第3話 沖縄侵入 飛来

 沖縄には本島以外に57の離島がある。

 観光客に人気のある宮古島、石垣島、波照間島、西表島などもあるが、無人島も存在する。無人島といっても沖縄本島に近く、昼間にはビーチツアーなどが数多く組まれて賑やかな島も少なくない。

 ただし、それもあくまで昼間のことだ。

 夕陽が沈んで重い闇がすっかり定着した時刻、防衛レーダーに捕捉されない軍用小型航空機が超低空飛行で無人島の一つに近づき、黒い陰を二つ落としていった。

 一つは防衛省防衛政策局諜報特務課(Intelligence Special Service Agency 略称ISSA)に所属する特殊工作員「かぐや」、もう一つはかぐやが砂浜に引き上げて組み立てた小型船外機付のゴムボートだ。

 今の沖縄に、正規の入国ルートは存在しない。

 入国、いや、入域だろうか?

 かぐやは極秘訓練施設、通称アスラムで接した「沖縄国独立宣言」の報道を思い出す。

 別名、「8・15かりゆしの政変」。

 日本政府にとってみれば、忌まわしき軍事クーデター、あるいは軍事テロである。


 沖縄県知事選に元アイドルグループのメンバーが立候補を表明した。立候補者、新垣里江あらがきりえは、当初、誰の目にも泡沫ほうまつ候補と思われ、政府与党が推薦する現職県知事と、野党勢力が推す基地反対派の元那覇市議との一騎打ちと目されていた。

 それでも、元アイドルという物珍しさとビジュアル面で「絵になる」候補としてマスコミで連日取り上げられた。同時に、勝手連として現役アイドルやアイドル予備軍が続々と結集し、連日、派手なパフォーマンスを繰り広げて若者を中心に支持を広げていった。

 元アイドル自身も県知事、元市議と政治論戦を繰り広げて少しもひけをとらなかった。それは多くの県民、日本国民を驚かせると共に、その意外性が人気を呼んでさらに支持の裾野を広げていった。優秀な政策ブレーンがいるか、裏に老練な指南役がいるに違いないという憶測が流れたが、証拠は何もつかめなかった。

 結果、票のバブル現象が起こった。

 アイドルのコンサートや握手会に集まるかのごとく、若者が続々と投票所に訪れ、長い列を作った。公選法を改正し、選挙権年齢を18歳に引き下げたこともバブルを増幅した。対立候補の名もしらない若者さえ投票所に足を運んだ。

 「衆愚しゅうぐ政治だ。アイドルに政治ができるはずがない」

 県知事の選対委員長が吐き捨てるように言ったが、後の祭りであった。

 元アイドルが圧倒的な勝利を収めた。

 そして、三ヶ月後、勝手連のミニスカート達が消え、アイドル色を一掃した新垣新知事は、定例の記者会見ではなく、早朝の異例な会見を行った。

 事前に何の情報もなく、いぶかしがる記者達を前に、彼女は、静かな口調で沖縄国の独立宣言を行った。

 記者質問は噛み合わないまま短時間で終わった。事態がまるで把握できていない記者たちは誰も核心に触れる質問を思いつくことができなかった。

 知事はにこやかな笑顔で会見を打ち切った。

 しばらく茫然ぼうぜん自失の記者達だったが、やがて誰かの意味不明な叫び声をきっかけに、一斉に会見会場を飛び出していった。これは本当のことか、事実なのか?茶番ではないか、何かのバラエティでわれわれは乗せられているのではないか?

 何もかもが信じられなかった。誰も、何も確信が持てなかった。とりあえず、多くの人と語り合い、話し合いたいと思った。特に、自社の、誰かと。

 テレビの中継映像は、日本政府の首脳を叩き起こした。彼らは、着の身着のまま、首相官邸に集まった。

「アメリカは何をしている。何の情報もないのか?」

 首相の岸部が外相の河野に尋ねた。

「全力で情報収集にあたっていますが、あちらさんでも何かとんでもないことが起こっているようです」

 河野外相は苦悶の表情で答えた。

 何かが、尋常でない、何かが起こっている。

 だが、憶測でものを言ってはならない。政府首脳として長年、自らを律して培ってきた、それは掟であった。

 記者会見に先立つ3時間前、沖縄アメリカ軍総司令部、防衛省沖縄防衛局、航空自衛隊那覇基地などの各地の軍事施設および主要行政機関を沖縄自立防衛軍を名乗る完全武装部隊が急襲した。

 2時間後、勇敢に立ち向かった数名の軍人、運の悪い数名の警備員の命がうしなわれ、沖縄自立防衛軍は完全掌握を果たした。

 沖縄アメリカ軍総司令官マイケル・ブラッドレー、沖縄防衛局長神田由起夫および、折悪しく司令部を表敬訪問していた駐日アメリカ大使メアリー・ウッドワードも同様に拉致・監禁された。駐日アメリカ大使は、前アメリカ合衆国大統領の長女であった。これにより、戦略核を含めた莫大なアメリカ軍の軍事力のすべてが封じられた。

 そして、沖縄自立防衛軍の蜂起と歩調を合わせるかのように、沖縄本島以南の南西諸島に対して、中国海警巡視船団のフリゲート艦隊および中国海軍の東方攻略艦隊が進撃を開始した。

 日本の不備な防衛ラインは抵抗らしい抵抗もできないまま、あっけなく制圧され、中国は宮古列島、八重山列島、そして尖閣諸島を占拠し、実効支配した。アメリカが日本の防衛省に死守すべきと訴えた南西諸島ラインはいともたやすく破られた。電光石火のこの進撃にアメリカ大統領は激高げっこうしたと伝えられるが、世界最強の軍事大国でありながら、現状では何の具体策も打てないままであった。一方、中国国内は、あちらこちらで爆竹が鳴り響き、お祭り騒ぎに沸いた。


 それらは日本中央政府をはじめ、沖縄を除く日本国民すべてが驚愕きょうがくした報道内容だった。

 国中がパニックになるとはこういうことなのか、かぐやは人里から著しく隔離され、世間からもっともかけ離れた場所にいながらもそれを強く感じることができた。

 政治が麻痺し、経済は太平洋戦争後のあらゆる経済不況のすべてに勝る急減速に陥った。日本国が債務を支払えなくなる、いわゆるデフォルト危機が現実味を帯びて世界のニュースで報じられ、世界同時不況の引き金となった。新興国を始め、多くの国の首脳が日本政府の無能ぶりを呪った。

 かぐやを最も驚かせたのは、しかし、その政治的混乱や経済危機ではない。

 何らかの報道統制、規制が行われていて、歪曲の可能性を否定することはできないにしても、多くの沖縄の人々が、この「沖縄国独立」を歓迎しているように見えることだった。

 なるほど、背後には誰の目にもはっきり中国の姿が見える。

 沖縄国の首脳は中国政府の傀儡かいらいではないかという疑いも濃い。

 だが、沖縄の人たちは、報道を見る限り、熱狂し、状況の変化を受け入れている。

 ある意味、その理由がわからなくもない。

 太平洋戦争後、沖縄は1951年のサンフランシスコ講話条約締結後もアメリカの占領下におかれ、人権の抑圧、アメリカ軍の暴政、アメリカ軍兵士の犯罪に苦しめられてきた。

 そして、東西冷戦が激化し、ベトナム戦争が泥沼化する中、沖縄はアメリカ軍基地の最重要拠点としての役割を担い続け、アメリカ大統領も沖縄返還については耳を塞ぎ、口を閉ざしてきた。

 沖縄は本土に捨てられたのではない。捨てられたのであれば、アメリカなり中国なりが拾ってくれたであろう。

 沖縄は、日本という国に捨てられ続けたのである。この苦しみは味わったものにしかわからない。

 1971年、沖縄はようやく本土復帰を果たす。しかし、それによって沖縄の人々に笑顔が戻ったわけではない。

 沖縄返還は、日米安全保障条約の延長、つまり沖縄基地、米軍駐屯の継続とのバーター取引に過ぎなかったからである。本質的な問題が何も解決されないままであれば、誰が本土復帰を手放しで喜ぶだろうか。

 沖縄の苦しみは続く。

 沖縄県民の平均所得はほぼ最下位を続け、失業率は全国平均から群を抜いて高止まりしている。

 沖縄の若者の中には希望を失い、本土へ足を向けるか、自暴自棄じぼうじきな生活へ落ち込んでいくものが少なくない。

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