第12話 修行 東雲流奥義
庵にはリュウが待っていて、4人で朝食を摂った。
ごはんに、にんじんを揚げたもの、具だくさん味噌汁。あたたかい料理は久しぶりで、ありがたかった。
リュウが、佐知に向かって呼びかけた。
「ごちそうさまでした。俺、リュウといいます。よろしくお願いします。あの、俺たちは、あなたのことはどう呼べばいいでしょうか?」
「もちろん、わたしは師夫の一番弟子だから、佐知様に決まってるでしょ」
リュウは、かぐやを振りかえった。
「えっ、でも、姐さんの方がずっと年上なのに」
途端に、2つの怒声が響いた。
「そんなこと関係ないでしょ!この世界では」
「リュウ!そんなに年上じゃないぞ」
佐知とかぐやに厳しく言われて、リュウは縮みあがった。
佐知とかぐやはにらみ合い、今にも口論を始めそうだった。
「おいおい、朝の修行がだいなしだ。2人とも仲良くやってくれよ。佐知さん、でいいじゃないか」
「師夫、こういうけじめは、ちゃんとつけとかないと。・・・この女、師夫が甘くするもんだから、これからどんどんつけあがってきますよ」
「そんなことは・・・」かぐやはむっとした。
「男連れなのに、いやらしい格好して師夫に取り入ろうしたくせに。それに、あなたは入門を許されたわけじゃないでしょ、東雲流に。師夫の正式の弟子はわたしだけ。それだけは、忘れないでね」
「あなた、やたらとわたしの体のことを言うけど、自分はどうなのよ」
かぐやは、佐知の盛り上がった胸を指さした。佐知の胸はかぐやの倍ほどの膨らみがあった。
佐知は、さっと顔を赤らめた。
「それ、どういう意味?」
「別に、そういう意味よ」
かぐやに飛びかかりそうな佐知を目で制して、伊波は肩をすくめた。
「佐知、おまえだって押しかけ弟子じゃないか。東雲流といっても道場は解散してしまったし、多くの弟子たちもばらばらに別れてしまった。なぜか、お前だけが押しかけてきた。流派としては、いずれ静かに消えていく。それに、この人たちはわたしの客人だ。客人に無礼をはたらく弟子というのは、どんなものか」
佐知がたちまちしゅんとなるのがわかって、かぐやは愉快だった。
リュウを見ると、小さく舌を出して笑っている。こら、佐知に見つかるぞと、かぐやは目で合図を送った。
朝食後は、庵の前で、基本技と組み手の練習をするという。
かぐやは、伊波と向かい合った。
伊波は右足、右肩を半歩引いた構えをとる。
「右手、あるいは、右足で攻撃されたら、どう動きますか?」
「体を開いて、かわします」
「では、左手、左足なら」
「反対側に体を開くか、一歩下がります」
「どちらが速いですか」
「おそらく、体を開く方です」
「では、やってみましょう」
伊波はすばやく踏み込んで、右の拳を中段に、さらに踏み込んで左の拳を同じく中段に繰り出した。
かぐやは右、左と体を開いて、伊波の拳を難なくかわした。
「これは、どうですか」
伊波はさっきと同じように右足で踏み込み、かぐやは体を開いてかわそうとした。
しかし、次の瞬間、伊波の左足踵がかぐやの両足の間に差し込まれ、かぐやの動きは封じられてしまった。
伊波は元の構えに戻った。
「今度は、あなたから攻撃をしかけてください」
かぐやは連続した正拳、前蹴り、二段蹴りを繰り出したが、いずれもあっさりとかわされてしまった。その動きは、きわめて安定しており、止まっているかのようにさえ見えた。
「まいりました」
かぐやは構えを解いた。
「護る時は、無意識のうちに体を回転させ、円の動きができます。ところが、攻撃になると、直線的な動きを優先しがちになります。速く、強く、速く、強くと。しかし、直線は一方通行であり、実はとてももろい動きです。わたしは先ほどよりも、もう少しだけ速く動いて攻撃できるはずですが、受け手があなたなら、何十手繰り出そうが致命傷を負わすことはできません。あなたはそれを知っており、昨日は佐知に対して回転する技を繰り出した。佐知の頬を打った横の円、跳躍してからの縦の円は見事でした。わたしの流派では、そうした円の動きを重視し、体系化しました。足もとを見てください」
かぐやが地面を見ると、円の輪郭の形に石が埋め込まれていた。磨きあげたかのように、表面は滑らかである。
「まずは、一の円の動きです」
伊波は、石の上に立つと、軽やかな足さばきで円周上を移動してみせた。静かで、無駄のない動き、速いのに速さを感じさせない動きだった。
「これらの動きは円環術と呼んでいます。最初は、この一の円、次に二の円、三の円、四の円と増やしていき、最後は四の円に楕円を組み入れた円環術の奥義へと至ります」
次に見せた伊波の動きはさらに複雑で、速く、それでいて軽やかで滑らかなものだった。
かぐやは目をみはった。
数々の武術を修練した結果、どんなに速く、複雑な技でも、かぐやは正確に動きを読み切ってトレースすることができるようになっていた。
武術の達人には、同じ技が二度と通じないと言われているが、かぐやも同じ境地に達しているはずだった。
だが、目の前の伊波の動きだけは、読み取ることができなかった。
「今のは、四の円環術です。複雑なようですが、一の円の組み合わせに過ぎません」
「わたしには、師夫の動きが見えませんでした。まるで・・・」
「慣れてないからです。それだけのことです。そしてこれが、円環術奥義の五の円、
惜しげもなく、伊波はかぐやに東雲流の奥義を見せるという。
ありえないことだ、とかぐやは思った。
訓練所アスラムの、法外な報酬を得ている各種武術教官ですら、彼らの技の奥義を教えることはなかった。真剣勝負に近い実践訓練の中で、かぐやに圧倒され、苦し紛れに繰り出すことでかぐやには知られたが、口外しないように懇願された。もっとも、口外する値打ちのないものも少なくなかった。
伊波が見せた円環術奥義流心は、しかし、まぎれもなく本物だった。
かぐやは見とれた。我を忘れた。
今朝、伊波の言っていたことを思い出す。
雲の動き、汚れなき清新であり、
あぁ、これこそが、真の武術、究極の拳・・・
わたしが5年間、命がけで学んできたものは、いったい何だったのだろう?
目の前の、この、神々しいまでに精緻を極め、一分の無駄なく流れるように連続する美しい拳。
それに引き換え、自分の、汚れた、騒々しい、邪悪な、人殺しの拳。
武術と呼ぶには、あまりにもお粗末で、みすぼらしい。
わたしは、誰にも負けないつもりになって、
かぐやは、己の拳をこの世から消し去りたいと思った。
「師夫・・・わたしは・・・師夫の教えを請う価値のない人間です。・・・今まで、わたしがしてきたことを考えれば、わたしには、東雲流を学ぶ資格がありません」
「それは、どういうことですか?拳を学ぶのに、資格はいりません。必要なのは志だけです」
「いえ、わたしはきっと、東雲流の名を汚してしまいます。わたしは人殺しです。命令に従って、何のためらいもなく、何人もの命をこの手で奪ってきました」
かぐやは、うつむいたまま体の向きを変えた。
胸が張り裂けそうだった。
ここに残りたい。何もかも忘れて、師夫のもとで初めからやり直したい。
それでも、かぐやにとって、東雲流を学ぶ資格がない殺人者だという事実は重かった。
かぐやは歩き出した。
しかし、かぐやの歩みは、すぐに止められた。
目の前に、穏やかな表情の伊波の姿があった。
「何を言っているのですか?今の奥義は、あなたのためのものです」
かぐやは伊波の目を見た。伊波の瞳には、強い真情がこもっていた。
「でも、あの奥義は・・・」
「流心は、変幻自在、融通無碍なものです。決まったかたちはありません。習熟する者それぞれの拳精により生まれいずるものです。あなたに見せたのは、あなた自身の流心を会得する入口を示すもの。登るのはあなた自身。流心の頂に達するかどうかは、あなた次第です」
「あれはまだ、入口なのですか?」
「奥義に、極めるということはありません。一生、修行です。どこまでも突き詰めていく、至高の技、それが流心です」
「わたしのように、汚れ、血に染まった拳でも、学ぶ資格があるでしょうか」
「何の汚れもないということは、何もなさないということ。それは、人として生きていないのと同じです。あなたは、必死で生きてきたのでしょう?そして、己を、己の拳をよく知っている。そんな人は稀です。学ぶ資格がないどころではない、あなたこそ、
「佐知さんは、後継者ではないのですか」
「あの子は筋もいい、勘もいい。強くなります。でも、純粋すぎる」
「純粋ではいけないのですか?」
「たしかに純粋に拳に打ち込める。強くなれます。しかし、真の強さではありません」
「なぜですか」
「人と同じです。悲しみも、苦しみも知らずに育ってきた人は強いですか?あなたは、心惹かれますか?」
「いいえ」それは、18歳までの中園有紗だ。彼女はもろかった。
「では、本当に強い人とはどんな人ですか。あなたを惹きつける人とは、たとえば、どんな人ですか」
「どんなに苦しくても、根を上げず、自分を見失わない、しかも、苦しみを表面に出さない人でしょうか」
「誰を思い浮かべますか?」
「亡くなった父と母です。父は厚労省の役人でしたが、消えた年金問題である時期、すべての責任を負わされるようなひどい状態に置かれました。しかし、父は一言も弱音を吐かず耐え抜き、わたしたち家族には、常に笑顔を見せていました。母は、父がいつ過労死してもおかしくないと、心配で夜も眠れなかったそうですが、母も笑顔を忘れない人でした」
そして、もう1人、かぐやの心にはある人物が浮かんだが、その人の名は口に出せなかった。
「すばらしいご両親をお持ちですね」
「でも、・・・2人とも、殺されてしまいました」
つい、かぐやの声は、湿ったものになった。
「それは、申し訳ないことを聞きました」
「いいえ、気になさらないでください」
「東雲流は、沖縄の苦難や数々の悲劇の歴史とともに歩んできました。むしろ、その苦難に磨かれたといってもいい。純粋さを求める拳ではないのです。佐知も純粋なばかりではない、悲しみも苦しみも抱えています。しかし、あなたの、足元にも及ばない」
「わたしの背負う苦しみや悲しみが、わたしの拳を磨いてくれるのでしょうか?」
伊波は、うなずいた。
「あなたは強くなれます。奥義を会得して、至高の拳の道を歩むでしょう」
かぐやは、心の霧が晴れていくような爽快な心持ちがした。
至高の拳には遠く及ぶまいが、この東雲流の拳によって、自分は生まれ変わろう。かぐやはそう決意した。
かぐやは伊波に正対し、深く頭を下げた。
覚悟が決まったのだ。
「精進いたします。お導きください」
この人に、付いていこう。
「共に、励みましょう」
それから、かぐやは伊波に教えられた一の円の方形に取り組んだ。一心不乱に稽古し、気が付くと辺りは午後の日差しへと移りかけていた。
ふと、リュウの姿を探すと、一番平らになっているところで、佐知にしごかれているところだった。時折、へっぴり腰になったり、バランスを崩して不様に倒れたりしているが、集中して一生懸命に取り組んでいる。
佐知の厳しい指導にもめげず、必死で喰らいついているリュウを眺めていると、いつしか姿を消していた伊波が戻ってきた。
「昼食の準備をしてきました・・・彼は、頑張ってますね。いい表情だ」
かぐやもそう思った。渡嘉敷島からのフェリーで初めて会った時のリュウとは、まるで別人だった。
伊波が全員を呼び寄せ、庵に入って遅めの昼食を摂った。
野菜と果実、ナッツ類が中心の質素な内容であったが、かぐやは十分に満足した。ここでの伊波と佐知の話から、野菜と果実は自分たちで作っているが、不足する分は麓の農家から手に入れていることがわかった。その農家は、伊波の師匠の兄弟子が営んでおり、さまざまに伊波の暮らしを援助してくれているらしい。
午後は、組み手の修行であった。かぐやは、伊波と佐知の両方と組み手を行って、技の習得と鍛錬に励んだ。
リュウも必死で頑張っていた。
夕方近く、稽古は終わったが、夕飯の準備、水くみ、野菜の世話と収穫と、忙しい時間が続いた。特に水くみは大変で、かなり遠い水場から狭い道を何度も登り降りしなければならなかった。リュウはさすがにもう体を動かすことができず、水くみは伊波とかぐやで行った。
夕食が済むと、床の上でリュウは眠ってしまった。伊波がそのまま寝かせてかまわないと言うので、かぐやは1人だけ山を下りて車へ戻った。かぐやもさすがに疲れを感じていて、着替える間もなく眠り込んでしまった。
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