第9話 恩納岳 これからのこと

 リュウが嬉しそうに軽自動車で出かけた後、かぐやは情報端末をセットして衛星通信回路を開いた。最高度のセキュリティーが施されている安全な回線だった。

 暗号コードを伝えると、しばらくして中瀬一佐が出た。

「中瀬だ」

「かぐやです」

「会えたのか」

「はい」

「技量は?」

「歯が立ちませんでした」

「ほぉ」

 中瀬の声には予想していた通り、といった響きがあった。

「一佐には、わかっていたのですか?」

「可能性は、考えていた」

「何者ですか、あの男」

 つい、口調に、感情がこもってしまった。

「その様子では、そうとうやられたな」

中瀬の声に、愉快そうな響きが感じられた。

「おっしゃる通りです」

「おまえは、無事なのか」

「問題ありません」

「話はしたのか」

「少しだけ」

「どんな男だった」

「詳しくはわかりません。ただ、わたしをあしらうだけでしたが、わたしの力を見抜いて、悲しい、空しい拳だと言われました」

「そうか、辛辣しんらつだな。彼は、変わってないということか」

「一佐・・・」

「彼の名は伊波 洋いは よう。琉球古武術、嵩山東雲すうざんしののめ躰術たいじゅつ第十七代宗家そうけ。われわれの知る限り、沖縄、いやアジア最強の武術家だ」

「そこまでの情報がありながら、なぜ、わざわざわたしを」

「消えていたのだ。すべての情報網から。この5年間、姿をくらましていた」

「それを見つけ出したんですか」

「そうだ、彼が、彼の力が必要だとわれわれは判断した。この数ヶ月、あらゆる手段を使って血眼ちまなこになって探したよ。そして、ようやく見つけた」

「なぜです。なぜ、5年も経ってから」

「それは、後で話そう。事態がまだ流動的だからな。ただ、われわれに他の選択肢はない。残念ながらな、他のオプションは脆弱ぜいじゃくすぎるのだ」

「まだ、わたしがここへ来た理由を聞いていません」

「彼の力はおおよそ掴んでいた。だが、それは5年前の話だ。中国真生武術大会を知っているか?

「知りません」

「裏の世界のものだからな。一般に知られている中国武術大会は、見栄え、かたち、動作のキレや美しさで競うものだ。表演ともいう。つまり、格闘技ではない」

「真の強さを争うわけではないのですか?」

「中国政府にとって、民間人が素手で人を殺傷する能力を身につけることが好ましいかどうか、考えればわかるだろう」

「はい。わかります」

「だが、真の武術を目指すものは当然いる。そして、必殺拳、暗殺拳をもつ武術家を手元におきたいと思う連中も少なくない」

「そんな大会があるのですか?」

「お互いのニーズが一致すれば、当然、生まれる。それが、真正武術大会、真の強者、武術家を決める大会だ。伊波は、この大会に出て、空手術、八種の武器術のうち三種で三連覇した後、あるトラブルに巻き込まれて姿を消した」

「何があったのです?」

「それも後で話す。問題は、彼が隠れていたこの5年間、彼がどうしていたか、どうなってしまっているかということだ。われわれに必要なのは、姿を消す前の彼の力であり、それを維持している現在の彼なのだ」

「それを確かめるために、わたしを」

「道具にされて、腹が立ったか?これも、他にオプションがなかったのだ」

「任務ですから、異論はありません」

「伊波の力量を測り、つなぎの役ができる唯一の候補だったのだ。すまんな」

 珍しく中瀬一佐が、謝罪の言葉を口にした。

「わたしはこれから何をすればいいんですか?」

「君のおかげでわれわれは予定のプランを実行することができる。いまから22日後、わたしは友人と一緒に彼を訪ねる。君にはその時のサポートを頼みたい」

「それまではここで待機でよろしいでしょうか」

「辺鄙なところだろう・・・どこか人目につかないところで潜伏していてくれればいい。本土を含めてクレジットカードはすべて停止されているから、なんとか手持ちの現金でしのいでくれ」

「了解しました」

「どこか、あてはあるか?」

「あてはありません。でも、行きたいところはあります」

「ほぉ」

 中瀬は興味深そうな声を出したが、それ以上、かぐやの意図を聞こうとはしなかった。

 かぐやは通信を終え、端末を片付けた。

 2時間ほど待つと、リュウが帰ってきた。

「お金、だいぶ使っちゃいました」

 見ると、食べ物、飲み物の他に、洗面道具、タオル、タオルケットまであった。リュウなりに気をきかせて買い集めてきたのだろう。

「ごくろう。気が利くな」

「おつりです」

「もってろ。おまえにやる」

「いりません。少しは自分も持ってますから」

「おまえは役に立った。礼だと思え。だが、もう消えろ」

「姐さんは、どうするんですか?これから」

「しばらくここに残る」

「こんなところに?野宿するんですか?」

「サバイバルの訓練なら嫌になるぐらい受けている。大丈夫だ。おまえは、友達が心配してるだろう。それに、こいつ」かぐやはNーONEを顎で示した。「返してやらんといかんだろう」

「車のことなら、電話すればすむので問題ないです。それより、こんな辺鄙なところに姐さんを一人にしちゃおけません」

 かぐやは苦笑した。

「おまえといる方が危険だろう」

「だから、それは言わないでください。反省してるんだから。それに、車があれば買い物も行けるし、狭いけど寝ることもできる。姐さんに付き合わせてくださいよ」

 以前なら、もっと冷たく、けんもほろろに突き放しただろう。ナイフにものをいわせたかもしれない。だが、今はそんな気になれなかった。

わたしは、少し変わったのかな、とかぐやは思った。

 とにかく、今は食事をして、体を横たえて休むことが先決だった。車のシートという誘惑には、退けがたい魅力があった。

「おまえ、本当にしつこいな。龍じゃもったいないし、これからはマムシと呼ぶぞ」

「好きに呼んでください」

 リュウは一緒にいられるとわかって、嬉しそうに食事の準備を始めた。

 かぐやは軽自動車のシートを倒して、しばらく目を閉じて、考えを巡らした。これまでのこと、そして、これからのこと。

 いつしか、かぐやは眠ってしまっていた。

 目を開けると、リュウも隣のシートで眠り込んでいた。

 よく見ると、ずいぶん若い。この若さで将来の希望もなく、命を無駄にすり減らして生きている。今の、かぐやと過ごす時間の方が、彼にとっては生きてる実感があり、生きがいを感じているに違いなかった。

 しばらくするとリュウも目を覚まし、二人は食事を済ませた。総菜を含めてすべて冷えてしまっていたが、久しぶりの食事にかぐやは満足した。

 食べられるだけでもありがたい経験は、サバイバルの訓練で何度も味わっている。それに比べれば、十分においしい。量もたっぷりあった。

 食事を終えると、かぐやは庵に向かう途中に見つけた水場へ出かけた。すっかり暗闇に覆われていたが、幸い、軽自動車には懐中電灯が積んであった。

 水場の水流は細かったが、飲み水になることがわかったし、体を洗うこともできた。

 着替えをして、洗濯をすませ、水場の近くの枝に洗濯物を干してから、かぐやは車へ戻った。

 リュウはかぐやと交替して水場へ向かった。

 リュウが戻ると、今日の出来事には触れず、沖縄の夜空に輝く星や月の話、昔からの言い伝えについて話をした。言い伝えは沖縄の生き物にまつわる話、怪談めいた怖い話、恋愛にまつわる話など、たくさんあるという。かぐやはもっぱら聞き役に回ったが、リュウは意外なほどたくさんの話を知っていて、おもしろく聞かせてくれた。

 ろくでなしのチンピラ、ナンパ野郎としか思っていなかったことを、かぐやは少し申し訳なく思った。

 話が尽きると、かぐやは車のシートを倒して、リュウの買ってきたタオルケットを虫よけがわりに被って目を閉じた。リュウは車の外で寝ると言い張ったが、山中の野宿は危険が大きい。かぐやは、車の中で寝るように命じた。

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