第4話 沖縄侵入 若者たち
かぐやは揺れるゴムボートを巧みに操り、渡嘉敷島の浜辺へと乗り上げた。海上から人家の明かりが見えない地点を慎重に選んだ。
ウェットスーツを脱ぎ、防水バッグから衣類を取り出して身につける。できるだけ現地で目立たない服装になるように慎重に選んできた。
だが、街を歩けば腹立たしいほど多くの男が振り返るのはわかっていた。これは特殊工作員、暗殺者として最大の弱点であり、欠点ではないかとかぐやは繰り返し思った。今の自分の存在に、これほど邪魔になるものはない。いっそ、整形手術を受けて、目立たない、街中に自然に溶け込める顔立ちに変えようかと思うのだが、亡くなった両親の面影が色濃く残っていると考えると、いくら過去を捨てたとはいえ、一線を越えられないでいた。
ゴムボートには特殊な装置がつけられていて、数十秒で空気を抜くことができた。手早く折りたたんで、ボートに積んであった防虫と迷彩の処理をした袋に収納して樹木の密生した
時計を見ると、今から歩き出せば明るくなるころには人里に出られそうであった。
任務を果たすために身につけた武器を確かめ、かぐやはゆっくり歩き出した。
緊張感と高揚感が胸をせり上ってくるようだった。
たまらない、とかぐやは思った。
とても愉快だ。
長くすべてを喪っていた自分をようやく取り返せる時間なのだ。
善悪の判断はしなかった。
どんな困難な任務でも進んで引き受けた。
困難であればあるほど、緊張感と高揚感で体が弾けそうになった。
そして、すべて完璧にやり終えた。
満足感、達成感、生きている実感。そして、万能感に包まれた。
多くの人命が失われたが、かぐやは振り返らなかった。すべては、忘却のベールで覆い隠してきた。
今回の任務の困難度は正直、わからなかった。
指令者の中瀬一佐もなぜか、今回は曖昧だった。いや、慎重だったと、いうべきか。
だが、世界中の耳目を集めている、現時点で最もホットな沖縄に単独で送り込まれたのだ。容易な任務のはずがない。
与えられたバックアップクルー、装備のすべてが超一級品であることからもそれがわかった。
かぐやは腕に巻いた情報端末をタップして現在地とこの後の目的地を確かめた。
数十センチの誤差もなく、それは位置情報を示している。同時に、このミッションの指令者とバックアップクルーにも自分の上陸が伝わったはずだ。
最終目的地はターゲット(標的)の棲む沖縄本島の恩納岳。
かぐやは極力、人目につかぬように慎重に歩き続けた。夜が明けて辺りが見通せるようになると、大ぶりのサングラスを取り出してかけた。これも、ただのサングラスではなく、ウェアブル端末としてスマートフォン以上の機能を内蔵していた。基地局とのコネクトではなく、ダイレクトに衛星通信を行う。サイズが多めなのは、機能を満載するためではなく、ソーラー発電機能を充実させるためのものだ。かぐやの受け持つミッションでは、電源が満足に得られないことが少なくない。
渡嘉敷港からは高速船マリンライナー「とかしき」に乗船した。
那覇市泊港北岸まで35分で到着。
ここまでは順調に進んだが、沖縄本島である。油断はならない。どこで、誰が監視の目を光らせているかわからない。
幸い、この港にまで自立防衛隊の隊員や地元警察官の目は光っていないようだった。
だが、陽は高い、日差しが容赦なく降りかかる。明るく、人目の多ければ多いほど危険は増す。まずは、この泊港から抜け出さなければならない。
船を降り、乗船券販売窓口を抜けて港ビルに差し掛かった時、かぐやは男の声に呼び止められた。
かぐやは、マリンライナーに乗っていた時から感じていた、嫌な予感が的中したのを感じた。
「彼女、どこへ行くの?1人でしょ。島の人じゃないよね」
ここで面倒を起こすのは、最悪だ。
マリンライナーには自分に視線を向ける陽に焼けた若者が3人いた。背が高く、顔立ちは整っている。俺たちはイケメンだとうぬぼれているに違いない。こうして、かつては本土から遊びに来た若い娘たちをナンパして好き放題にしていたのだろう。
この面倒な連中が、脳内妄想だけで済ませてくれればいいのだが、たぶんそうはいかないだろうなとかぐやは感じていた。
またしても、自分の女の部分が無用なトラブルを引き寄せたようだ。
かぐやは腹立ちを覚えたが、すぐに切り替えた。感情を抑制できない戦士は生き残れない。
振り切れなければ、利用すればいい。
若者たちは歩を早め、かぐやの両脇と背後を囲んだ。
「良かったら、ぼくらと一緒にどこか行きませんか」
左側の頬にわずかな傷のある男が白い歯を見せて笑いかけた。
「僕たち、決して怪しいもんじゃないし」
今度は右側の男が、ややふざけた口調で話しかけた。
続いて左右の男たちと背後の男が一気にしゃべり出したが、かぐやはほとんど耳に入れなかった。
男たちは、沖縄国独立宣言のせいで女に飢えていたのか、かぐやが特に気に入ったのか、安易に振り切れそうになかった。
やれやれ、面倒なことだ。
かといって公衆の面前で、叩きのめすわけにもいかなかった。
「いいわよ。お昼ご飯、連れていってくれない」
臨機応変に事態に対処し、最善を尽くせ。訓練所での教官の声を思い出す。
こうなれば、可能な限り利用してやろう。
男達は歓声を上げた。周りの通行人が数人振り返るほどの大声で。かぐやは胸の内で舌打ちをして、わき起こる殺意を押し殺した。
男達は5分ほど歩いて、賑やかな表通りから2本裏の通りにある郷土レストラン「なんくるないさ~」にかぐやを案内した。ふざけた屋号の店の中には、昼時だというのに客は1組、2人しかいなく、しかも食事を終えて帰りがけであった。
なるほど、すべては男どもの思惑通りというわけだ。
テーブルが全部で8つあるうちの、最も奥まったところへ彼らは席をとった。
一番体格のいい男が、かぐやに席を勧めながら話しかけた。
「ここは俺の親戚がやってる店なんで、気兼ねなくやってください」
「料理もうまいし、値段も安いです。もちろん、僕らが奢らせてもらいますけどね」
かぐやは、神妙にうなずいて、腰を下ろした。
「で、彼女、名前は?」
「
「すっげぇ、芸能人みたいじゃん」
先ほど右側にいた、茶髪の男が喜びの声を上げた。
頬に傷のある男も、満面の笑みを浮かべた自己紹介を始めた。
「いや、へたな芸能人よりもずっと美人だよ。そうそう、俺はリュウ、こいつはシン、それからこいつがトラン」
先ほど、右側にいたのがシンで、後ろにいた一番体格のいい男がトランか。
「トラン?」
「ああ、時々、ライブハウスでこれを吹いてるから」
シンがトランペットを吹く真似をした。
「俺たちも、たまに出てるんだ。あんまりうまくないけどね。「一応、俺がドラム叩いて、リュウがボーカル」
ひどい雑音が響いてきそうだ。それとも、コミックバンドなのか?
「で、何を飲む?俺らはビール頼むけど、一緒でいいかな?」
昼間からビールか。ふだんは決してアルコールを口にすることはないが、飲めないわけではない。ここは彼らのペースに
「じゃ、バドワイザーを」
「あぁ缶ビールか、そうか」
なんだ、がっかりしているぞ、こいつら。
「いいよね。缶ビールでいいよ。マスター4本持ってきてよ」
ゴマ塩頭を短く刈りあげた癖のありそうな男が厨房から姿を現した。
こいつもグルに違いない。
バドワイザーはあまり冷えていなかったが、沖縄の暑さの中で飲むとひときわおいしく感じられた。
「いい飲みっぷりだ」
「もう一杯どうだい?」
酔わせて襲う気なのか?じゃ、その手に乗らないと。
「いただける?」
「いいよ、いいよ。どんどん飲んで。嬉しいね、こんな美人と昼間から飲めるなんて」
「マスター、そうだ、生があったでしょ。めったに手に入らないスターツの生ビール」
「そうそう、今日は出してよ。特別な日なんだから」
かぐやは連中の声のトーンがほんのわずか変化したのを感じた。
鍛え上げた感覚が、危険信号を送っている。
さりげなくマスターを観察すると、グラスさばきに一瞬だけ不自然な動きが見て取れた。
さては、何か仕込んだな。
中ジョッキに注がれた生ビールが運ばれてきた。
今度は良く冷えているのか、グラスには早くも水滴が付いている。
「うひょ、これはたまらん」
「乾杯しようぜ」
「おう」
男たちはグラスを勢いよく振り上げた。
「俺たちの出会いに」
かぐやは間合いをはかり、勢いよくグラスを持ち上げると、正面にいたシンのグラスに激しくグラスをぶつけた。
「うわぁ」
ビールがテーブルに振りかかり、全員の上半身にもしぶきが飛んだ。
「ごめんなさい。私ったら」
かぐやは慌てて立ち上がった。
できるだけ可愛く見えるポーズを取って男たちを観察する。
驚きの次に、一瞬がっかりした表情、そして気を取り直して座り直す。
「いいよ、いいよ。可愛いから許しちゃおう」
「そうそう、可愛いから」
「元気いいんだね。有紗ちゃん。それとも少し酔っちゃった?」
「私は大丈夫だけど、みんな、服がぬれちゃったね」
「俺らはいいよ。でも、有紗ちゃんはかわいそうだね」
リュウがマスターに顔を向けた。
「ねぇ、マスター。奥の部屋、使わせてよ。あそこならシャワーもあるでしょ」
マスターはリュウに視線を向けることなく、頷いた。
「有紗ちゃん。この奥にマスターのプライベートルームがあるから、服を乾かして、良かったらシャワーも浴びたら」
「それは、ちょっと。申し訳ないし」
遠慮してみせると、男たちは口々にプライベートルームを使うことを勧めてきた。ドラッグ入りのビールがだめなら、今度は押し込める気か。相変わらずしつこい連中だ。
いいわ、こいつらのレイプ部屋を覗いてやろう。
「じゃ、使わせてもらおうかな。汗もかいてるし」
輝くような笑顔を向ける。
「しっかり見張っていてね」
「もちろん、俺たち3人もいるから、絶対に大丈夫に決まっている」
あきれた。3人もいるから、危ないのに。
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