第6話

 結局、その夜の最終決戦は最悪だった。

 俺の打つ手はことごとく裏目に出た。我がジ=ウォール都市国家連邦が擁する主力カード、山岳歩兵部隊は、まったくその真価を発揮できなかった――これほど負けが込む日は、久しぶりだ。カードの引きがいいだけの《ソルト》ジョーにすら惨敗するし、人を罠にハメようとする性格の悪いイシノオには馬鹿にされた。


 最終的には、俺はあわせて十万ほどの借金をこしらえることになった。

「トータルで見れば、ぼくの勝ちですね」

 と、ラストゲームを制したイシノオは笑った。

 こいつは勝ち星をもっとも多く集めた。俺と《ソルト》ジョーの連合軍は、卑劣な罠によって進軍を阻まれた挙句、兵站を切られて餓死同然の敗北を迎えた。イシノオが場に入ると、決まって戦いは凄惨なものになる。こいつが中世の貴族に生まれていなくてよかった。


「こうして蛮族どもを駆逐したぼくの南部帝国は、千年くらい繁栄することになるんじゃないですかね? どうです、もう一戦?」

「調子に乗るなよ」

 俺はイシノオをできるだけ怖い顔で睨みつけた。ただし、いまいち格好がつかない。

「次だ。今回の戦いで、俺の歩兵部隊の弱点は見えた」

「ヤシロ、いっつもそれ言ってるよな――まあ、いいけどよ。それで?」

 勝負のカタが一通りついて、ほとんど惰性でビールを飲みながら、《ソルト》ジョーはそんな風に切り出した。


「どうなったんだ、お前? 《琥珀の茨》はどうした?」

「さあね」

 実際のところ、知らない。

 城ヶ峰は《琥珀の茨》を相手に、どこから取り出したのか、手錠と拘束具で手際よく身柄を取り押さえていた。アカデミーに引き渡すらしい。殺さずに無力化する――学校ではそういうやり方を推奨しているのだろう。勝手にしてくれ、と思う。


「そんなことより、俺は大変だったんだよ。左の肩の骨にヒビ入ったし、たぶん右腕は折れてた」

 負傷の治療と痛み止めに、《E3》をさらにもう一本使うことになった。再生促進効果によりほとんどは治ったものの、これが何より最悪だった。《E3》の経費はバカにならないし、こんな仕事の仕方をしていれば、あっという間に《E3》中毒になってしまう。

 同じ中毒なら、ビールの方がまだマシだ。だから俺は再びジョッキを大きく呷る。

「完全に赤字だ」


 もともと、魔王《琥珀の茨》の首にかかった賞金を当て込んだ仕事だった。あの印堂雪音が眷属を派手に何人かぶち殺せば、ほとんどノーマークで《琥珀の茨》卿に接近し、暗殺できると思っていた。予想外な事態のせいで、すっかり目論見が外れた。

 城ヶ峰にふっかけた二千万という金額も、回収は不可能だろう。セーラとかいうのがアーサー王の娘だとしたら、父親にチクられたら堪らない。俺なんて後ろめたいところだらけの勇者だから、免許をさっさと剥奪され、指先一本で牢屋にぶち込まれる。

 ひどく落胆する俺の肩を、《ソルト》ジョーが叩いた。


「おとなしく入院しとけよ、ヤシロ。クスリで治すと変な風に骨がくっつくらしいぜ。知ってるか、マルタのやつが言ってたんだけどよ、無茶しすぎて治りかけの肋骨が心臓と――」

「黙れ」

 俺は《ソルト》ジョーの妄言を遮った。こいつは俺に病院へ行って欲しいだけだ。なぜなら、俺が病院送りになる方に賭けていたから。死んでもこいつの思う通りにはさせたくない。

「けどよ、ヤシロのそれ、マジで気になるな。その《琥珀の茨》の野郎、腕が生えたんだと?」

「まあ、そうだ」

「ウソじゃねえのかよ」

「さっきから何度言わせるんだよ。信じなくても別にいい」


 勇者稼業をやっていて出くわす、怪談の一種だと、《ソルト》ジョーには思われているだろう。殺した魔王が化けて出たとか、クスリの使いすぎで体が石になったとか。そういう類の怪談。少なくとも切り飛ばした腕が、バケモノみたいに生えてくるなんて、俺たちは聞いたことがなかった。

「面白そうですよね、それ」

 案の定、この手の話に食いついたのはイシノオだった。やつには猟奇趣味があり、こういう奇妙な話に首を突っ込みたがる癖がある。

「ぼくは少し調べてみますよ」

 イシノオには、もしかして心当たりでもあるのかもしれなかった。

「最初から、《琥珀の茨》の様子がおかしかったんですよね」

「さあ。クスリでラリってたのかもな」

「いやあ――何かあると思いますね」

「金になる話じゃねえだろ、そんなの。やめとけよ」

 俺は顔をしかめた。なんとなく、不吉な予感がしたからだ。


「それはどうでしょう。で、結局、どうするんですか、ヤシロさん」

 イシノオは器用にカードをシャッフルしながら、かすかに笑って俺を見ていた。そこには他人をコケにして楽しむ以外の意図が感じられなかった。

「弟子、取るんですか。あの子たちのことですよ。可愛いじゃないですか」

「クソだ」

 俺は吐き捨てた。

「何か裏があるな。アカデミーに通ってるなら、普通は教師から教わるもんだ」

「ぼくなら、月にひとり十万で引き受けますけどね。楽しめそうだ」

「クソ変態のサディストめ、勝手にしろ」


「じゃあ、なんだ。ヤシロ」

 《ソルト》ジョーはビールを飲み干し、そのまま、少し迷ってタバコに火をつけた。また禁煙をしていたところだったのかもしれない。こいつには永遠に無理だ。

「師匠の話は断ったのか?」

「そう言ってるつもりなんだけどな。ジョーは人の話をホントにぜんぜん聞かねえな」

「いちいち人の悪口言わずに喋れねえのか、お前は――ぶっ殺すぞ。だったら、ありゃ何だ。お前が呼んだんじゃないのかよ」


 俺はすぐに振り返った。まだ完全に骨が治っていなかったらしく、鋭い痛みが左の肩に走った。これは《E3》をもう一本くらい使う必要があるかもしれない。そして、バーの入口に立っている三人の少女を発見する。そいつらは、城ヶ峰亜希を除いて、なんとなく居心地が悪そうに見えた。


「悪いが」

 と、真っ先に声をかけたのは、黙ってカウンターの裏を掃除していたエド・サイラスだった。

「そろそろ店じまいだ。お前たちが勇者でも、今日は閉店だよ」

「はい」

 城ヶ峰は素直すぎる返事をした。

「すぐに帰ります! このたびは、お礼とご挨拶に参りました」

「口だけの謝礼はいいんだよ」

 俺は指で輪っかを作った。

「二千万、用意できたか?」

「いいえ! ですが、ひとまず今月の月謝です、師匠」

 城ヶ峰は、あんまり厚くない封筒を差し出した。それは聞き逃せない台詞だった――呆然とさせられる。これはもう、なし崩しに話を押し込んでくるつもりだと、俺にはすぐわかった。

 かける言葉はひとつしかない。

「帰れ」

「大丈夫です。我々一同、明日より厳しくご指導いただく覚悟は出来ています」


「よろしく、教官」

 続いて、どういう風の吹き回しなのか、印堂雪音が唐突に頭を下げた。かなり深い角度だった。ただし、見上げる目はやたら貪欲で、挑戦的なものを含んでいた。

「ヤシロ教官。ごめん。あなたはすごく強い」

「確かに俺は強い。だから、帰らないとぶっとばすぞ」

「それって、教官と戦えばいい? そうすれば、私は強くなれる?」

 印堂雪音はまったくもって真剣な顔で質問してくる。その手が応戦するように、腰のベルトに伸びていた。ナイフの柄に触れている――俺は沈黙するしかなかった。なるほど。確かに暴力による解決も、このケースの場合は難しい。


 俺が考え込んでいると、不意にセーラが声をあげた。

「ああ。ちょっと待った。あのさ」

 三人の中で、彼女だけは極めて困惑しているように見えた。金色の髪をかきむしり、ごくわずかに頭を下げる。

「まず、礼は言っとく」

 俺に対して恨みでもあるかのような言い方だった。

「助けてもらったんだろ、私も。亜希と雪音も。たぶん。で――いきなりで悪いんだけどさ、ちょっと事情があって。私ら、崖っぷちなんだよ」

「おいおい」


 不覚にも、俺は少し感動した。

「お前、少しだけど話が通じるな。見た目と違って」

「なんだよ、それ。馬鹿にしてんのか」

「いや、こいつら、ちょっとイカれてるだろ」

 俺の質問に対して、セーラは何も答えなかった。肯定の意味がある、と俺は考えた。しかし、俺が何か続ける前に、彼女は握手を求めるように片手を差し出した。


「父さんが」

 と、セーラは言った。不機嫌そうだが、目つきは本気だった。

「よろしくご指導してもらえって。ええと、《死神》の――ヤシロ先生。よくわかんねえけど。亜希があんたなら頼めるって思ったなら。マジでそうなんだろ?」

 俺は再び沈黙した。

 それ以外にできることはなかった。《ソルト》ジョーとイシノオは顔を見合わせて、忍び笑いを漏らした。エド・サイラスは無言で自分のためのビールを注いでいた。換気扇の回る音だけが、静かに響いていたのを覚えている。


 イシノオが消えたのは、その三日後だった。

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