第23話 仇敵 好敵手として

 トンネルαから戻ってきた小栗隊長と地下壕を先に進むと、遠くから銃声、スタングレネード、爆薬の破裂音などが響き渡ってきた。

 トンネルβのチームは、相当激しい戦闘を繰り広げているようだった。

 旧幕僚室へたどりつき、小栗隊長のバックアップを受けて、伊波は先に室内へ入った。

 かつて、太平洋戦争の沖縄戦末期、この部屋で幕僚は手榴弾によって自決した。壁には無数の破片が食い込んだままになっている。

 部屋には、乱雑に積み上げられた食料や水などの生活必需品と武器・弾薬が占拠し、片隅には大量のごみが山積みとなっていたが、他には何も無かった。

続いて、通路の反対側にある旧司令部を覗く。

 部屋の中央には木製の机が置かれ、椅子が3脚囲んでいた。

 その3脚の椅子のうち、2脚に人が座っているのがわかった。

 殺意は、伝わってこない。

 伊波は通路の小栗隊長に合図して、旧司令部に踏み込んだ。

 一番奥の椅子に、曹列缺ツアオレツケツ、手前の右側の椅子に、駐日アメリカ大使、メアリー・ウッドワードが座っている。

 彼女は拘束もされず、さきほどの沖縄防衛局長、神田由起夫よりもずっと健康状態はよさそうだった。

 伊波が進み出ると、

「待っていたぞ。さっさと連れていけ」曹は日本語を話した。

「解放するのか?」伊波の問いに、曹はけだるそうに右手を振った。

「いいんだ、もう」

 曹の言葉から雰囲気を察して、メアリー・ウッドワードが立ちあがった。小栗隊長はすばやく駆け寄って警護の体勢をとる。

 伊波は小栗隊長に顔を向けた。

「先に、大使を外へ連れ出してください。わたしは、この男に話があります」

 小栗隊長は、一瞬、迷った表情をした。

「いいんですか、それで」

「かまいません。大使の安全が最優先です」

「わかりました。お気をつけて」

 小栗隊長は駐日アメリカ大使を促し、通路へ出て、トンネルαへ向かった。

 伊波は曹に勧められるまま、椅子に腰を下ろした。

「ずいぶん投げやりだな。闘わなくていいのか?」

「何のためにだ。俺は祖国に棄てられた。命がけで闘う意味がない」

 曹は手酌で紹興酒を飲んでいた。伊波も勧められたが、身振りで断った。

「君の部下たちは闘っているぞ」

「やつらはやけを起こして血を見たいだけなのだ。武芸しか取り柄のない馬鹿な連中さ。政府お気に入りの本隊はもう、うまいこと逃げてしまった。残された守備兵たちは、まだ棄てられたことも知らない。今ごろは、アメリカ兵に皆殺しにされているだろう」

「おまえはなぜ、ここに残された?」

「最初俺は、責任者として残されたと思っていた。だが、本隊も、司令官も都合良く消えて、俺はようやく気づいた。まぬけな話さ。・・・俺は、知りすぎたんだ。中国政府首脳の汚れた、残忍な本当の素顔をな。もう用済みなのさ。できれば消してしまいたいのさ、汚れた過去と一緒にな」

「投降して、日本政府に協力すればいい」

「世界一、スパイ組織の弱い国でか?笑わせるな、日本の本土なんかへ行ったらたちまち消されてしまう。いったい何人のスパイが日本政府の中枢に潜り込んでいると思う?驚くほどの数だぞ。ここにいるほうが、いくらかましだ。それに、おまえに会いたかったからな」

「わたしが来ると思っていたのか?」

「人質がいる限りはな。連中は二度も失敗した。俺がいる限り、いくら兵隊を集めても無駄だ。それに気がつけば、当然、沖縄にいるおまえを連れてくる。きっと、おまえは俺を憎んでいるだろうしな」

「当然だろ。おまえはどうなんだ?まだ、わたしを殺したいのか?」

「馬鹿を言うな。俺は、おまえの武術だけは認めているんだぞ」

「暗器で、殺そうとしたのに?」

「俺は五卦拳という組織の人間だった。命じられれば、従うしかなかった」

 曹列缺の表情に、寂しげな陰が浮かんだ。

「長峰師父を殺したのは、なぜだ」

「俺は付いていっただけだ。俺が本気で長剣をふるってなかったことは、おまえが一番よく知っているだろう」

 たしかに、自分と長峰師父を狙った攻撃陣の中で、曹列缺の動きは鈍かった。

「あの後、組織を抜けたのか」

「追い出されたのさ、失敗をとがめられて。利用価値がなくなったのだろう。いつも、俺は仲間はずれにされる。今と同じさ」

「どういうことだ」

「俺の親父は福建省で貿易を手広くやっていてな、この沖縄にもしょっちゅう来ていた。そこで、出会ったのが俺のおふくろさ。おふくろは悪徳商人の中国人に騙されて子供を身ごもったと村八分にされ、泣く泣く中国へ渡った。だが、おやじには中国人の正妻がいてな、生活費はくれたものの、後は何にもしてくれなかった。おふくろは他に生きるあてもなくひたすら耐えて、必死で俺を育ててくれた。人前では絶対に日本語を使わなかったが、俺には、しっかりしこんでくれた。いつか、きっと役に立つからと。まぁ、その見込みははずれたがね。俺はずっと差別といじめに遭い続けた。おやじも気づいていたが、正妻に気兼ねして、見て見ぬふりをした。俺は、強くなって生き抜くしかなかった。だから、五卦拳に入門した。そうとうワルになっていたしね。おふくろは嘆き悲しんだが、おかげで俺は誰にも負けないほど強くなった」

「中国政府の暗殺部隊を指揮していると聞いたが」

「とんでもない。臨時で雇われただけだ。ここに置いていかれた連中もそうさ。中国お得意の誇大宣伝で、俺は世紀の殺し屋、非情の暗殺拳にされちまった。迷惑な話だ、まったく・・・だけど、おまえとの勝負、あれだけは本気だった、楽しかったよ」

 伊波は、じっと曹を見つめ続けた。

 真正武術大会での死闘、長峰師父を喪った夜、中国への渡航の禁止、恩納岳での修行の日々・・・

 復讐への念がこうじて、自分が抑えきれない日々が続いた。

 この世で、ただ一つの望み、それは、曹列缺に死をもって償わせること・・・だが、かなうことのない望み。

 抑えきれぬ怒りの炎を何とか鎮めよう、制御しようと、死に物狂いで取り組んだ恩納岳での修行・・・

 それが、今こうして、目の前に座って淡々と紹興酒を呷る曹列缺を見ると、高い高い橋をひたすら歩いていたのに、ふと下をみると橋が消えて自分だけが宙ぶらりんに浮いているような奇妙な感覚に襲われた。

 どこまでも人生の歯車が噛みあわない、不幸な男。

伊波は、自分もまた、同じではないかと思った。曹列缺1人を仇と決めつけ、復讐心を抱き続けていた。その単純さは、どこから来たのだろうか。自分の無力さ、ふがいなさから長峰師父を死なせてしまった心の痛みから逃れたくて、曹にすべてを負いかぶせてしまったにちがいない。伊波は、自分の心の弱さを知った。

伊波は、曹列缺の手から紹興酒を取り上げると、一息で飲み干した。

 曹は、嬉しげな表情を浮かべ、伊波の返したガラス盃に、紹興酒を満たすと自分も飲み干した。

 ガラス盃が再び伊波に回された。伊波は紹興酒を飲み干し、曹に尋ねた。

「で、これからどうする?いつまでも居座るわけにはいかないぞ」

「そうだな、この茶番劇をそろそろ終わらせることにするか。・・・伊波、最後に、嘘偽うそいつわりのない真正な勝負をしてくれるか?」

 武術家曹列缺の目が、武術家伊波洋の目を正面から捉えた。

「望むところ・・・」伊波はヘルメットとタクティカルベストを脱いで、足下に置いた。

 椅子に座ったまま、二人の内功が高まっていき、机も空いた椅子もガタガタ震えだし、立ち上る内功に呼応した周囲の空気が不規則に流れ始めた。

 内功が頂点に達した時、二人はほぼ同時に立ち上がり、曹は両手を伸ばして掌拳を繰り出した。

 一分の隙もない、すさまじい威力の拳精が伊波に襲いかかる。

 伊波は、右手を支点に体全体を横にロールさせて机を飛び越え、掌拳をかわした。そして、着地するやいなや、後ろ宙返りで机上に跳び乗った。

 かがんだ姿勢から、伊波の右足がぎ払うように曹に向かった。

 曹は、持ち上げた椅子で伊波の回し蹴りを防ぎ、木端微塵こっぱみじんになった椅子の木片が部屋中に飛び散った。

 次いで、曹は机に両手をかけると、伊波ごと机をひっくり返そうとした。

 恐るべき剛力である。

 伊波は、前方宙返りで地面に降り立った。

 間合いを詰めていた曹が、蹴り技を放つ。

 回し蹴りで下顎を狙い、足を降ろすことなく前蹴りで胸の経穴を狙い、最後は横蹴りで腹部の経穴を狙う、目にも止まらぬ三段蹴りの荒業である。

 真正武術大会以来、さらに磨きをかけた曹の必殺技は、誰にも破られたことはない。

 伊波は曹との間合いの一歩を五分割した、円環術奥義である流心でこれに対処した。

 曹は、自分の蹴りが伊波の下顎の経穴である勝掛かちがけ、胸の胸尖きょうせん、腰の妙見みょうけんに確実に打ち込まれたのを見た。だが、打ち砕く骨の感覚も、肉の感覚伝わってこなかった。

 曹の脚は伊波の幻体を蹴り上げたのに過ぎなかったのだ。

 蹴りを収めた曹の左軸足が、伊波の右脚にからめ取られ、刈り取るような手刀が首を打撃した。

 曹の体は仰向けに倒れた。

 伊波は、追い打ちをせず、曹が体勢を立て直すのを待った。

 首を何度か軽く回し、構え直した曹は、愉しげな笑みを唇に浮かべた。

「さすがだな。では、もう一手・・・」

 曹が体を低くして猫虎びょうこの構えをとり、伊波に仕掛けようと動いた瞬間、地下壕全体が大音響に包まれ、地震のような揺れが旧司令室を襲った。

 壁と天井の一部が剥落し、地面に散乱した。

 曹が叫んだ。

「くそっ、生き埋めにするつもりか」

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