レッスン2:困ったときは暴力

第1話

 勇者なんて商売をやっていると、人間関係が殺伐としてくるものだ。

 そんな中で、友達という存在は、それがどんなクソ野郎であっても貴重である。特に、一緒に遊ぶことができる友達なんて、勇者人生でどれだけ出会えることかわからない。


 その当時の俺たちと言えば、顔を合わせれば飽きもせずにカードゲームで遊んでいた。《七つのメダリオン》という。一昔前に流行って、いまは少し下火になりつつあるゲームだったが、俺たちはまったく飽きる気配がなかった。

 適量のビールと、温め直したジャンクフードと、《七つのメダリオン》。

 それさえあれば、俺たちは満足だった。本当にそれだけで良かった。俺は暇さえあればエド・サイラスの店に出入りして、ほかの常連の顔を見つけるだけで上等な気分になることができた。


 勇者稼業は、いつ死んでもおかしくない仕事だ。

 昨日は無事だったやつが、今朝死んでいる。そういうこともある。いつ自分が同じ目にあってもおかしくないし、そのことを考えると憂鬱になる。結局、俺たちはそういう現実から目をそらすために、エド・サイラスのバーに通うのかも知れなかった。


「やあ」

 と、その夜、俺がエド・サイラスのバーを訪れたとき、《もぐり》のマルタは片手をあげて俺に挨拶をした。俺は一瞬、呆気に取られ、返す言葉を失った。

「久しぶりだよ、ヤシロ」

 マルタはそう言って笑った。本当に久しぶりだった。

 浮浪者のような薄汚い身なりで、ハンチング帽を目深に被っている。ずんぐりとした見た目だった。その目つきは妙にぎょろぎょろとしており、その風体と重なって、道端に落ちている小銭でも探しているように見える。


 つまり、全体的に貧乏臭い男だった。彼の名をマルタ。それもどうせ偽名だろう。《もぐり》の二つ名が示すとおり、勇者免許を持たないアマチュア勇者である。

 俺たちを合法的な人殺しとするならば、彼はつまり非合法の人殺しというべきか。それでもここの店の常連の中では、わりと常識がある方だ。

 少なくとも、《ソルト》ジョーやイシノオ以上には。マルタはホームレスであり、携帯電話さえ持っていない。そうでなければ、もっと頻繁に連絡をとって遊びに誘うところだ。


 この夜は、マルタ以外に客は一人もいなかった。

 エド・サイラスはカウンターに頬杖をつきながら、俺に一瞥をくれただけで、ぼんやりとテレビを見つめていた。今夜は本当に商売をするつもりはないらしい。

「なんだ」

 俺はどうにかそれだけを言った。もう半年ばかりマルタの姿は見ていなかったし、この店の常連たちも、彼に連絡を取る手段さえ知らなかった。

「生きてたのかよ、マルタ! どこで油売ってたんだ?」

「まあね」

 マルタはにやにや笑いながら、手振りで『さっさと座れ』と勧めてくる。


「そろそろ暇なやつが誰か来てると思ってた。あんただけか、ヤシロ。《ソルト》ジョーとかイシノオのクソ野郎はどこだい?」

「俺だけだよ。ジョーは仕事みたいだが、イシノオはよくわからん。ここんところ連絡が取れねえから、マジにそろそろ死んだのかもな」

 俺は遠慮なくマルタの隣に座って、テーブルの上のビール瓶を手にとった。

「とりあえず、マルタの生存に乾杯してやろうか」

「そのビール、俺のだよ」

「そうだな。で、何やってた? 半年も」

「就職してたんだ。しばらくダフ屋で働いてた」

 マルタは片手でカードを数えるようなジェスチャーをしてみせる。ダフ屋とは、人気のあるチケットなどを安く買い叩いて占領し、欲しいやつに高く売りさばく商売のことだ――俺は仰天した。危うくビールを吹き出すところだった。


「なんだ? 嘘だろ? マルタが就職? 住所不定だったろお前」

「契約社員とか、社員寮って知ってるか、ヤシロよ。あれはいいぞ。自分がまっとうなことをしてるって手応えを味わえるからよ」

「で、もしかして、今日はそのボーナスで飲みに来たってわけか。この野郎! 裏切り者め!」

「ところがよ、俺、その会社をクビになっちまってな」

 マルタは苦笑いをした。こういうところだ。俺たちがマルタを憎めないのは。マルタという男は人殺し以外のなにをやらせても三流で、ひとつのことが長続きしたことがない。


「ダフ屋のクソ上司がね、カタギの婆ちゃん騙して、クソみたいなチケット売りさばけって俺に言ってきたんだ。そんなん冗談じゃねえだろう。だから、そのクソ上司の目玉潰して、金になりそうなモノ盗んで逃げてきたよ」

「天罰ってやつだな。――よし、エド・サイラス! マルタにビール奢ってやってくれ!」

 俺が怒鳴ると、エド・サイラスは憂鬱そうに片手を振った。『後でな』という意味だろう。テレビにはサッカーらしきスポーツの中継が映っている。どうやら目が離せないところらしい。

 だが、マルタは気にした様子もなく、薄汚いコートの内側から、意外に綺麗なチケットの束を差し出してみせた。

「だからよ、ヤシロ。今日はあんたらの誰かが、このチケット買うかと思ってな」

「おっ」


 俺は今度こそ、本格的に仰天することになった。ビールが気管支に入って、むせる。チケットがあまりにも高貴な輝きを放っているように見えて、危うく目が眩むところだった。俺は大いに興奮してしまった。

 そのチケットには、いくつかの簡潔な文字が記されている。《七つのメダリオン》。グランド・ウィンター・シーズン最終決戦。そして――キング・ロブ来日! それらのどの文言にも、俺にとっては特別な意味があった。

 俺は思わずマルタからそのチケットをかっぱらうところだった。


「マジかよ!」

「ああ。特等席の観戦チケットだよ」

「キング・ロブのサイン会があるんだろ、知ってるぜ! お前、よくこんなもん盗んできたな!」

 キング・ロブは、俺たちにとってのヒーローであり、カードゲーム《七つのメダリオン》の達人であり、五連覇を成し遂げた世界チャンピオンだった。彼が来日してグランド・ウィンター・シーズンのトーナメントの最終決勝を戦う。そいつを観戦するためのチケットだった。

 俺も《ソルト》ジョーやイシノオと組んで、このチケットを販売開始直後に入手しようとした。だが、数多のファンや転売業者、ダフ屋連中の大量購入作戦を前に敗北した苦い記憶がある。俺はそのチケットから放たれる、神々しい気配に圧倒された。


「これ、いくらだよ! すごいな、マルタ、お前!」

「三万」

 マルタは指を三本立てた。足元を見られている。ぼったくりすぎだ、と俺は思ったが、どうやら顔に出ていたらしい。

「嫌ならいいんだ。《ソルト》ジョーやイシノオにでも売るよ」

「待ってくれ」

 俺はマルタの腕を掴んで、止めた。厳しい選択だ、持ち合わせがまったくない。俺の経済状況は、この前の《琥珀の茨》卿の件が失敗に終わってから、著しく低迷していた。疫病神に取り付かれてしまったように最悪だった。

 しかし、諦められない。俺は交渉することにした。

「後払いじゃダメか? 来月、でかい仕事をして稼ぐ」

「ダメだね、俺も金に困ってるんだ。まず、明日のビールを飲む金もない」

「畜生、諦めるしかねえぞ」


「なに大丈夫だ。いま稼げばいいじゃないか、ヤシロ」

 マルタは、いやに軽薄そうに笑って、俺の背後を指さした。

 急に背筋が冷たく感じた。勇者稼業をやっていると、俗に言う『気配』とかいうものに敏感になる。人間がたてる物音、体温、息遣い――そういう微かな兆候が、無意識のレベルで引っかかる。そういう感覚だ。

 このとき、俺はいまさらになって『気配』に気づいた。


「話は聞いたよ」

 マルタは俺の肩を叩いた。そこには同情がこもっていた。

「家庭教師はじめたんだって? やるねえ」

 俺は無言で振り返った。

 そこには学生服を来た、三人の女子生徒がいた。


「お待ちしていました、師匠!」

 と、城ヶ峰亜希は怒鳴るように言った。印堂雪音は黙って頭を下げたし、セーラ・ペンドラゴンは不機嫌そうな顔で、ただ俺を睨むように見ていた。

 どうやら、先に店に来て潜伏していたらしい。

 月曜日の夜の、上等な気分が吹き飛んだ。



「――つまり、実技です。先生」

 と、城ヶ峰亜希はなんの前触れもなく、真面目くさった顔で告げた。

 ついでに言えば、彼女はその手にメモ紙を握り締めていた。

 おそらく、致命的な説明下手である自身の救済のため、あらかじめ喋ることをまとめておいたのだろう。賢明だ。


「我々のアカデミーの重要なイベントです。来週には剣を用いた、実戦形式の立ち会い試験があります」

 念の為に言及しておくならば、俺は何度も聞くつもりはないという意思を示した。

 しかし城ヶ峰はそれを聞かなかったし、実力的排除を実行することもできなかった。彼女ら三人のうちひとり、セーラ・ペンドラゴンの父親が怖すぎるからだ。

「訓練生同士の、一騎打ちです。中世ヨーロッパの馬上槍試合に因んで、『ジョスト』と呼ばれます」


 どうも、彼女らの通うアカデミーは、前時代的な要素が強い。たぶん経営陣の趣味なのだろう。それか、アーサー王の。

「この実技の成績次第で、我々のアカデミー残留か、追放か。それが決定される見込みとなっています」

「よかったな」

 このとき、俺は真面目にそう思った。

「やくざな稼業から足を洗うチャンスだぜ」

「そういうわけにはいきません。先生、どうか我々に剣の指導をお願いします! 我々一同、快い返事を頂けるものと確信しております」

「逆に、なぜそう思ったのか聞きたい」

「いえ、特に理由は。強いてあげるなら、私たちのように心清らかな美少女三名が真剣に頼めば、先生も快諾していただけるのではと」


「うおお」

 ぞっとした。実際、俺は身震いしたかもしれない。

 城ヶ峰亜希。こいつ、人の思考を聞くことができるらしいが、そのせいで人格に多大なダメージを受けているのではないか? ただ論理的な思考を読めるだけで、他人の感情にはまったく無頓着なのではないか?


「教官」

 不意に、俺のコートの裾を印堂雪音が引っ張った。

「はやく訓練を始めたい。時間がもったいないし」

 彼女はたいへん不愉快そうな顔をしていた。思えば俺は、いまだに印堂雪音が笑った顔を見たことがない。

「それとも、これも何かの訓練?」

「そうだよ。いますぐダッシュでチーズバーガーと焼酎買ってこい。瞬間移動は禁止で、五分以内な」

「わかった、教官」

 俺の適当な発言を、印堂雪音は真に受けた。真面目すぎるやつだ。だが、動きかけた雪音の腕を掴んだやつがいる。


「おい。待てよ、待て」

 セーラ・ペンドラゴンは俺を睨んだ。メンチを切る、という表現の方が近い気がする。間違いなく彼女にはヤンキーだった期間があるだろう。

「――あのさあ。雪音はマジにするんだよ、そういうの。やめてくれよな」

「それは悪かった」

 俺はすぐに謝罪した。そういう態度が、セーラをイラつかせるとわかっていたからだ。

「だから、パパに言いつけるのだけは勘弁してくれ。今回の頼みも、偉大なお父上からのご指導かよ。その依頼を俺が断ると、円卓の騎士たちがぶち殺しに来るのか?」

「親父は関係ねえよ」

 セーラは低く唸った。明らかに怒っている。そのまま機嫌をこじらせて、できれば帰ってくれればいいな、と俺は思った。


「あんたが断っても」

 セーラは俺のテーブルの前に、音を立てて手を突いた。チンピラみたいな仕草だ。

「私は何も親父に言ったりしない。だいいち、あの親父が私のために、指一本だって動かしたりするはずない」

「まさに勇者だな。父親としても最底辺のクズってわけだ」

「そうだ。クズだ」

 てっきり、さらに怒ると思っていたが、セーラは忌々しげに吐き捨てた。

「あのクズ親父の言うとおりにしたくない。何度も勇者なんてやめろって言われてきた。だから、あんたに教えてほしい。あんたは――強い勇者だ。それに信用できる相手だ。って、他でもない、亜希が言ったからな」


「城ヶ峰が言ったから?」

 俺は声をあげて笑ってしまった。

「そいつ、ちょっとイカれてるぜ。トモダチならわかってるだろ」

 城ヶ峰亜希を親指で示す。城ヶ峰は不本意そうな顔をしたが、セーラはただ顔をしかめただけで、否定はしなかった。印堂雪音は、もっとはっきりと、無表情でうなずいていた。

 俺はそんな彼女たちから顔を背けた。

「なんでもいいから、帰れよ。学校の先生に教えてもらえばいい」

「ですが」

 と、城ヶ峰は抗弁した。

「我々はたいへんな劣等生、かつ問題のある生徒として認識されています。『煙たがられている』という形です。また、この短期間で強くなるには、アカデミーの通常のカリキュラムでは不可能だと思います」

「そんなの俺が知るか」


「――まあ、まあ。いいじゃねえか」

 唐突に、横から俺の肩を馴れ馴れしく叩いたやつがいる。マルタだ。やつは軽薄に笑いながら、キング・ロブが出場するトーナメント決勝戦のチケットを、これみよがしに差し出してみせた。

「聞いてみれば、なかなか根性の座った連中じゃないか。《死神》ヤシロに先生やってもらうなんてよ、俺たちにゃ考えつかねえぜ。引き受けてやれよ」

 俺はマルタを睨み返す。野郎の意図は、考えるまでもなくわかっている。

「いますぐ金を出すって言ってるんだよ、この見上げた娘たちは。バイトで必死に貯めたんだろうなあ。力になってやりたいだろう、ヤシロ」

 つまり、この仕事を引き受けて、さっさとチケットを買えと言いたいのだろう。


 俺は腕を組み、椅子にふんぞり返った。何もかもが気に入らない、と思った。なんだか様々な状況的要素が、俺のコントロールを離れて、好き勝手に動いている気がする。

 こういうときは、ろくなことがない。俺は知っている。だが――

「俺は勇者であって、先生じゃないんだ」

「はい! 知っています」

「教えるのは下手だと思う」

「はい! 確実にそうだろうと思います!」


 城ヶ峰の返事は実に清々しい。ぶん殴りたくなったが、堪えた。この先、いくらでもぶっ飛ばす機会はあるだろう。というか、そういうやり方しかできそうにない。俺が師匠にそうやって訓練されたからだ。

「とりあえず、いますぐ十万。払えなければ、話は終わりだ」

 俺は思い切り吹っかけた。城ヶ峰と印堂は顔を見合わせ、『やっぱりチョロい相手だ』と言いたそうにうなずいた。


 セーラはため息とともに片手をあげ、俺の視界から二人を遮るようにした。

「ああ……とりあえず前金で、五万払うよ。残りは後払いになる。だから訓練をつけてほしい」

「じゃあ、まずは、そうだな――」

 マルタのクソ野郎が頼んだビール瓶の残りを、俺は一気に飲み干した。景気づけだ。そして、マルタの手中からチケットを奪い取った。

「お前らの学校に連れて行ってくれ。そこでやる。広い場所と訓練用の武器がいる」

「はい! 明朝一番に――」


「いまからだ」

 俺はできるだけ厳しく聞こえるように告げた。実際のところ、こんな仕事はさっさとカタをつけたかった。

「すぐに。勇者ってのは、判断とスピードが重要だ」

「夜間の校舎は、立ち入りが――」

「学校にすら忍び込めない勇者が、魔王のアジトにどうやって侵入するんだよ」

「――うん」

 意外にも、印堂雪音がいち早く返事をした。あまり知りたくはないことだが、どうやら彼女の中にある、なんらかの琴線に触れる要素があったらしい。

「なんか、すごく特訓っぽい」

 勝手にしろ、と思った。

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