第19話 政治的取引 誰も信じるな

 かぐやも伊波たちとそろって退室しようとしたが、中瀬一佐に呼び止められた。

「強襲作戦について詰めておきたい。君は、残ってくれないか」

 かぐやは、ひとりだけ作戦会議室に残って、椅子に座り直した。

「強襲作戦に変更はあるのですか?」

「いや、大筋は変わらない。実行あるのみだ」

「さきほどの中野幹事長が言っていた、中国の説得とはどういうことですか。その影響は今度の作戦におよないのですか?」

「われわれは、今までそれを待っていたのだ。中野幹事長の中国当局への説得がなければ、この作戦は成立しない。ニライカナイ作戦が成立する第一条件なのだ」

「たしかに、このままでは、米中戦争になるか、大量の死者が出るはずだと誰もが思っていました。でも、中国軍が手を引けば、沖縄はすぐに戻ってくるのでは?」

「そうはいかない。中国国内では、多くの国民が熱狂しているんだ。日本政府を軍事的にねじふせた快挙に加え、南西諸島ラインを支配し、念願だった尖閣諸島を手にした。どうやってその熱を冷ますか、中国政府首脳も今頃、頭を悩ませているはずだ」

「中国政府をどうやってそこまで譲歩させたのですか?日本政府は、どんな交渉をしたのですか?まさか、南西諸島をあきらめたとか・・・」

「いや、それは譲れない。日本の領土の一片たりとも中国には渡さない。それが交渉の絶対条件だった」

「中国の得るものがないじゃないですか、それでは」

「アメリカとの戦闘が避けられる。中国の首脳も、アメリカの駐日大使まで拉致するとは、想定していなかった気配がある」

「やりすぎた、というわけですか」

「そうだ。アメリカを怒らせすぎた。国際的な非難も高まっている。もちろん、中野幹事長の使った手はそれだけじゃない。幹事長は今回、アメリカ政府首脳とも連携して日本の領土を護り、沖縄を奪還するための切り札を切ったのだ」

「何です?それは?」

「朝鮮半島だよ」

「韓国と北朝鮮ですか?」

「そうだ、恩納岳で幹事長が言っていただろう。そもそも沖縄が独立宣言されてしまったのは、朝鮮情勢の悪化に気をとられていた日米の失策だったと。だが、今回、日米は逆にそれを利用した」中瀬は、辺りをうかがうように一段と声を潜めた。

「いいか、まもなく38度線をはさんだ大規模な軍事衝突が起こる。第2次朝鮮動乱の始まりだ。北朝鮮は当初、勢いに乗って韓国内を蹂躙じゅうりんする。これは1950年の朝鮮動乱とおなじ構図だ。迎え撃つ韓国軍は果敢に戦うものの、なぜか米軍の支援は行き届かない。ようやく、韓国からの矢のような催促に応じて、米軍は砂漠の嵐作戦のような大規模な攻撃を開始し、数日内に北朝鮮の首都である平壌を包囲する」

「独裁国家の終焉しゅうえんですか」

「いいや、即時アタックを実行すれば、総書記は建物のがれきと共に埋もれるか、自殺するしかないだろう。だが、米軍は動かない。補給路の確保が先決だとか、一般市民の安全を優先するとか言ってな。そのうち、総書記は中国へ脱出し、臨時政府が立ちあげられて米韓と和平交渉を始める」

「南北統一が図られるわけですか。多くの被害が出ても、それは民族の悲願ではありませんか」

「いいや、米韓は交渉の末、臨時政府を認めて撤兵する。臨時政府は中国との結びつきをいっそう強め、莫大な復興支援を受けて再生する。中国に亡命した総書記は政治的権力をすべて失い、飼殺しにされる。誰も、彼の復権を望んではいないからね。中国は、暴走してもはや手に負えなくなっていた北朝鮮を再びコントロールできるようになる。年間5000億に迫る貿易相手国、アメリカ帝国主義に対する防波堤、緩衝かんしょう地帯としての北朝鮮の存在は、南西諸島どころの価値ではない」

「それでは、朝鮮半島の人々は血を流し、国土を破壊されるだけで、何も得るものがないではありませんか」

「中園三尉、それが政治なのだよ。中野幹事長だって、十分にわかっているさ。だが、祖国を護るため、日本の領土を保持するために決断されたのだ。重い、つらい決断を」

「政治なんて・・・」

「くそくらえ、だろ。俺もそう思う。韓国に対してはアメリカがものすごい圧力をかけて黙らせることになるだろう。中国も利害が一致すれば、韓国を見殺しにする。だが、沖縄のために、何の罪もない朝鮮半島の人々を巻き込んで死に追いやるなんて、俺は許せない。・・・だが、俺は軍人だ。今度のニライカナイの作戦指揮者だ・・・」 

「軍人だからといって、命令に盲目的に従うのには、わたしは反対です」

 中瀬は、驚いたように顔を上げてかぐやを見つめた。

「中園・・・君は、変わったな・・・」

「他に、方法はないのですか」

「あれば、中野幹事長がこんな手を使うはずがない。だが、何もしなければ、どうなる?事態はよくなるのか?アメリカ側の我慢はもう限界だ。タイムリミットなのだ。米中軍事衝突が始まる。朝鮮動乱も、もっと深刻な状況で始まる。沖縄で、朝鮮半島で、たくさんの人が死ぬ。われわれには、選択の余地がない」

「また、政治ですか・・・」

「哲学だよ。政治哲学・・・何を優先し、どちらを選択するかだ。少しは学んだろう。アスラムで」

「自分には、関係のない話だと思っていました。手足に過ぎない自分には、考えることではないと」

「今まではな、でも、今は考えてる。君が言うとおり、人は変わるのだ」

かぐやは、深いため息をついた。

 以前なら、疑問すら感じなかったのに。今感じる、この突き刺すような胸の痛みはなんだろう?

「朝鮮動乱はいずれにせよ、もう避けられないということですか」

「そう考えるしかないな。われわれは、少しでも犠牲が減るように、このオペレーションAを成功させるしかない。中国の気が変わらないうちに。だが、ひとつ言っておくことがあるぞ。中国軍が手を引くと決めたことで、この作戦の成功率は高まったように見える。だが、中国とて一枚岩ではない、反対勢力が激しく抵抗を試みるだろう。決して、楽観はできない」

「オペレーションAは成功できるのでしょうか?」

「できる、としか言えない。だが、間違いなくオペレーションB、Cよりははるかに有望だ。オペレーションB、C共に成功の難しい作戦であることはわかっていた。わたしは正直、サクセス・レート(成功の確率)が40%を切るような作戦には反対だった。だが、実行するのは米軍であり、指揮権は米軍にあった。彼らも、イエメンでのSEALs6によるフォトジャーナリスト救出作戦の失敗などから、多くの教訓を学んだはずだ。それなのに、われわれのオペレーションプランAを信頼できなかったのだろう、オペレーションを強行し、無残に失敗した。米軍自慢の最新鋭輸送機V-22オスプレイは、隊員の死体を運ぶだけの役割に終わった」

「2011年にオサマ・ビンラディンの要塞邸宅を急襲した時は、成功しているのではないですか?」

「ターゲット自身も、警護者も、すべて殺害すればいいのと、警護者を制圧して人質を無事に救出するのとは天と地ほどタスク・ディフィカルティ(作業困難度)が違うのだ。ビンラディンの時は、本人確認が明確にできることが最優先事項だった。つまり、空爆以外の殺害方法としてあの作戦は実行されたのだ。だが、今回は密通者もいない、スパイも送りこめない。地上にもめったに姿を現さない。八方ふさがりの中、オペレーションは実行された」

「結果は一佐の予想通りだったわけですか」

「結果は最悪だった。わたしは作戦失敗の原因を分析官に依頼したが、結果を聞くまでもない。アメリカ政府首脳と米軍幹部の焦りが、最大の原因だとわたしは思う。冷静さを欠いた結果、米軍最高レベルの特殊部隊が、あまりにもろく、稚拙とさえ思えるほど簡単に失敗した。この2度の失敗の後、米軍はわれわれのオペレーションプランAに露骨にすり寄ってきた。われわれのオペレーションプランAも、米軍のバックアップがなければ成り立たないわけだし、オペレーションB、Cから貴重な情報も得られたから、都合は良かったがね」

「一佐は、オペレーションAの成功の可能性は何パーセントと読んでいるのですか?」

中瀬一佐はしばし考え込んだ。

「さっきも言ったとおり、100%だ」

「後がない、ということですか」

「この共同作戦に、万全を期しているのだ。作戦実行までにこれほど時間がかかっているのも、そのためだ。あらゆる手を打っている。その点は保証する。だが、矛盾するようだが、100%の成功率などあり得ない。不測の事態は、常に起こりうる。それに、組織である以上、情報漏洩の危険は常につきまとう。そして、情報が漏れることが、作戦失敗の最大要因となる」

「情報漏洩ろうえいを疑っているのですか?」

「常にな。君を恩納岳に行かせた時も、君自身にさえ情報をほとんど与えなかった。わたしはそうして組織と国を護ってきた。だが、今回は、オペレーションの規模が桁違いに大きい。それが、わたしには脅威に感じられる。だから、誰も信じないこと、これを肝に銘じているのだ。中園三尉、いいか、君も命と仲間を護りたかったら、誰も信じるな」

「こんな大きなオペレーションなのに、味方を信じてはいけないのですか?バックアップクルーが信頼できなければ、闘うことなんかとてもできません」

「だが、それをやるのが、今回の作戦だ。だから、繰り返すぞ、誰も信用するな。場合によっては、わたしさえ疑うのだ。組織の人間だから、上層部の判断でおまえを見捨てることだってありうる」

「わかります。でも、師父だけは、例外だと思います」

「それは、どうかな。彼は沖縄のためと言っているが、本当は長峰師範の復讐が目的かもしれない。・・・もちろん、君が信じているのはわかっている。だが、わたしの立場は、君とは違う。・・・伊波師範に関していえば、彼の所在を探し回っている中で、彼を捨てて自殺した母親について、ある事実がわかった。母親について、何か聞いているか?」

「長峰師範の兄弟子だったという知念師範に、少し聞きました。伊波師夫を生んで姿を消したとか」

「では、君もこのことは、聞かされていないのだな。伊波師範の母親は、かつて琉球王国に君臨した尚氏の末裔なのだ。母親の姓は、尚だ。知っていたか?」

「いえ、そんな話は、初耳です」知念師範でさえ、話してはくれなかった。

「尚氏の子孫は、東京に移住した国王の末裔以外に、沖縄に残った者もいる。そこから、副知事、琉球大学教授を出したほか、銀行、新聞社の設立者にもなっている。沖縄の名家が多い。伊波師範の母親はどこかの名家に生まれたが、何らかの事情で勘当され、家門から完全に閉め出された。それ以来、さまざまに名字を変え、盛り場を流れ歩いたようだ。手に職のない女一人では、他に生きる道がなかったんだろう。伊波師範を生んだ頃には、ただ、洋子とだけ名乗っていたらしい」

「師父はご存知なのでしょうか、そのことを」

「さぁな、われわれも本当に偶然、ある人物に出会ってそのことを聞いたのだ。その人物もほどなく亡くなったから、赤ん坊で捨てられた伊波師範が知らずにいることは、十分に考えられる」

「仮に、知っていたとしたら、どうなのですか?」

「沖縄の独立を支持し、自ら尚氏の末裔まつえいと名乗り出たらどうなる?しかも沖縄古武術の至高の拳をもつ男だ。彼を熱狂的に支持し、新たな王に祭り上げようとする連中は必ず出てくるだろう。まして、伊波師範は見てくれもいい、人を惹きつける魅力もある。元アイドルなんかよりはずっといい」

「伊波師父は、そんな野心をもつ人ではありません。師夫と出会って以来、自分の目で見て、拳の教えを受けてきたわたしには、はっきりとわかります。師夫は絶対に・・・」

「何も、疑っているわけではない。可能性を言っているのだ。君が絶対に信頼できると思っている伊波師範でさえ、疑う材料が出てくることをわかってほしい。だから、誰も信じるな。自分を護れ。そして、生きて帰ってこい」

かぐやは、中瀬一佐の真摯しんしな眼差しと言葉に、このオペレーションの困難さを、改めて深く感じさせられた。

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