第4話

 結局、そこから先は、俺が魔王の眷属をぶち殺すことも、城ヶ峰がそれを止めることもなかった。

 ビルの内部は、おおむね凄惨な殺戮が行われた直後だった。生き残っているやつも、とても侵入者に襲いかかるようなコンディションではなかった。彼らは小型の刃物による肉体的なダメージを受けており、中にはそのまんま、ナイフを胸元や腹部に生やしているやつもいた。


 この惨状なら、ビルの外に配置する人員も、あんな適当なやつになるだろう。

「なるほど」

 俺は血に濡れて、うめき声がこだまする廊下を足早に進んだ。

「あの印堂ってやつ、お前よりはできるみたいだな。手際がいいし、躊躇があんまりない」

「雪音は」

 城ヶ峰は首をひねり、珍しく、言葉を選んだようだった。

「――彼女の事情がありますから」

「それはどうでもいい。あいつのエーテル知覚――瞬間移動だったか。かなり強力だな。そのへんのチンピラどもが何人束になろうが、相手にならないはずだ」


 空間の隙間を見る、と城ヶ峰は言った。古い言葉を使うなら、テレポーテーション。使い手は希少な部類に入るが、ど素人がいきなり使っても強い。

 特に、銃をほとんど無力化できるところが大きいだろう。こんな屋内ならば、誤射や跳弾を恐れて、まともに発砲できはしない。恐怖にかられて発砲するやつがいれば、さらに被害は広まるだろう。結果がこの死傷者の山だ。

 もう二、三回ほど真剣での立ち回りをさせられるかと思ったが、予想外にスムーズな展開になりそうだ。

 とはいえ――


「印堂が、《茨》に勝てるかといえば、そいつは」

 俺は階段を、ごく普通の駆け足でのぼる。ただし警戒はしている――というより、《E3》を服用した俺に対して、不意打ちはほとんど意味がない。俺のエーテル知覚は、むしろそういう防御面で長所を発揮する。しかしこのとき、俺たちに対して迎撃に回れる人員は皆無であるようだった。

 もうすぐ、最上階。

「無理だろうな。確実に負ける」

「そうでしょうか」

 城ヶ峰は俺の隣を駆け上がりながら、懐疑的な視線を寄越してくる。

「理由をうかがっても?」

「《琥珀の茨》卿が扱うエーテル知覚は、瞬間移動の類に対して相性がいい」

 《E3》がよく効いている。喋りながら、これだけ駆け上がっても、息切れや疲労を感じない。この薬剤――というよりも、エーテルは物理法則を無意味化して肉体を強化する。

「《茨》卿の力をご存知なのですか、師匠」

「その呼び方を是正しない限り、お前には何も言いたくない」

「ですが、私も《茨》卿との決戦では、少しでも――」

「何もするなよ」

 俺はまた少し呆れた。繰り返す。


「何もするな。言うまでもなく、理解してもらえてると思ってたんだが」

「そうはいきません。弟子たる者、師匠の戦いを補佐し――」

 その手口は見え透いている。

「また強引に押し込むつもりだな」

「はい!」

「だんだん、その返事が素直なのもムカついてきたぞ」

 魔王を殺して早く帰ろう、と俺は思った。予想以上にスムーズに進んでいる。これなら間に合うはずだ。さっさと片付けて、アルコールとゲームと気に食わない友人――そういう世界に戻りたい。

 実際のところ、こういう単純な、しかし本能的欲求と少し距離を置いた願望は、勇者にとって重要なものでもある。《E3》が押し付けてくる動物的な攻撃衝動や破壊衝動に抗い、頭がイカれてしまわないようにする方法。精神を日常に押し込める考え方だ。

 俺はこのやり方で、どうにかクズ野郎以下の何かに成り下がることを凌いでいる。


「なぜお前が『弟子』を執拗に主張するのかわからない。何かよからぬ企みでもあるのか」

「はい!」

 やはり、城ヶ峰の返事は清々しい。

「師匠の弟子を志願した理由ですね。それには複雑な、いえ、ご説明しようと思えば複数の問題を含む――いえ、すみません。正確には問題ではなく、共通の」


「わかった。黙れ」

 俺は少し語気を強めた。城ヶ峰の説明にはキリがないと思ったし、最上階に到達したからだ。シンプルな構成のフロアだった。廊下がまっすぐ正面に続いており、行き当たりに扉がある。やたらと立派な、中世ヨーロッパ風の木製の扉。

 間違いなく、魔王、《琥珀の茨》の居室だろう。

 やつらがそういう大げさな名を名乗り、馬鹿げた場所に住むのには、理由がある。イメージ戦略のためだ。魔王は『恐怖』を商売道具にする。少しでも得体のしれない様子を演出し、魔王らしい印象を周囲に与えるため、やつらは戸籍から名前を消し、身だしなみに気を遣い、己の強大さを演出するのだ。

 この居室の扉は、その演出された恐怖の象徴のようなものだった。俺はたぶん顔をしかめていただろう。剣を抜き、柄を両手で握り直す。

「城ヶ峰、先に聞いておく」

「はい!」

「お前のエーテル知覚は? 何ができる?」

「はい、私は――」


「まあ何でもいいんだけど。要するに、それがなんであれ、絶対に使うな」

 聞いてみたのは、俺の個人的な嫌がらせだ。案の定、先を制するように言葉を遮られ、城ヶ峰は不満げな目つきをした。

「俺は仕事を邪魔されるのがすごく嫌いだし、ヘタをされると俺が死ぬ」

「ですが師匠、私には」

「もう一つ重要なことを言っておくと、師匠と呼ばれるのも嫌いだ」

「それでも師匠、聞いてください。私のエーテル知覚なら」

 城ヶ峰は何か重要なことを言おうとしたのだろう。彼女にとっては。おそらく。たぶん。しかし状況が展開するのはそれよりも早かった。心の準備を促す暇も、城ヶ峰へ念入りに釘を刺しておく余裕もなかった。


 具体的に言うと、木製の扉が吹き飛んで砕け、小柄な人影が飛び出してきたのである。見覚えのある人影。

 つまり、印堂雪音のクソ生意気そうな顔だった。全身に大小いくつかの負傷。致命的なものはないが、少なくとも彼女は激しく消耗し、疲労しているようだった。

「あ」

 と、城ヶ峰はのんきな声をあげた。そのぐらいしかできなかった。

 俺は飛んでくる印堂雪音を受け止めるか、避けるべきか、その一瞬で考えた。俺にとって『一瞬だけ』とは、何十秒にも何分間にも相当する。

 印堂雪音は床に激突する際の、防御体勢がとれそうにない。不意を打たれたのか、あるいはどこかを痛めているのか。

 仕方ない。俺は転がってきた空き缶を拾って、ゴミ箱にちゃんと入れてやるタイプだ。クズ野郎にだってそれくらいの道徳心はある。


 結論は、これだ。

 印堂雪音を空中で受け止め、そのまま胸ぐらをつかむ。

「ひとつ重要なことを学べたな」

「あなた――」

 印堂雪音は、朦朧とした目で俺を見た。果たして俺の顔を覚えていたのかは知らない。ただものすごく不愉快そうな、というよりも憎々しいような顔をした。

「お前は知能が低くて、力も足りなくて、ただの人間を何十人かぶち殺すくらいのことしかできない、勇者未満の人殺しだ。そこのところは覚えておけよ。誤解のないように言っておくと、俺もほとんど同じだ」


 そうして、印堂雪音を床に放り出す。

「ただし俺の場合は、普通の人間だけじゃなくて、魔王も殺せる」

 うめき声があがり、城ヶ峰が駆け寄るのがわかる。俺は興味がなかったので、壊された扉の奥、広すぎるような部屋を観察していた。より正確に言うなら、部屋の中央に立つ存在を。


 それはやっぱり大げさすぎる黒いローブを身にまとった男だった。袖口からは枯れ木のように細い腕が覗いており、首から上はもっと異様だ。顔色も真っ青だが、髪の毛はさらに白く、長い。やつれた顔は乾燥しすぎた泥のようにヒビ割れ、瞳は赤かった。カラーコンタクトか、何かの手術の結果だろう。

 俺はその顔を指名手配の写真で見て知っていた。


「――来客の多い日だ」

 その男は、しわがれた声をあげる。魔王によくある、かすれたのによく通る声。おそらく練習を積んだに違いない。

「学園の小娘の次は、どこの野良犬だ、貴様は。私の夜を騒がせたこと、万死に値する」


「知るかバカめ」

 勇者として、魔王と相対するコツがひとつある。相手のペースに乗らないことだ。《E3》がよく効いている――魔王のわかりにくい顔つきから、かすかな動揺を見て取ることができた。俺を視認したとき、確実に二度はまばたきをした。

 俺は右手で剣を握り、左手はコートのポケットに突っ込む。

「魔王《琥珀の茨》」

 ゆっくりと部屋に踏み込んだ。

 こいつには、今夜の俺のビールのために死んでもらわなければならない。

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