第2話

 さて、当然のことだが船員室は男女別に、船の左舷側が男性、右舷側が女性というように分けられている。


 ファシール合星国に属する星系は三桁を数えるが、幸いなことにその全ての星系では基本的に同じような姿形をした人類が覇権を握ってきた。

 即ち、炭素系生物であり、二性での遺伝子交換によって生殖する哺乳類だ。

 皮膚の色や質感、体毛の有無などの細かな差異は珍しく無いものの、体の最上部に一つの頭部を持ち、そこに大脳や多くの感覚器官を持つのは共通している。

 また、腕は左右二本を持つものが圧倒的多数を占め、脚も同様に左右一対を持つ。

 呼吸器や消化器など重要な内臓器官は体幹部に集約されており、過半数の星系ではほぼ同じ組成の大気で呼吸を行っている。


 と、なると、当然ながら異なる星系の出身同士でも恋愛感情が発展し、結婚して子をなすこともある。

 一部の、身体的にどうしても難しい理由がある場合を除き、碌に記録も残っていないほど遠い過去から他星系出身者同士での結婚は一般的になっている。


 従って、共同生活を営む軍隊においては風紀の乱れを抑制するために男女別の宿舎は一般的であり、公的機関や民間においても格別に風紀の緩い文化がある星系の地表を除けば、性別で分けられるのは当然であった。


 練習航海の監督官として三人いる教官のうち女性は保安科の教官だけで、残りの二人、航海科のロッシ教官と機関科の教官は男性である。

 ダン達航海科の生徒は二人が女性であるため、彼女らとは食堂で別れた。

 それぞれの船員室ねぐらを確認した後、船員用の体育室で再び落ち合う予定だ。


 ダンを含む男性の生徒達は二人の教官に付き従い、食堂を出てすぐにある転送機を横目に床面が照明源となっている船内通路をぞろぞろと歩く。


「ったく……転送機くらい使わせてくれよ……輸送艦の中で迷子になるような奴はいねぇって。なぁ、ダン?」


 いつの間にかダンの隣を歩いていたゲインが小声で不満を訴えてきた。

 ダンとしても似たような気持ちではあった。

 しかし、クイジーナ2は先程船長から伝えられた通り、惑星開発調査船として大改装を受けている。

 軍の大型輸送艦とは最早別種の船と言っても良い。

 だから、慢心は良くないと思ったダンは、返事をしようとゲインの方を向いて口を開きかけた。


「バーハッヅ生徒! 無駄口を叩くな!」


 機関科の教官が地獄耳でゲインの不満を叱責する。


――おっと! 危なかった……。


「それから貴様! 貴様も反応しようとするな! 馬鹿に合わせると馬鹿が感染すうつるぞ!」

「は! 申し訳ありません、教官殿!」


 叱責を受けた二人は直立不動の姿勢を取ると、唱和するように声を合わせてお決まりの言葉を叫ぶ。

 その後暫く、二人は口汚く罵られる羽目になったが、流石に術科学校の卒業を目前に控え、この程度の叱責など幾度も経験して来ている二人にとっては悪罵など馬耳東風である。

「まぁまぁ、ジムロン軍曹。後の予定もありますし、今はその辺で……」

 航海科の教官であるロッシが現実に立ち返るように宥めなければもう少し叱責は長引いていた。


 厳しく指導を行うゲムリード航海術科学校の教官連中の中でもロッシは比較的穏健な性格で、そこそこに若い年齢もあって生徒達の兄貴分のような存在である。

 また、今回の練習航海に於いて教官の中では唯一の士官でもあった。

 通常、軍の実技教官は士官学校だろうと下士官が行うのが常なのだが、航海科だけは士官が実技教官となる。

 その理由は要求される知識や技能、それに何と言っても艦の中枢を担う艦橋での実務もあるため、士官でないと触れない機器も多いからだ。


 船内通路を歩くこと三分弱。

 ずらりと立ち並ぶ船員室の前で生徒達に部屋が充てがわれていく。


「……次。ダン・グレイウッド生徒。貴様は302号室だ」

「はっ、了解であります!」


 ダンに充てがわれた部屋はクイジーナ2が改装されて以降、こんな時でもない限り使われることのない船員室だ。

 本来は四人部屋だがこの練習航海に於いてはたった二人で使用出来るのはありがたい。


「よう!」


 また、偶然にも機関科のゲインと同室であることについてもなんとなく嬉しく思った。

 ゲインはムードメーカー的な所もあり、気も合いそうだと感じていたからだ。


「俺、こっちでいいか?」


 部屋に入って右側の二段ベッドを指差しながら、返事も聞かずにダンは雑嚢を放り投げた。

 生活エリアであるために重力制御装置が作動しているので、床面に対する重力はダンの故郷であるライル星とほぼ同一に感じられる。


「ああ、いいさ。同じベッドに寝たいなんて言い出さなきゃどこでも構わねぇよ」


 雑嚢から出した買い物袋を左側の二段ベッドの足元にあるロッカーに押し込みながらゲインが答える。


「流石にシャワー室まではないか」


 それを見たダンも思い出したように雑嚢から買い物袋を引っ張り出すと、ロッカーに押し込みながら言った。

 品の無いゲインの冗談には敢えて反応しない。

 改装されたとはいえ、客船でもないのだから部屋ごとの専用シャワー室などという贅沢は旧艦長室、恐らくは現船長室以外には望むべくもない。


「お。知らない型だな」


 制服を脱ぎ、バイタルスーツに着替え始めたダンを見たゲインが感心したような声を上げた。


 バイタルスーツは人工重力の無い宇宙船内に於いて衣服の下に着用するものである。

 両手首にあるコントロールユニットと首の周囲にある制御コンピューターユニットを除き、大部分が薄いフィルム状をしている。

 一般的な人型生物の場合、頭部と排泄器周辺を除く体のほぼ全て、それこそ足の爪先から手の指先までの全身を覆う事になる。

 スーツの各所にはセンサーが内蔵されており、無重量状態下における体液の移動を感知する。

 センサーが体液の異常な移動を感知すると、スーツは身体の当該部位に対して電気刺激を含む適切な刺激を与えることによって体液を地上同様、全身に行き渡らせるようにしてくれるのだ。

 また、装着者の健康状態をモニタリングし、負傷時など緊急の際には自動的にビーコンを発してくれる。


 勿論、宇宙服の代わりになる機能もないし、降下猟兵が装着する装甲戦闘服のように超人的な身体能力を発揮できるようなパワーアシスト機能などもない。

 要するに無重量空間用の健康維持装置の一種である。

 重力エリアの少ない軍艦では絶対に必要な物だが、一般の宇宙船では重力を調整していないエリアの方が圧倒的に少ないので軍人以外には馴染みの薄いものだと言えよう。


「メーカーが違うんだろ」

――細かいことに気が付く奴だな。でも、そういう奴の方がいいか。


 エンジンの面倒を見る機関科ならばスーツの細かな差異に気付くことは大切な能力なのかも知れない、とダンは思った。


「あの子、カミラちゃんだっけ。あの子も今頃バイタル着てるのかな?」


 ゲインは下卑た表情をしながら言う。


「そりゃあ……そうだろう。日がな一日、居住区にこもってるなんて訳にも行かないだろうし」


 実はダンの方も似たような事を考えていたのでゲインを責めるようなことは口にしなかった。いや、出来なかった。


 軍艦では乗組員の居室や食堂、体育室などの居住パートは全て重力がある区画に集中している。クイジーナ2の場合、元が輸送艦であるためにこの重力エリアは船体の後方に集中している。勿論船橋や戦闘指揮所もこのエリア内にある。

 艦内で生活する上で、このエリアを出なくても問題はないが、四ヶ月もこの狭いエリアに押し込められるのは精神衛生上宜しくない。

 短気がちになり、兵士同士の喧嘩に発展することさえあるのだ。

 そうでなければ鬱状態に陥り、船内における作業効率に影響を及ぼしてしまう。

 従って軍艦では空き時間を利用しての体育室での運動が奨励されているのは勿論のこと、最低でも一週間に一度は異常検査を兼ねて艦内を散歩し、僅かしかない舷側から宇宙空間を眺めたりすることが義務付けられている。

 軍籍を離れたとはいえ、客船ではないのだから、遅かれ早かれ彼女も当然バイタルスーツを着用するはずだ。


 体表にもう一枚、薄皮を貼り付けたようになっているバイタルスーツ姿の自分を見ると、あの綺麗な顔をした女の子がこのスーツを着用している姿が頭の中に描かれてしまう。

 健康な男性であれば無理も無い。


「機関科には女の子も居るじゃないか」


 自分の脳裏に描かれた妄想を追い払うようにダンは言った。


「ばっか、おめぇ、あんなのは女じゃねぇ、メスだ……よっと」


 いつの間にかバイタルスーツに着替え始めていたゲインが、彼の同期生が聞いたら憤慨するようなことを言いいながらスーツの手首にあるアジャスタスイッチを押す。

 ぱしゅっ、と軽い音を立てて彼の体表にスーツが密着した。


 下着を穿いて、再び制服に袖を通しながらダンもゲインと同様に軍人にあるまじき、品のない会話をする。

 二人が通路に出ると既に半分くらいの生徒が教官達の前に整列していた。

 ダンとゲインもその端に並んだ。




■□■




「よし、航海科はこれを胸に付け、各人の端末に同期させろ」


 体育室でロッシ教官が五人の航海科の生徒たちに配ったものは、先ほど船長から受け取っていたIDカードである。


 ダンも過去に星系内の短期航海実習の際に見知っているものだ。

 簡単に言うとこのIDカードを所有している人物は乗組員であるという証明にもなる。

 ダンの場合は持ち場である船橋要員である事の証明になり、一定区域のセキュリティを素通り出来るようにしてくれる。

 また、このIDカードに同期させたタブレットをコンソールのスロットに挿入することでIDによって許可された範囲内で船内の設備が操作可能となる。


 ダンが目指す航海科下士官の仕事は操船と各種観測機器センサーの操作である。

 このIDカードがないと非常時における手動操作は勿論、通常航行時に於いても上級の航海科の士官から命じられる航路設定に必要な数値入力も不可能になってしまう。

 つまりIDカードに同期させ、個人の指紋や静脈データを記憶させた個人携帯端末タブレットが無ければ姿勢制御スラスターや各種センサーを使うことが出来ず、操船など行うことは出来ない。


 IDカードを受け取り、タブレットをID同期モードにして接触させる。

――二等航海士……下士官相当ってことか?

 軍の表記とは異なる権限表記に僅かに戸惑うが、乗り組んでいるのは軍艦ではない事を思い出し、納得するダン。


「では、これから艦きょ、船橋へと向かう。しっかりと順路を頭に叩き込めよ。その後は旧戦闘指揮所だ。……まずは貴様、グレイウッド生徒。皆を先導しろ」

――どうやらゲインとは一旦ここでお別れのようだな。


 ダンはタブレットで船内図を開くと船橋への順路を確認して、航海科の生徒達と共に最後尾を付いて来るロッシ教官を先導して歩き始めた。


 図体は大きくとも元々は機能的な設計が施されている軍艦らしく、船橋の扉までの移動にはさして時間は掛からない。

 五分も経たないうちに到着してしまった。


 船橋への入り口である扉の天井辺りで監視カメラに連動した対侵入者用のセキュリティシステムは各人のIDカードを認めているために特別な動作はしていない。

 本来ならとっくの昔に警告アナウンスが流れ、それを無視してこの距離まで接近しているのであれば熱線銃による射撃が行われている。


「この先が船橋だ。貴様らの入室は日付が変わるまで許されていない。次、貴様、ミュッシ・ホーマック生徒。皆を先導して戦闘指揮所に向かえ」


 教官の言葉にミュッシが大声で返答し、一行は旧戦闘指揮所へと向かう。

 こちらは船橋と異なりかなり複雑な通路を経なければならない。

 万が一、本来の乗組員以外に侵入された時の事を想定して抵抗線を張りやすい順路になっているのだ。


 また十分ほど掛けて旧戦闘指揮所の前まで到着した。


「貴様ら、今の順路を頭に叩き込んだか? よし。以降は各人毎に分かれて担当のセンサーの調整・点検用のバルジを巡る。こちらも同様に頭に入れるんだ。完全に覚えるまで転送機は使うなよ?」


 ロッシ教官はそう言うと生徒達各人に担当エリアを割り振った。

 ダンの担当は船の右舷エリア全般だ。


「現在時刻は一五二二ヒトゴーニーニー。確認途中でも夕食迄には一度食堂に戻ること。続きは夕食後、日付が変わるまでに行えばいい。また、人工重力はこの第三甲板と船橋、戦闘指揮所近辺しかカバーしていないとのことだからな。各員、ガスガンの携帯を忘れるな」


 体育室にあった箱の中から軍で使用されている標準品のガスガンを取り出して生徒に渡しながらロッシ教官が言った。


 ガスガンは文字通りガスを噴射し、その反動を利用して無重量状態でも移動を可能にする道具である。

 無重量状態且つ広い空間で移動方向を変えたい時や、壁など蹴る物、触れられるような物が周囲にない時、又は移動中の加速や減速に使うものだ。

 宇宙の軍人であるダンたちも星系内航海実習などで何度も使用経験はある。


 ダンはガスガンを受け取ると早速最小出力に目盛りを合わせ、テスト噴射を行う。

 ガスの残量も充分にあり、異常は見受けられない。

 早速制服の腰にホルスターを装着し、銃把の下部とストラップで接続した。




■□■




 結局夕食までには担当エリアの半分しか回れなかった。


「センサーの数、多過ぎだろ……」


 船の周囲を監視する各種センサーは右舷側には合計三〇箇所程もあり、それが船の中心線の上下に二列に並んでいる。

 クイジーナ2は全長四㎞もの船であるから、上下に二列と言ってもそれぞれの間隔は三〇〇m程もある。

 通路も直線ぶち抜きには設計されていない。大体一〇〇~二〇〇m置きにクランクが配されているから無重量状態での移動には結構神経を使う。

 このクランクは白兵戦時に身を隠しながら抵抗するためのものでもあるし、爆風によって飛来する破片をそこでストップさせ、被害を限定させる効果もある。


 細い船内通路を初めて見る船内図を頼りにセンサー整備用のハッチを探しているうちに、もうそろそろ夕食の時間が近付いている。


 場所は船内図で判明しているとは言え、一度はそこに足を運んで大体の距離感や到着に必要な時間などを実感として理解しておく事は大切であるから、それに文句はない。

 しかし、いかにも数が多く、これでは夕食後の自由時間など僅かなものになってしまうだろう。

 明日の朝、朝食の時間は〇六〇〇マルロクマルマル

 その後は出航前の業務に組み込まれるだろうし、出港してしまえば決められた当直もある筈だ。


 出来れば同室になったゲインともう少し色々と話してみて、お互いの事について知っておきたかった。


――そろそろ食堂に戻らないと……。


 その時、通路の遠く先の方を誰かが横切ったように見えた。


「ん?」


 種を運用するために改装を受けたクイジーナ2は船倉カーゴ・スペースの大部分を種の格納庫として改造されている。

 その際に余ったデッドスペースを利用して、対消滅エンジン用の反陽子燃料を多く搭載出来るように、燃料庫もかなり拡張されている。

 遠目に一瞬だったので誰だかは判らないが、きっとクイジーナ2の正規の乗組員であろう。

 あの辺りには拡張燃料庫から主燃料庫への流量交換室へと向かう通路があるはずで、点検作業中の乗組員だ。


 もう出航まで二〇時間を切っている。

 出航前点検が始まっていてもおかしくない。

 と言うより、始まっていると見るべきであろう。


「いかんいかん。正規の乗組員も休む間もなく働いているんだし、決まった時間に飯が食える俺が不平を言ってどうするよ?」


 ダンは一つ頭を振ってそう呟くと、宇宙船乗りらしく通路の真ん中で手足を振る。

 ジャイロ姿勢制御で体の向きを変えたのだ。

 断続的にガスガンを噴射し、元来た方へ戻り始めた。


 ダンが食堂に入ると、まだ時間の十分前だというのに術科学校の生徒達は大多数が揃っていた。

 隅の方では例のウィングール大の一行も一塊になって何やら話をしている。


 ダンが船内設備の位置把握について同期生達に話を聞いてみると、皆は半分も終わっていないようであった。

 半分ほど終わっているダンはまだましな方のようだ。


「よう、俺達は明日の朝まで不眠が確定したぜ。これから十八ヶ所あるスラスターの動作チェックだとよ」


 ゲインが顔を歪めながらダンに話し掛けて来た。


「そりゃ大変だな。こっちもセンサー整備のために位置を覚えなきゃなんねぇよ。俺の担当区域だけで三〇もあるんだぜ……」


 ダンも負けず劣らず、やるせないような表情を浮かべて答える。


「うへ、そっちも大変なんだな……もし、席が自由なら一緒にメシ食おうぜ」

「ああ、勿論だ」


 彼と一緒の食事はダンとしても望むところであった。


「お?」


 ゲインが見た方の扉が開き、船長が顔を出した。

 術科学校の生徒達や学術調査隊の一行を受け入れた初日なので夕食は一緒に食べると聞いている。


 因みに、クイジーナ2では旧士官食堂は改装の際に撤廃されており、船長だろうが上級船員だろうが等しくこの食堂で食事を摂っている。

 当然メニューも同じな上、食器まで同じである。


 教官達や学術調査隊の代表が船長のもとに出向き、欠員は一人もいないと報告すると、鷹揚に頷いた船長は「では、ベンダーから好きなメニューをどうぞ。今日はナシュム星系のエビのグラタンがお勧めだ」と言って自らミールベンダーを操作した。


 毎食ごとに三〇〇種類程のメニューがあり、船員はその中から好きな物を選択して自らの献立を作成する事が出来る。

 宗教や肉体的な問題で食べることの出来ないメニューについても気が配られており、合星国に所属するどんな星系の出身者でもどれか一つは確実に食べられるメニューになるように配慮されているのは元が軍艦だからであろう。


 折角なのでダンもエビのグラタンをメインとしたメニューを選択した。

 船長のテーブルには三人の教官と調査隊のなんとか教授が着き和やかに会話を始めている。

 食事が盛られたプレートを持ちながら、ダンは空いたテーブルを探そうと振り返った。


――さて、ゲインは……と。え?


 ダンがゲインの姿を見付けたのは生徒達が固まっている幾つかのテーブルではなく、学術調査隊の面々が座っているテーブルだった。

 テーブルには数人の学者達に加えて例の女の子もいる。

 ゲインは彼らの一人に何やら話し掛け、丁度許可を得て椅子に座ろうとしているところだった。


――何やってんだ、あいつ?


 ダンがそう思ったの束の間、生徒達のテーブルの方から小さな声が漏れ聞こえてくる。


「おい、見ろよ」

「勇者だな」

「あいつ、機関科の奴だろ?」

「ああ、バーハッヅってんだが……なんか……すまん」

「手の早ぇやっちゃな」

「何よ、皆。あんな女の何処がいいのよ? ここには他にもいい女が沢山いるじゃない」

「本当、失礼しちゃう」

「……いや、お前らよりは余程上等……」

「よせよ。殺されたいのか?」


――うわ、最悪だ……! 気が付かなかった事にしよう。


 ゲインに声を掛けると自分まで同類とみなされてしまう。

 ここは無難に生徒達のテーブルの一つに潜り込もう。


 そう思ったダンが適当なテーブルに向かおうとした時。


「おーい、ダン! こっちだ!」


 ゲインの声が食堂に響いた。

 ダンは天を仰ぐ。


「彼が今話していたグレイウッド訓練生です」


 ダンが仕方なくテーブルに向かうとゲインは涼しい顔をしてダンの紹介をする。


「初めまして。ゲムリード航海術科学校所属のダン・グレイウッドです」


 しょうがないので簡単な自己紹介をして着席するダン。

 テーブルに着いていたのはゲインを除いて五人の男女である。

 中年の男性と女性が一人ずつ、三十代くらいの男性が一人、二十代半ばくらいの女性が一人、そしてダン達と同年代に見える若い女の子、エリスナーだ。

 全員が国立ウィングール大学に所属する教授や助教授、助手であった。

 また、さっと見たところ全員未だにバイタルスーツは着用していない。

 着用しているのであれば顔はともかく、首や手はスーツに覆われている筈である。


「あなたも惑星改造に興味をお持ちなの?」


 薄い臙脂色のスーツのような上品な服装をした中年の女性がダンに尋ねた。確か、ミダス星系の出身だと言っていたおばさんで、水色の肌をして濃い青い髪を短めに切りそろえている。


「え? あ?」


 突然の話にダンは混乱してしまった。


「ええ、彼も私と同様に可住惑星の拡大について興味がありまして、折角の良い機会なので是非話をお伺いしたいと……」


 ゲインが卒なく話し始める。

 と、同時にテーブルの下でコツンとダンの足を蹴ってきた。


――そういう事か……話を合わせろって? 仕方ないな。


「はは。そうですね。どうやって惑星の可住化を実現するのか、という方法論も大切ですが、それより惑星の可住化は合星国の人口問題の解決について一番有効な政策であることですね」


 どこかの雑誌か新聞で読んだ、当り障りのないことを口にするダン。


「ほう。君の言う通り、人口問題は今の合星国にとって一番重要なことだ。それを解決するのに造星学は一番有効な学問だと思う」


 ラジュール星系出身だと言う三十代くらいの男性が濁声で返事をする。

 この星系の主星であるホミール星人は赤銅色の肌に総白髪、額から短い角を一本生やし、非常に怖い顔つきに加えて大柄な体格が特徴的な人種である。が、同時に見た目に似合わず温厚かつ篤実な性格の者が多い上、合星国でも指折りの高い知性を持ち合わせていることで有名だ。


「ですよねぇ~、うんうん。私も全く同意見ですよ」


――こいつ、ゲイン……調子のいいこと言いやがって……。


 僅かながらゲインの為人が理解できたような気がするダンだったが、この後は食事に専念すべくエビのグラタンと格闘を始めた。殻付きのまま、というのが解せなかったがこれを好む星もあるのだろう。船長はナシュム星系の出身なのかも知れない。


 エビの殻から身を外し「殻はともかく、味は確かにいけたなぁ」とダンが満足し、気が付くとこのテーブルで喋っているのはゲインと調査隊の年嵩の人たちだけになっている。

 ゲインはしきりとエリスナーにも話を振っていたのだが、素っ気ない態度であしらわれているのがいっそ哀れみを呼び起こさせていた。


 会話の合間に適当に相槌を打つだけだったダンだが、潮時を悟った。


「さぁ、ゲイン。そろそろ行こう。スラスターのチェックがあるんだろ? 俺もセンサー位置の把握をしなくちゃ……それに、皆さんもまだお仕事があると仰っていたろ? 皆さん、失礼します」

「お? そうだな。では皆さん、我々は失礼します。普段耳にすることができないような貴重なお話も伺えて楽しいひと時でした」


 二人は調査隊の一行に挨拶を告げると自分の食器を持って席を立った。


「お前、造星学に興味あったの?」


 最初は調子のいい事を言っていたゲインだが、すぐに専門用語まで交えて会話をしていたために、ダンはゲインが造星学に対してある程度の知識とそれなりの見識があると見直していた。


「いンや。造星学なんて通り一遍の常識的な事しか知らないし、興味なんかさらさらないよ」


 プレートを食器返却口に放り込みながら、ゲインはさらりと衝撃的な事を述べた。


「えっ? だって、お前、あんなにすらすらと……俺なんかすぐに何話してるのか解らなくなって……」

「ああ、あれか。俺も解ってないから安心しろ。前後の話に合わせて適当ぶっこいてただけだ」


 プレート食器を返却口に放り込みながら、ダンは呆れた表情になる。


「そんなの専門家相手じゃすぐにバレ……てないか」


 確かに年嵩の研究員たちは「それは面白い意見だ」とか「そういう見方もあるわねぇ」などと感心したように言っていたようにダンには思えた。

 実際はゲインの下心などすっかりお見通しであり、ウブな兵士に恥を掻かせないように気を遣われていただけなのではあるが、残念ながら若い二人にはそれを見抜く目は育っていなかった。




■□■




――やっと終わりか……。


 現在時は二三一四(ニイサンイチヨン)。

 今は右舷の船体先頭付近に居る。

 ダンは担当区域内のセンサーとその整備用ハッチの位置について、やっと全ての把握が終わったところだ。

 点検用ハッチの多くは通路を這う何かのパイプなどの陰に隠れたりしており、確かに事前に確認しておかないと一刻を争う時にはそれを知っているかどうかが問題になるかも知れなかった。


――日付の変更まであと四五分か……。


 日付変更と共に船橋や旧戦闘指揮所への出入りが許可される筈である。

 その位置についてはしっかりと頭に叩き込んでおいてあるが、少なくとも船橋には一度顔を出して先輩となる船員に挨拶くらいはしておくのが宇宙の軍人として礼儀正しいあり方だろう。


――もう全てのセンサー位置について、その問題点も含めて把握したし、転送機を使ってもいいよな?


 怠け心が頭をもたげてくるの感じたダンだが、あっさりと「ま、急がなきゃならない訳でなし……」と無重力遊泳をしながら戻ることを選択した。

 クイジーナ2は元軍艦とは言え、現在は停泊中であり、そもそも戦闘でも起きない限り船内の機密扉が降りるようなことはまずない。

 船内通路の大部分は無重力のままであるので、壁を蹴り飛ばすなり、壁がなければガスガンを使って漂っていけば、船橋までの総延長距離である五km程度、二〇分もあれば到着してしまうだろう。

 ゆっくりと漂いながら行っても日付変更には充分に余裕がある。


 ダンはセンサー整備用のハッチを閉め、傍のパイプに手を掛けると適度に力を込め、体全体を通路の中央へゆっくりと漂わせる。

 通路中央に達する迄の僅かな間に右腕と左足だけを起用に動かし、能動的質量移動により体の向きを変えた。

 そして、叩き込まれた感覚で体の重心位置にエアガンの銃把を当てトリガーを引く。


 パスッ、というガス噴射音がしてダンの体は通路の真ん中をす~っと移動し始めた。

 勿論単に進行方向の反対側に噴射するのではなく、壁際から通路中央に向けて移動しようとするベクトルも残っているのでそれを打ち消すように微妙に角度は調整している。

 移動を始めると同時にまた手足を振って進行方向に対して体の正面を向けた。


 進路や速度を微調整しながら空中を移動すること数分。

 ダンは船体右舷中央付近にある転送機の傍まで戻ってきた。

 一〇〇m程先の通路の左右両脇に窪みがあり、ダンから見て通路の右側、船体中央側の窪みには転送機の一部が見える。

 と、丁度転送機から誰かが出てくるところのようだ。


 転送機の前に小さな粉末のような光がぱっと現れたかと思うと、あっという間に人の形にぎゅっと集束し、人型をした光の塊のようになる。

 すぐに光は消え、その場に一人の人物が現れた。

 まだかなりの距離があるので誰だかは判らないが、その身を包んでいるのは軍服でも、船員服でもない。少し前に見た記憶のある動きやすそうな平服だった。


――あの服、それに長い髪……あれは……エリスナーさんか?


 エリスナーらしき人物はすぐに手に持ったガスガンらしきものを顔に近づけ、少しばかりガスガンの側面に刻まれている刻印を眺めた後でそのままガスガンを噴射したようだ。


「あん? 何やってんだ?」


 ダンは思わず声を出してしまったが、無理も無い。

 転送機前の少し広めの空間で、溺れたカエルのように手足をばたつかせながらバレリーナのように背骨を中心に少し宙に浮いたままくるくると横回転し始めたのだ。

 慌てて手に持ったままのガスガンのトリガーを引いたようで、仰向けに倒れるような縦回転も加わった。

 長いブルネットの髪は乱れて大変なことになっているし、体は空中の一処ひとところに留まったまま重心点である臍の辺りを中心として複雑な回転になってしまった。


「おおおっ? あわわわわわわわ~!」


 ダンが近づくに連れ、慌てたような声が届いてきた。


 無重力状態に慣れていない人――典型的な素人だ。

 なびく長い髪を確認したことと、声が聞こえたためにエリスナーであると確信が得られた。何より彼女までの距離は三〇m程になっている。


――あの子……やっぱりエリスナーさんか……俺も兵学校に入ったばかりの頃はあんなもんだったか……。っと、助けてやらなきゃ。


 長時間回転を続けていると遠心力で血液がうまく流れず、場合によっては重篤な症状を引き起こしかねないが、バイタルスーツを着用していればそう滅多なことではおかしくなることはない。

 先程は身に着けていなかったようだが、無重力エリアに来るからには着用している筈だ。


「落ち着いて! 動かないで下さい! 今行きます!」


 ダンは大声で叫んだ。

 とにかく助けが来たことを知らせ、パニックを起こさせないようにすることが肝心である。

 手足がバタバタと動いたままだと助けに来たダンに触れてしまった場合、お互いに意図しない方向へ飛ばされてしまう可能性がある。

 その際にどこかに急所でもぶつけてしまったら双方ともに危険だ。


「~っ!!」


 ダンの声を耳にしたエリスナーは両手で口を塞ぐようにするが、まだ足は宙を掻くような動きを続けていた。

 手足が動かされた為に彼女の体には更に妙な回転が加わってしまい、髪の毛は不規則っぽい回転の遠心力でばさっと広がったままである。


「動かないで下さい!」


 ダンは怒鳴るように言うと、回転の規則性を確かめる。


「大丈夫ですから! 自分で何とか出来ます!」


 ダンの声を聞いて少しだけ落ち着きを取り戻したのか、エリスナーは意外にしっかりした言葉を返してきた。

 しかし、大丈夫ならとっくに回転を止られている筈であり、そもそもこんな事態に陥る筈もない。


「そのまま動かないで下さい!」


 上手にガスガンを噴射しながら速度を殺し、彼女に接近しながらダンはもう一度叫んだ。


「っだ、だいじょぶでひょえ!」


 気丈にもそう返答するカミラだが、ダンにはとても大丈夫そうには見えなかった。


「いいから、動かないで!」


「た、助け……あわわ……なんか……ふぇぇ……結構……」


――どう考えても必要だろうに。


「両手で足を抱えて! 後はこちらに任せて下さい!」


 ダンが言ったことがやっと耳に届いたのか、カミラは膝を抱えて玉のように丸くなった。


――これで回転が安定する筈だ……。


 ダンの予想通りカミラの回転はすぐに安定し始めた。


――あ~、髪の毛掴んで止めてやりたい。


 もうカミラに手が届く距離に到達した。


「そっと右手を水平に伸ばして」


 回転を見極めたダンが声を掛けると、カミラ玉からすっと右手が伸びた。

 まだガスガンは手に握られたままだ。


「左手も」


 左手も伸びた。

 タブレットを掴んでいる。


――チッ。両方共手に持ってるだけかよ。ストラップすら付けてないとはな。仕方ねぇ。


「合図をしたら右手のガスガンを放して! ……3、2、1、今!」


 すぽっとガスガンが彼女を手を離れ、床に固定された。

 船内で手に持って使用する道具の殆どには磁力を帯びさせており、何らかの原因で手放して浮遊してしまった場合でも壁や配管など手近な金属に接触した際に張り付くように作られている。

 余程高速でぶつかったのでもない限りはその程度の衝撃で壊れたりもしない。

 勿論、ダン達のように船乗りの訓練を受けた者であれば適当なストラップで制服の各所にあるリングなどに結びつけておくのは常識だ。

 続いて左手のタブレットも同様に手放させた。


「ゆっくりと両足を拡げながら伸ばして」


 カミラは大の字になる。

 体の重心点である臍下あたりを中心に、二秒で一回くらいの後ろに倒れるような回転に加え、背骨を中心に数秒で一回転くらいの右回りの回転が行われている。

 顔が真っ赤になっているのだけは判った。


「これから右手を掴みますから、すぐに左手をそのまま前方に思い切り振って、同時に右足を出来るだけ後ろに振って下さい」


「えっ!? 左手を、おおおっ?」


「慌てないで、私が右手を掴んだら左手を前に、右足を後ろに、です」


「あわ、そんな、いきなり言われても、むずかし……」


「あっ!」


 ここまで接近して気付いたことがあり、ダンは思わず声を上げてしまった。


――この子、まだバイタルスーツ着てなかったのか!?


 彼女の手は素手のままに見えた。


「えっ?」


 なにか大きな問題でもあったのかと問いかけるように答えるカミラ。


――まだ一分も経ってないから大丈夫だろうけど……でも急がなきゃ!


「エリスナーさん! 右手を掴んだら左手を前に、右足を後ろに、ですよ! いいですか!?」


「あ、こぉ、こおぉぉっ!?」


「まだ早い!」


 ダンがカミラの右手を掴む前に彼女は左手を前方に振る。

 急激な体重移動が発生したためにまた回転方向がずれてしまった。


「もう一回! 右手を掴んだ時に左手を上に、左足を前に!」


「えっ? 変わったのっ?」


――そりゃ変わるよっ! でも、そんな事より……!


「エリスナーさん。あんた、宇宙は初めてか!?」


 ダンより年下であることと、焦りもあってぞんざいな口を利いてしまう。


「い、今……そんなこと言われてもおぉぉっ!?」


――安全には替えられない。強引に止めるしかないか。


「絶対に動くな。今から回転を止めてやる!」


 ダンは右手に握ったガスガンの引き金を引くと強引にカミラに接近し、タイミングを合わせるとその体を左手一本で抱きしめた。


「きゃっ!? 何するのっ!?」


「動くなっ!」


 抗議の声を上げたカミラは、しかし、ダンの剣幕に驚いて口を噤んだ。


「ぐううっ!」

「あゎうぇぇぇっ!」


 カミラが持っていた慣性モーメントに割り込み、ダンも苦痛の声を上げる。

 左手でカミラを抱いたまま、ダンは巧みに右手と両足を振る。

 右手に握ったガスガンの噴射まで利用したことで程なくして回転は止まった。


「……ふぅ。なんとか上手く行ったか……」


 安心したような声で呟くダン。

 カミラは眼前数㎝にダンの顔があることを初めて意識した。


「た、助けてくれなんて言ってないんだから……」


――こ、こいつ、何を?

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