第16話 会合 大義を承けよ

 それまで、じっと黙っていた一条准将が、中瀬の言葉が終るのを待って伊波に問いかけた。

曹丕承ツアオヒショウという名に、聞き覚えはありませんか?」

 伊波の表情は変わらなかったが、瞳に強い変化が生じたのが、かぐやにはわかった。

「知っています」

「では、曹列缺ツアオレツケツは?」

「忘れたことはありません。師夫を殺した男たちの仲間です」

「その、曹列缺が、暗殺部隊の部隊長なのです。あなたは、兄の曹丕承を真正武術大会決勝で破ったものの、止めを刺さなかった。そのために、丕承は恥辱にまみれて誇りを失って自殺した。その恨みを晴らすべく、二年後にあなたと対戦した時、素手で争うはずの対戦中に袖口に毒針をしこんだ暗器を忍ばせて、密かにあなたを殺ろそうとしました」

「曹の属する五卦拳ごかけんは、それまで王座を独占していたので、何としてもわたしに勝って名誉を取り戻すこと、そしてわたしに復讐することを企んでいたのです。わたしは何とか、暗器の攻撃をかわして列缺を叩き伏せることができました。しかし、その夜、長峰師父と泊っていた宿屋に五卦拳の連中が襲いかかってきたのです」

「曹はその後、姿をくらましていましたが、いつのまにか中国政府の要人に取り入り、闇の仕事人、暗殺者として存在感を増していきました。腕が立つ上、冷酷非情な男で、今では中国最強の暗殺部隊を組織して指揮をとっています」

「わたしは中国から沖縄に戻ると、なぜか、中国に対する危険人物と見なされ、入国を禁止されてしまいました。師夫の亡骸を引き取りにいくことも、曹列缺を探し出すこともできなくなってしまったのです」

「政治的な圧力が働いたのでしょう。・・・あなたの個人的な恨みを利用するようで申し訳ないが、曹列缺ほどの達人となると、軍人だけで仕留めるのは難しい。武術で対抗できる人間が必要なのです。それは、わたしたちが知る限り、あなたしかいない。ぜひ、力をお貸しください。沖縄を救ってください」

「わたしからもお願いする。われわれ本土が沖縄にしてきたことには、確かに反省すべき点が多い。与党の代表として沖縄を歩き回ったわたしが、それを一番よく知っている。かといって、今の中国に譲り渡すのは、決して沖縄のためになりません。伊波さん、お願いします。われわれにやり直すチャンスを与えてください」

 日本政府の最高権力者である中野幹事長が直立し、深々と頭を下げた。次いで、ウィリアム国務次官補、一条准将、中瀬一佐、全員が同じ姿勢をとった。

 佐知とリュウは、事の重大さと、国家の最高機密に触れているという緊張感から、凍りついたように動けないでいた。

 かぐやは伊波を見つめた。

 伊波師夫の澄み切った瞳の奥には、今、どんな雲が湧き起こっているのだろうか?

 長峰師父の仇をとる唯一の機会・・・それでも、迷っているのだろうか?

伊波が、ようやく重い口を開いた。

「沖縄の・・・ためですか?」

 中野幹事長が力強くうなずいた。

「はい、お約束します。嘘は申しません。このままでは、いずれアメリカと中国は武力衝突をします。アメリカ大統領の最後の選択肢は、米中戦争です。その時、ここ沖縄が戦場になります。多くの沖縄の人の命が失われます」

「そうであるなら・・・わかりました。お引き受けします」

 かぐやは自分の考えの浅はかさにはっとした。

 わたしは、目の前のことしか考えていなかったが、師夫は違う。

 伊波師父は、長峰師夫の復讐のためでなく、東雲流継承者として、「天命にしたがい、大義をける・・・」ことに心決めたのだ。

 しかし、かぐやは師夫に「義のために死」んでほしくはなかった。まだまだ、伊波から多くの教えを受け、導いてもらわなければならない。

 師夫を失えば、自分の生きる意味もまた、失われる。

 中野、ウィリアム、一条、中瀬が伊波の受託の言葉に対して、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

 中瀬は、背後に控える部下たちに、ベンチを片づけ、撤収する指示を出した。

「では、伊波師範、作戦本部を置いています戦艦へお移り願います。さっそくですが、作戦の詳細についてのブリーフィングを行いたいのです」

「戦艦がこちらに来ているのですか」

「アメリカ軍の戦艦リーガンに作戦司令部を置いています。このミッションは、日米合同作戦、作戦名はニライカナイです」

「わたしの弟子たちも同行できますか?」

「あなたのミッションです。あなたの判断で決めてくださって結構です」

「では、同行させます。ここに置いていくよりは、安心ですから」

「皆さん、ご支度を。急ぎますので」

 喜んだ佐知とリュウは、庵に向かって走っていった。

中野幹事長が、ゆっくりと伊波に近づいて、握手を求めた。

「わたしは独立側との交渉に戻らなければなりません。今後しばらく、直接お会いすることはできませんが、わたしはわたしの立場で、命がけで闘います。彼らの目を覚まし、この茶番劇を演出した黒幕を必ずあぶり出してやりますよ」

「黒幕がいるとお考えですか?」

「中国政府だけでこんなシナリオを描けるとは思えません。日本の内情に精通している誰かが、きっと噛んでいるはずです。売国奴をわたしは、決して許しません」

 伊波は、中野幹事長と堅い握手を交わした。続いて、ウィリアム国務次官補とも。

「幸運を」

 幹事長たち3人の訪問者が去ってから、かぐやは中瀬一佐に自分の役割を尋ねた。

「君は役割を果たした。当面の任務はない」

「わたしも、このミッションに参加させてください」

「君は今日の会合を成功させた功労者だ。しばらく休む権利がある。幹事長の交渉団のルートを使って、安全に本土に帰す手はずもじきに整うはずだ」

「ここで、伊波師夫に弟子入りしました。師夫にしたがう義務がわたしにはあります」

「伊波師範の武術にすっかり魅せられたようだな。それほど、すごいのか?」

 かぐやは三の円環術を使い、瞬時に中瀬一佐の背後に移動した。

「どうですか?わたしの動きを読めましたか?」

「君の手にナイフがあれば、わたしの首はすでに胴体から離れているな。訓練所での君の技量は十分知っているつもりだったが、あんなものじゃないということだな」

「そうです。今のわたしは、はるかに強くなっています。それでも、師夫の拳の、足下にも及びません。次元が違うのです」

「われわれが伊波師範を恥も外聞もなく必死で探し回り、説得のために、中野幹事長やウィリアム次官補まで連れてきた、そのかいがあったというわけか」

「わたしをご覧いただければ、おわかりになると思います」

「わかった。作戦からはずすことに決めていたんだが、君の意志を尊重しよう」

「覚悟を決めておりました」

「今までとは危険度のレベルが違う。命を落とすことになるかもしれないぞ」

「いいえ、中瀬一佐、わたしは死にません」

「ほぅ、珍しいことを言う」

「わたしは、まだ修行の途中なのです。師父から奥義をけるまで、死ぬわけにはいきません」

「変わったな、君は」

「はい、おかげさまで、生まれ変わることができました」

 中瀬は、かぐやの明るい声を耳にして、はっと驚いた。

 これは・・・

 訓練所アスラムでの5年間、かぐやは決して表情を崩さず、笑顔を見せることはなかった。

 笑わない女、人形、感情を消してしまった女、と言われてきた。

 その理由を、両親を殺害されたトラウマ、心的外傷性ストレス障害の一種と中瀬は理解していた。

 それが・・・

 沖縄の夜空を彩る月の美しさにも負けない、澄み切った明るい笑顔が、今、中瀬の目の前にあった。

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