずだった皆伝書と短刀を、あなたに渡してほしいと。きっと、あなたなら修練を怠らず、奥義流心を会得するだろうと」

「師夫が、そんなことを・・・」

「とても、嬉しそうでした。伊波があんな嬉しそうな顔をするのは、本当に久しぶりでした」

「わたしには、何もおっしゃいませんでした」

「時間がなかったのでしょう。それとも他の理由があったのか、今となってはわかりません。ただ、これは伊波の遺志であり、わたしたち東雲流を学ぶものの願いでもあります。どうか、東雲流第十八代宗家をお引き継ぎください」

 深々と、知念師範は頭を下げたまま動かなかった。

「待ってください。わたしには、まだ・・・」

 美しい眉を寄せて苦しげな表情のかぐやを見て、頭を上げた知念師範は柔らかい声で言った。

「受け入れられないでいるのですね、伊波が帰ってこないことを・・・わたしも、伊波がいつものように、あの土間を抜けて現れるような気がするのです。師範、またお世話になりますと言ってね」

「継承者とか、とても、そんな・・・わたしは一度だけ、流心に触れた気がしたのですが、幻のように消えてしまいました。今は、どれほど頑張っても、あの時の天空を舞うような特別な感覚を思い出すことができません。伊波師父の後を継ぐ力など、とてもありません・・・」

 知念師範の顔に穏やかな笑みが浮かんだ。

「まさに歴史は繰り返す、ですな。長峰師範が死んだ後、伊波はまさに、今のあなたと同じでした。がむしゃらに修練し、自分を追い込んでいましたが、何もかもすべてが失われてしまったと打ちひしがれていました。師範の墓を建て、三日もそこに座り込んでいたこともありました。それでも、伊波は立ち直った。流心による至高の拳を会得し、第十七代の宗家の正統継承者となったのです」

 かぐやは唇を噛んだまま黙っていた。

 この混乱と苦悩を抜け出し、伊波師父が到達したような奥義に至る自信など少しも湧いてこなかったからである。

 知念師範は皆伝書と短刀を膝の前に揃えた。

「伊波はものにこだわらない男で、これもわたしに預けっぱなしでした。大切なのは、こうしたものをありがたがることではないと、知っていたのでしょうね。わたしも、あなたにこれを押しつけるつもりはありません。伊波の遺志は、すでにあなたに受け継がれているわけですから」

 かぐやが、重い口を開いた。

「あんな、短い時間では・・・」

「時間の長さが問題ですか?伊波が初めて本気で、全身全霊であなたに東雲流奥義を伝えようとした。そのことがすべてではないでしょうか」

 伊波と過ごした濃密な、かけがえのない修行の時間・・・

 かぐやの瞳から、真珠のような涙の粒がこぼれ落ちた。

「知念師父、しばらくここでお世話になってよろしいでしょうか。時間をいただきたいのです」

「お好きなだけ、どうぞ。ここは、あなたの家です。遠慮はいりません」

「ありがとうございます・・・ありがとうございます」

 知念師範の優しいいたわりのこもった言葉が、かぐやの心に深く沁みわたった。


かぐやの新たな修行の日々が始まった。

 修練はいっそう激しさ、厳しさを増していった。

 山の庵に出かける準備も、リュウと佐知と一緒に調えた。しばらく留守にしていたため、何かと運び上げるものも多かった。

 だが、明日は山に登ると決めた日の午後、かぐやの予定は変わることになった。

 知念夫妻の家に、中瀬一佐が訪ねてきたのだ。かぐやは長期休暇を申請し、中瀬にだけは行き先を告げていた。

 中瀬一佐はニライカナイ作戦終了時の沈痛な表情から、いつもの厳しく引き締まった表情に戻っていた。任務を全力で果たそうという強い意志の現れている顔だった。

「中園三尉、休暇は終わりだ。出かけるぞ」

「任務は何ですか?わたしはまだ、修業に専念したいのですが」

「ニライカナイ作戦」

 中瀬一佐の言葉に、かぐやは耳を疑った。

「あれは、もう終わったのではありませんか」

「わたしの中では終わっていない。第3行動の開始だ」

「オペレーションの中身を教えてください」

「ニライカナイ作戦の最終章、虎退治だ」

「虎退治、ですか?」

 日本では、虎退治といえば武将の加藤清正、一休和尚の話となるが、中国では汚職と腐敗にまみれた政府高官を摘発することをいう。

 このままではすまさない、決して・・・という思いは中瀬一佐も同じだったのだ。

 かぐやは確信した。

 今回は、中国版に違いない。

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