第13話 修行 出生の秘密

 その後、2日目、3日目とほぼ同じ内容で修行は続いた。

 3日目からは、リュウも道着を身につけた。佐知が手配したらしかった。

 リュウは崖でケガをしないように気をつけながら、可能な範囲で山歩きに付いてきて、基本技の習得に熱心に励んだ。佐知はあれこれ叱責し、文句をいいながらも、根気強くリュウに付き合っていた。

 4日目の午後は、4人そろって山を下り、麓の農家を訪ねた。

 物腰の柔らかい老人夫婦が歓迎してくれ、かぐやは久しぶりにゆっくりと風呂に入り、湯船につかることができた。さらに、佐知のために用意してあった着替えを分けてもらうことができた。

 伊波は農家の主人と話し込み、さまざまな情報を入手しているようだった。

 夕刻になっても移動しようとしないので佐知に聞くと、今夜はここで泊まるという。かぐやは、基本技の方形をおさらいしたくなり、農家の庭へ出た。この場所なら、周囲を警戒する必要はない。方形の修練に集中できる。

 夕陽は月光に変わっていったが、かぐやは一心に一の円の方形を演じ続けた。

 滑らかに、軽やかに、流麗であり、それでいて力感にあふれ、威力を秘めた動き。たちまち汗ばみ、息が上がってくるが、毎朝の鍛錬で身につけつつある東雲流の調息法を意識すると、不思議なほど平穏な状態へ戻っていく。

集中しすぎていたせいか、伊波、佐知、リュウの3人が、いつの間にか農家の縁側に集まっていたことに気付かなかった。

 かぐやと目が合うと、伊波は、満足げにうなずいた。

「迷いが、消えましたね。集中もすばらしい」

「ありがとうございます。師夫のおかげです」

「明日、山に戻ったら、二の円に入りましょう」

「よろしくお願いします」

 佐知は、不意にリュウの肩を叩いて立ち上がった。

「リュウもぼぉっとしてないで。やるよ、今日のおさらい」

「はい、佐知さん。お願いします」

 かぐやの横に出て、佐知とリュウは組み手を始めた。

 縁側に、農家の主人がお茶を持って現れた。伊波の隣に腰を下ろす。

 好々爺こうこうやとしているが、時折見せる目の光は、彼がただの老人でないことを物語っている。

 伊波は礼を言って、湯呑茶碗を手に取った。

「知念師範、すみません、急に4人で押しかけてしまいまして」

「初めてですね。佐知さん以外を連れてくるのは」

「自分でも事の成り行きに驚いています」

「何かが、起こりそうですか」

「そんな気がします。こうした勘はよくあたるのです」

「あなたがいつまでも伏龍でいるはずがないと思っていました」

「静かな暮らしが、気にいっているのですが」

「天があなたの拳を呼ぶのです。いつまでも地に伏せていてはいけないと。天命には従わないといけません。昇龍となるのです」

「天命ですか・・・」

 老爺が、かぐやを手で示した。

「あの人は、東雲流を学んでどれくらい経ちますか?」

「四日目になります」

 老爺は初め驚きの表情をあらわし、次ににっこり笑った。

嵩山東雲すうざんしののめ流に入門して、すでに70年。その長い年月の中で、真の流心の遣い手に出会えたのは、たった2人。あなたの師夫とあなただけです。それでも、古来より、およそ百年に1人だけ天才が現れると言われていますから、2人もの天才に出会えたのは幸せだと思っています。しかし、・・あれでわずか4日ですか・・・すばらしい拳精だ・・・」

「亡き師のお導き、それとも師範の言われる天命でしょうか」

「天命でしょう。・・・天はわれわれに3人目を遣わしたのです。何かをなすために」

「なさねばならぬのでしょうか」

「東雲流の皆伝目録には、こうあります。『天命をけ、大義に生き、義に死せよ』と」

「この先、わたしに何かあったら、佐知をお願いします。あの子だけは、巻き込みたくない。無事に、いい人生を送ってもらいたいのです」

「わかっています。こんな老体ですが、命に代えてでもお守りしましょう」

「よろしく、お願いします」

伊波は深々と頭を下げた。

翌朝、山へ戻ると、いつもの修業の日々が始まった。

 かぐやは伊波の教えを受けて二の円に進んだ。リュウは崖を克服しつつあり、武術家の体つきに変わってきた。佐知は口は悪いが、細かい心づかいをして、4人の共同生活をうまく切り盛りしていた。

 毎朝、かぐやは情報端末で中瀬一佐からの連絡がないかチェックしていたが、何の連絡も入っていなかった。

 7日目、かぐやは佐知から、また山を下りると聞いた。

 農家での食事と入浴は、この一週間の修業で溜まった疲れを溶かすかのようであった。湯船に身を沈め、こんな穏やかで平和な、自分自身を再生する時間がずっと続けばいいのにとかぐやは思った。

 しかし、中瀬一佐の告げた訪問日まで、残りの日数は半分を切っていた。

夕刻、前回と同じようにかぐやは庭に出た。

 二の円の方形をかぐやは繰り返した。

 縁側に、知念老人が現れた。かぐやに声はかけないが、手元には急須と湯飲み茶碗が用意してあった。

 かぐやは二の円の方形を演じ終え、縁側に腰を下ろした。

 知念老人は、湯飲み茶碗をかぐやに渡した。

「いただきます」

「前に来られた時よりも、数段、上達していますね」

「ありがとうございます」

「伊波は厳しいですか?」

「いえ、いつも穏やかで、優しく教えてくださいます」

 知念老人は、破顔した。

「いや、失礼。つい、昔を思い出しましてな」

「今とは違っていたのですか?」

「手のつけられない暴れん坊でした。那覇の歓楽街で辻というところがあったのですが、伊波の名前を知らない不良はいませんでした。あまりに粗暴で、しかも強かったので、やくざでさえ伊波を避けていました。2メートルもあるような巨漢のアメリカ兵を相手にしても負けたことはなかったし、銃で脅されても平気だったと言います。本土からきた暴力団を壊滅させたこともありました。とにかく、荒れに荒れていました」

「とても信じられません。どうして、そんなに荒れていたのですか」

「伊波には父親がいません。母親は辻のバーで働いていましたが、父親のわからない子を産んで姿をくらましました。赤ん坊はそのままなら命を落とすところでしたが、運良く近所に住んでいる人が泣き声を聞きつけ、一命を取り留めました。その赤ん坊が、伊波です。その後、転々と引き取り先が変わったようですが、詳しいことはわかりません。伊波という名字はおそらく最初の引取先でつけられ、名前の洋は、母親がバーで名乗っていた洋子からきているようです。不幸で、複雑な生育歴が、彼を荒れる子に育ててしまったのでしょう。伊波が辻に戻ってきたのは、18歳頃と聞いています」

「そんな彼が、なぜ東雲流に・・・」

「伊波が突然、道場に乗り込んできたのです。当時は三十人以上の弟子を抱えており、中には、問題のあるやつも紛れ込んでいました。伊波はそんな連中のバーのツケを、たった一人で取り立てにきたのです」

知念老人は一息入れ、お茶を飲んだ。

「ツケを踏み倒していた連中がたしかに悪かったのですが、伊波の態度もひどかったため、道場にいる全員で袋だたきにしてしまいました」

「さすがに、それだけ人数がいると、いくら強くてもかないませんね」

「おっしゃるとおりです。中には、師範代クラスの腕の持ち主もいましたから」

「誰も止めなかったのですか?」

「タイミングが悪かったとしか、いいようがありません。道場主も、わたしも、後に伊波の師夫となる長峰師範も出かけていたのです」

「袋叩きにされた伊波師夫はどうなったのですか」

「縄でぐるぐる巻きにされ、道場の井戸の脇に転がされていました」

「ひどいことをしますね。よってたかって、たった一人なのに」

「いえいえ、多くの弟子達の半数がひどい打ち身になったばかりか、師範代クラスの男は鎖骨と左脚の骨を折られて病院送りになりました。伊波は、一番強い相手を狙って集中的に攻撃したのです。しばらくは、道場で稽古ができないありさまです。わが道場の面目は丸つぶれになりましたが、殺すわけにもいかず、袋叩きにしたあと、念のためにぐるぐる巻きにしてわたしたちの帰りを待っていたのです」

「すごいですね。素人なのに、師範代を倒すなんて」

「長峰師範も弟子達の話を聞いて、かなり驚いていました。その後、ツケを踏み倒していた連中と、伊波の母親を馬鹿にした弟子を破門しました。伊波の生い立ちを知っていて、彼の母親を売春婦ばいただと罵ったそうです。数を頼んで、勢いで言ってしまったのでしょうね」

「伊波師夫のその後は?」

「長峰師範が『俺が預かろう』と言って、この部落に連れてきたのです。そして、あなたがたが使っている山の庵に籠もって、徹底的に伊波を鍛え上げました」

「伊波師夫は、よく我慢できましたね。そんなに荒れていたのに。逃げ出したりはしなかったのでしょうか?」

「他に行くところもなかったのでしょう。それに、荒んだ暮らしから抜け出し、たぐいまれな才能を開花させることで、生きる意味や価値を、初めて見い出したのではないでしょうか。わたしはこの家で伊波と何度も会い、ともに稽古しましたが、いつも『生まれ変わるのだ』と伊波は言っていました。そのために、全身全霊で修行に励んでいたのです。伝わってくる拳精には、鬼気迫るものがありましたね」

かぐやは、至高の拳を持つ武術家である伊波がなぜ、自分やリュウのような人間をすんなりと受け入れ、これほど親切にしてくれるのか、ずっと疑問に思っていた。今ようやくその謎が、少し解けた気がした。

 そして、東雲流奥義に至る道が、伊波自身が辛苦を乗り越えてきた道であると知り、強く励まされた。

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