第14話 墓参 愛おしい時間
かぐやは、伊波に尋ねたいことがあって姿を探した。一緒に農家の家事を手伝っていた佐知もリュウも知らなかったが、井戸端にいた知念老人が、
「この時間なら、長峰師夫の墓に行っているのだろう」と道順を教えてくれた。
月明かりを頼りにあぜ道を上って行くと、山の斜面を切り開いたところに四角い家形の墓が並んでいた。沖縄の墓というと、屋敷と見間違えるほど立派な亀甲墓が有名であるが、庶民の多くは身の丈にあった墓を建てている。
「知念師範に聞いて参りました。お邪魔してすみません」
伊波はかまいませんと小声で言い、墓に向き直った。
「わたしの師夫、長峰師範のお墓です。亡くなって、6年になります。沖縄では、家族で1つの墓に入るのが普通ですが、ここは師夫だけの墓です」
「まだ、それほどのお年ではなかったのでは?」
「師夫は、わたしをかばって命を落としました。今でも、それが悔やまれてなりません。師夫は、まぎれもなく東雲流最高の遣い手でした。それなのに、・・・・わたしなんかのために命を奪われました」
伊波の悲しげな、苦しげな表情を、かぐやは初めて見た。
「お気の毒です」
「長峰師夫は二度、わたしの命を救ってくれました。最初は、若い頃、生きる意味を見つけ出せず大荒れに荒れていた時、東雲流に導いてわたしに生きる意味を教えてくださいました。二度目は、わたしの命が奪われそうになった時、盾となって、わたしの身代わりになられたのです。長峰師夫がいなかったら、今のわたしはありません。生きてすらいなかったでしょう」
「師夫の恩人であったと、知念師範に聞きました」
「わたしを生まれ変わらせてくれたのです。そして、死の間際、わたしに『生きよ』と命じられました。その言葉に支えられてわたしは、死の危険から何とか逃れ、沖縄に戻ってくることができました」
「亡くなられたのは、沖縄以外で・・・」
「中国です。師夫の
かぐやは何と声をかけていいかわからなかった。
しばらくして、小声で最後の祈りを唱えると、伊波は立ち上がって墓の近くの石垣を示し、かぐやと並んで座った。
かぐやは思い切って、伊波に話しかけた。
「わたしも、両親を亡くしました。通り魔に刺されたのです」
「本土の役所にお勤めでしたね、お父さんは」
「厚生労働省です。審議官を務めていて、将来の事務次官候補と言われていました。父は、自分は柄じゃないと言っていましたが・・・」
「お母さんも亡くなられたとか」
「母は、わたしの身代わりに死んだようなものです。その日、父は過労がたたって熱が出たので部屋でふせっていました。わたしは、母が友達と旅行を予定していたのと、申請していた海外留学の審査結果が知らされる日だったので、家にいるはずでした。ところが、前日に留学審査をしている財団から急な呼び出しがあったのと、父の体調も悪かったため、母は旅行を取りやめてわたしを送り出してくれました。わたしの呼び出しは、別に次の日でも、その次の日でもよかった。たいした内容ではなかったのです。それなのに、早く留学を決めてしまいたくて、母に甘えてしまいました。旅行に出かけて無事であったはずの母が、父と一緒に殺され、家にいるはずの私は、赤坂に出かけていて生き残ってしまいました」
今でも思い出す。帰宅すると、自宅前の路上に30メートル以上に渡って続く血痕があった。玄関を開けたとたんに広がる、血だらけの廊下、壁、扉。居間に倒れていた母、二階の書斎で倒れていた父。動転して声も出せず、立っていることもできなかった。どうやって消防署に電話をしたのか、今でも思い出せない。父も母も、かぐやの呼んだ救急車で運ばれたもののすでに心肺停止状態であった。
「その事件については、こちらでも、新聞や、テレビのニュースで大きく取り上げられていました。ちょうど、わたしが武術大会に出ていたころですね」
世間を騒がせた事件の概要はこうである。
11月17日午後1時過ぎ、神奈川県横浜町石川町の中園勝彦宅が刃物を手にした男に襲撃され、中園と妻が刺された。2人とも、ほぼ即死であった。
中園夫妻が襲撃された翌々日の19日午後4時、レンタカーで警視庁に出頭してきた42歳の男が、自分が夫妻を刺殺したと供述した。警視庁は男の供述に基づき、レンタカーの後部座席を捜索したところ、2本の血の付いた刃物を含めた物証を発見したため、午後9時17分、男を銃刀法違反で逮捕した。
厚生労働省キャリア組トップクラスの自宅が襲われたことから、警察は厚生行政トップを狙ったテロを視野に捜査を開始するとともに、警備体勢の強化を図った。
マスコミも大きく取り上げ、2007年に発覚した年金記録問題によって厚生行政に対する国民の不信が高まっていることもあり、中園審議官が以前、年金課長を務めていたことから年金テロの可能性もあるとして報道を続けた。
動員された捜査員はのべ300人を越し、思想犯、新左翼、右翼団体、過激派、カルト教団などの反社会的組織への取り調べも進められが、犯行声明も出ず、犯行動機も不明確なまま、実体のつかめない通り魔殺人事件として、次第に世間から忘れられていった。
ただ1人、一人娘で、横浜女学園高等学校に通っていた中園有紗を除いて。
葬儀を写した一枚の写真をきっかけにしてマスコミとネット民が勝手に盛り上がり、有紗は悲劇のヒロインに祭り上げられ、外にも出られない状態に陥った。当面は、駅前のホテルに
「わたしは、叔父に助け出されましたが、ずっと死ぬことばかり考えていました。生きていてもしかたないと思い続けていました。でも、死ねなかった。父と母の元に行きたかったのですが、そんなことをしたら、2人ともひどく悲しむことがわかっていたからです。・・・わたしは生きている辛さから逃れたくて、叔父が預けてくれたところで必死に武術を磨きました。しばらくすると、誰にも負けないほど強くなっていました。感情を抑え込むことも、身につけることができました。感情を殺してしまうと、とても楽になりました。今思えば、間違ったことでしたが、その時は、これで生きられる、生きていけると思えたのです」
「最初に出会ったとき、あなたの拳精が尋常なものでないことは、すぐにわかりました。その若さでひどく重いものを背負っていることに、驚かされました」
「わたしは、大変な過ちをおかしてきました。無慈悲な殺人拳を学んでしまったのです。父と母に顔向けができません。でも、わたしを救ってくれた人たちへの恩だけは、返したかったのです」
「あなたは生きることと正面から向き合い、闘い続けたのです。間違いではありません」
「いいえ、師夫の拳に触れた時、わたしは間違いに気づきました。でも、とっさにどうしたらいいかわからず、混乱して取り乱してしまいました」
「それは、かつてのわたしと同じですね。・・・今は、どうですか」
「毎朝、目を覚ますのが楽しいのです。迷いなく修行に打ち込むことができ、自分の成長を感じることができます。いつまでも、こんな日が続いてほしいと思っています」
「それは、良かった。自分でも気づいておられるでしょうが、あなたの拳精はもう、以前とは別人のものです」
「師夫のおかげです。生まれ変われる気がいたします」
「東雲流は人を活かす拳、お役に立てて何よりです」
師夫のように、きっと生まれ変わってみせると、かぐやは改めて強く心に刻み込んだ。
1人の頭上には
この夜の月を一生忘れることはないと、かぐやは思った。
わたしは、この月の下、伊波師夫と、その師夫である長峰師夫の前で、生まれ変わることを誓ったのだから。
かぐやは、伊波に二の円の方形についてわからないことを尋ね、墓の前で教えを受けた。そして、三の円の極意を伝えられた。
伊波と2人きりで修行に励むこの時間が、かぐやにはこのうえなく
いつまでも、ずっと、続けばいいと願った。
夜がすっかり更けてから農家に揃って戻ると、縁側に佐知とリュウが座ってくつろいでいた。リュウはおつかれさまと無邪気に声をかけてきたが、佐知は、伊波とかぐやを見て複雑な表情を浮かべた。
かぐやはその夜、夜具に入ったものの、なかなか寝付けなかった。軽自動車のシートや庵の堅い床に比べれば極めて快適に眠りにつけるはずなのに、なぜかいつものように、眠りに落ち込めないでいた。
円の方形のこと、今まで封印してきた父と母のこと、訓練所アスラムのこと、伊波師夫との出会いと至高の拳のこと、リュウのこと、そして、佐知のこと・・・
隣の床にいる佐知も、眠れずにいることが伝わってきた。
2人は無言のまま、長い長い夜を過ごした。
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