第6話 リビングの家族(+1)

リビングに久々に家族4人が集まっていた。しかし、そこには家族団欒の雰囲気は無かった。全員が押し黙ったまま、その深刻な顔をお互いに見合わせるばかりだった。

リビングの中央に置いてあるL字型のソファーの長い縦棒の位置に裕子が座り、その正面のキッチンに近いダイニングテーブルの椅子には、ジャージ姿の佳織と、短パンを穿いて右膝に厚くサポーターを巻いた翔太が並んで座っていた。そして、L字型のソファーの短い横棒の位置には、数か月振りに帰って来た父の健次郎が座っていた。健次郎は長身でがっしりした体格の40代半ばの男だった。

健次郎は何度も足を組み換え、今の家族の雰囲気をどうにかしようと考えていた。健次郎が何か話そうとしたその前に、佳織がたまりかねたように口を開いた。

「本当なのよ。信じられないのは分かるけど、でも、本当なの。翔太だって見てるんだから。」

「ああ、見たよ。ねえちゃんが言ってる通りだ。」

健次郎が裕子に顔を向けた。

「おまえも見たのか?」

「わたしは見てはいないけど・・・翔太の部屋のドアに刺さったシャープペンシルは見たわ。」

裕子の返事は歯切れが悪い。

「二人の言うことを全部信用するわけじゃないけど、最近何か変な感じがするのは確かよ。はっきりとは言えないけど・・・」

裕子の言葉は、どこまでも歯切れが悪い。

「ふーん・・・」

健次郎は考え込むような仕草をすると、目の前の小さなリビングテーブルの楊枝立てから、爪楊枝を1本抜き取り、口に咥えた。健次郎の昔からの癖だった。裕子は、健次郎のその癖と喫煙を嫌い、何度も健次郎にやめるように言ったが、煙草はやめられてもこの癖は直らなかった。

「でも、信じられないなぁ、そっくりの人間が現れて襲いかかって来るなんて。どこかのホラー映画じゃあるまいし。」

さっきから何度も繰り返されてきた会話だった。

裕子は、健次郎の爪楊枝を咥えた口元を、できるだけ見ないようにしながら健次郎に言った。

「また堂々巡りね。きりがないわ。あなた、爪楊枝咥えるのやめなさいよ。」

「いいじゃないか、ただの楊枝だろ。煙草をやめたから、口寂しいんだよ。」

裕子には、この返事が返ってくるのは分かっていた。これも、夫婦の間で何度も繰り返された会話だった。

「なんで爪楊枝くらいでそんなに煩くいうのか、わからないよ。」

裕子には、健次郎が意地になっているのではないかと感じていた。この癖をやめないことが、男として、夫としての最後のプライドになっているのではないかと。そうだとしたら、つまらないプライドだ、と裕子は思っても、さすがに口にはしない。もう爪楊枝に関しては、半ば諦めていた。

健次郎は、ポケットの中で携帯電話が振動するのを感じた。メールの着信だろう。誰からのメールなのかは、すぐに予想がついた。

 ― 真由美からだ。


真由美は、自分が福岡に単身赴任してから、なにかと世話を焼いてくれた。やがて、真由美は健次郎のマンションに来て、食事の世話や掃除などをしてくれるようになった。そうしているうちに、二人が会社の上司と部下という関係から、男と女の関係へと発展して行ったのは、自然の成り行きだったと、健次郎は考えている。真由美も、最初からそれを望んでいたのだと思う。今では、真由美は週末ごとに健次郎のマンションに来て、泊るようになっていた。

健次郎は、ベッドの中で真由美に自宅に帰ると伝えたときの、真由美の表情を思い出した。せつないような、悲しいような、なんとも言えない表情だった。ほんの1泊2日だよと言っても、真由美の表情は晴れなかった。

ねえ、いつ奥さんと離婚できるの。いつわたしと結婚してくれるの。

そう言った真由美の顔は、真剣そのものだった。思い詰めた様子さえ見て取れた。きっと、真由美からのこのメールは、自宅にいる自分へのあてつけか、妻への嫉妬だろう。

真由美に何かお土産を買って行ってあげよう。機嫌が直るような。

自分の思考に籠り始めていた健次郎は、裕子の発言で現実に引き戻された。

「ねえ、この家に一人でいる時間が一番長いのは、わたしなの。だから、わたしも正直言って、気持ち悪いわ。」

「だからと言って、常に見張りを置いておくわけにはいかないだろう。」

健次郎の言葉に、佳織が思い付いたように言う。

「そうだ、犬を飼ったら?大型で、誰か知らない人が家に入ってきたら、吠えかかってくれるような。」

「俺、レトリバーがいいな。ゴールデンじゃなくてラブラドールの方で。」

翔太も佳織に調子を合わせる。

「だめよ、犬なんて。わたしが動物嫌いなの、知ってるでしょ。」

裕子がぴしゃりと言う。確かに裕子は、犬も猫も、まったくだめだった。

「セコムを入れましょう。ホームセキュリティとか言うサービスがあったはずよ。」

裕子がきっぱりと言った。

「月々の費用が結構かかるんじゃないか?」

金銭に細かい健次郎が心配そうに言う。

「何百万円もかかるわけじゃないでしょ。そのくらい、わたしのマンションの家賃収入で賄うわ。」

裕子は、両親が遺した賃貸マンションを1棟持っている。

健次郎は反論の根拠を失い、消極的賛成の意味を込めて、小さく呟く。

「わかった。いいんじゃないか。」

「だったら、早速申し込んで。」

裕子が健次郎に言う。

「いいけど、たぶん、こちらの要望を聞いて、現地調査したうえでないと、具体的な警備内容とか、費用とかは出て来ないと思うよ。」

「だから?」

「警備の仕様については、3人で決めてくれ。それから、現地調査の立ち合いも、俺は無理だから。」

「いいわ、それはこちらでやるわ。」

裕子は、成り行きを見守っていた佳織と翔太にも確認する。

「と言うことで、いいわよね、二人とも。」

「それって、家の中のあちこちにカメラとか、センサーとかが付くってこと?」

佳織がやや不満そうに尋ねる。

「そんなことしたら、プライバシーとかはどうなるの?」

裕子は取り合わない。

「仕方ないでしょう。他に良い方法があるの?そのくらい我慢しなさい。」

「俺の部屋とか、風呂とかトイレにカメラ付けられたら、いやだな。」

翔太が言う。

「まさか、そんなところには付けないわよ。」

裕子が答える。

「おまえの部屋には付けてもらった方が良いんじゃない?変なことしたら、すぐにわかるように、わたしの部屋にモニターを置いて。」

元気を取り戻した佳織が翔太を弄る。翔太には姉の冗談を無視して、父に話しかけた。

「俺、足が直れば、次の大会にはベンチ入りできるかも知れないよ。」

しかしその言葉は、父の健次郎の耳には届かなかった。健次郎の思考は、既に自宅を飛び出して福岡のマンションに舞い戻っていた。


福岡に戻ったら、これからのことを真由美にどう説明しようか。離婚のことは、まだ妻に言い出していない。家の資産はほとんどが妻が親から相続したもので、妻の名義になっていて離婚しても財産分与は期待できない・・・なんて絶対に言えない。むしろ、裕子に自分と真由美との関係が気付かれたら、慰謝料を毟り取られるかも知れない・・・

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