第8話
俺が勉強した剣術の基本と神髄は、バインドにこそある。
そう言っても過言ではないだろう。
刃を接触させてからの駆け引きに大きな重点が置かれている。
それが封じられるとなると、別のやり方が必要だ。
そういう意味で、このキリマという勇者くずれのエーテル知覚は、なかなかに厄介といえた。
(もちろんまともにやれば、俺が勝つ。絶対勝つ。俺は無敵だから――だが)
刃の切っ先まで炎に包まれた、キリマの剣閃を見ながら思う。
知覚が加速しているから、スローモーションよりもなお遅く見える。
ごく軽く、袈裟懸けに振り下ろしてくる片手剣の軌道。
本来ならこんなものは簡単に受けられるし、避けられる。両手を使ったバスタード・ソードで捌けないはずがない。
いつも通りにやれば楽勝だ。
(どっちもできないのがキツいな。畜生、トリスタンめ)
俺は足元に横たわる、黒焦げの男のことを考える。
蹴飛ばしてやりたい。
俺が回避すれば、キリマはもちろん俺を無視して、トリスタンの首を切り離すだろう。
別にそうなっても俺は構わない。
相手はトリスタンだ。友達でもなければ、いいやつでもない。むしろ嫌いだ。城ヶ峰とはまた別の意味で嫌いだ。
余計なことに巻き込みやがって、いっそ俺が切り刻んでやりたいと思う。
だからこそ、という話だ。
嫌いなやつだから、少しは真剣に恩を売ってやろうと思う。
(後で絶対にこのツケは返してもらう)
円卓の騎士の命を助けたってのは、いかにも箔がつく話だ。今夜はマルタとジョーと《二代目》イシノオを呼び、おおげさに武勇伝を吹聴してやる。
(やるか)
俺は意識を尖らせた。
燃えるキリマの刃をよく見る。俺なら避けられる――それどころか、一瞬早く攻撃に移れる。
バインドからの技が通じない相手。
こういうときは、刺突剣による攻防テクニックが有効だ。武器を絡ませない刃の動きは、フェンシングのそれが近い。
この手の技術はヨーロッパで発展し、フランスの勇者《ダルタニャン》ことシャルル・ド・バツが体系立てて完成させた――ということになっている。
実際のところは誰も知らない。
ただ、俺もこの技術に関してはそれなりに勉強した。
まずは刃による攻撃の範囲。手元から円錐形をイメージする。
いまの状況ではステップによる離脱ができない以上、回避運動は体のひねりと傾きで行い、体重移動で切っ先をねじこむ。
その際、相手の防御に注意すること。
通常ならば小型の盾やら、外套やらのことだが、目の前の相手は全身に気をつけなくてはならない。
燃える左手だけではなく、全身を発火させることができると思った方がいい。
(もちろん、例外はある)
さきほど蹴り技が成功したように、意表をついた箇所にあてれば燃えることはない。と思う。おそらく。
が、いまはずいぶん通じにくくなっているだろう。
俺なら反撃に備え、全身を発火させられるように警戒している。キリマがそれほど間抜けだとは思わないことにする。
(と、すれば、方法はほとんど一択だな)
簡単な話だ。
すべての攻撃を「必殺」にする。常に王手をかけ続け、炎による反撃をさせない、というか、無意味にする。
たとえば、首を刎ねる一撃。
これは受けたら死ぬので炎による防御の意味がない。
腕を切断する一撃も、足を切断する一撃も同様に、反撃の意味がなくなる。エーテルの流れを切断すれば炎上することもない。
両目を抉るのもいいし、胴体の切断でもいい。
とにかく、すべての攻撃を「回避するしかない」一撃にすることだ。
(まずは首)
俺はキリマの攻撃を回避しながら、捻りこむような刺突を放った。
首筋をかすめ、そこから深く切り込む。キリマは避けるだけだ。
(次は手首)
燃える左手を切断しにいく動き。これも避けられるが、それでもいい。
反撃に突き出されてくる片手剣の切っ先を、こちらも触れずにかわす。
(そして、足)
膝上から刃を落とす。斬撃の軌道を変える。
手首を支点とした円錐の動作――そこから刃の向きによって多彩な攻撃ができるのが、この手の剣術の特徴だ。
いける、と思った瞬間、俺は気づいた。
キリマが飛びのこうとしていた――距離を空けられる。これはまずい。
(時間稼ぎかよ、いまのは)
組みついてくるようなことをしなかった。当然、俺はそれに備えていたが、見事に外された。
接近戦に付き合うような踏み込みが、そもそも時間稼ぎの一環だった。
キリマの目の奥が燃えているのが分かった。
俺を視界に捉えている。
(やばいな)
背筋に焦げるような悪寒が走る。何かのエーテル知覚――攻撃型――何が来る? 時間を稼いで何をしようとしていた?
こいつのエーテル知覚は間違いなく「燃える」とか「炎」とかに関するものだ。
やつの目の中に炎がはっきりと見えた。キリマの視界の中では、何もかもが燃えているのではないか?
とすれば、次の手は、最初にトリスタンを奇襲したような発火か?
わずか一瞬でここまで考えられたのは、さすが俺だったといえる。
普通は考える間もなく炎上している。
(対抗手段は――)
それほどない。わかっている。奥の手を使うしかないか。
俺にしかできない裏技をやる。
《E3》の限界を超えた加速。
俺が炎上するよりも早く、あるいは炎上して死ぬより早く、キリマの首を胴体から切り離す。
キリマがこれ以上の奥の手を持っていなければいいのだが。くそ。最悪だ。思ったより追い詰められているじゃないか。
(ふざけやがって)
俺は呼吸を切り詰める。一万分の一秒後の加速に備えた。
――そいつは、その瞬間にやってきた。
こんな切羽詰まった状況でも、視野の広い超一流の俺にはそれがわかった。
何かが視界の端をかすめて飛んでくる。
銀の輝き。刃物だ。ナイフ。たぶん軍用のゴツいやつ、それがいくつも。俺は思わずのけぞった。そうしなければかわせなかった。
最初は俺を狙ってきたのかと思った。
だが、その飛行するナイフの群れは、俺ではなくキリマを狙っていた。
腹部、胸、首。
回転しながら切り裂く軌道だ。キリマは顔をしかめながらも、対処するしかない。燃える片手剣で弾き飛ばす。
空飛ぶナイフは、明らかに俺を援護していた。
「邪魔が多すぎるな」
キリマは呆れたような口調でつぶやいた。それからもっと大きな声で怒鳴る。
「新井木! 状況がまずい。引き上げるから援護しろ」
誰か人の名前を呼び、俺に背を向けた。
(舐めやがって)
とは思ったが、追えない。足元で炎が燃え上がるのがわかったからだ。すでに攻撃は終わっていたか。
吹きあがる火柱を睨みながら、こっちも後退するしかない。
その隙に、キリマは逃走にかかっている。
壁を蹴って跳び、城ヶ峰やセーラの間抜けな戦いの頭上に進路をとる。
「あ」
印堂が小さく声をあげた。やつはちょうど城ヶ峰を蹴り倒し、盛大に転ばせていたところだ。
「キリマ、待って。まだお説教が終わってない」
「そうだ! 逃がすものか!」
城ヶ峰が跳ね起きる。鼻血がすごい出てるのに元気だな、こいつ。
だが、空間を跳躍して追う印堂と城ヶ峰は違う。
その眼前に立ちはだかる影がある――やっぱりクソみたいに趣味の悪い髑髏面をかぶった、金髪の女だ。
新手の増援だ。こいつが「新井木」か?
次から次へと、余計なやつばかり出てくる。
「ごめんね」
と、軽い口調で言う彼女は、すでに刃を抜いている。キリマのそれとよく似た片手剣だった。
「キリマ先生の今日の仕事は終わりです。残業無しで帰してあげてね」
「笑止! この《可憐なる閃光》の城ヶ峰、悪党の都合には――」
城ヶ峰は喋りながら踏み込もうとして、体勢を崩す。いきなりつんのめった。何かされたか?
それでもやつは踏みとどまり、雄叫びをあげた。
「なかなか強いぞ。セーラ! この女を突破する、援護を頼む!」
「あ」
セーラは城ヶ峰の言葉に反応しようとした。構えた刀の切っ先が震えたのがわかった。
俺にはその背中しか見えないが、どういう顔をしているのか、見なくてもなんとなくわかった。
(ビビッてやがる、こいつ)
その証拠に、踏み出すのが呼吸半分ほど遅れた。
それくらいには、新手の金髪の女が強そうだったということか。だが、そいつは決定的な遅れだった。
「ふっ」
城ヶ峰の呼吸。
金髪の女の斬撃を受けようとして、バックラーを掲げる。その腕が途中で止まった。
つまり、防御が間に合わない。
金髪の女の刃は体を傾け、城ヶ峰の左腕をバックラーごと切り落とす。つづいて首を狙った。
城ヶ峰が咄嗟にのけぞったので、これは当たらない。
それでも十分だ。
城ヶ峰はもつれるようにして倒れ込んでいる。側頭部が壁にぶつかる。
激しい出血が、やつの足元を濡らしていた。
「亜希!」
セーラが甲高い声をあげた。少し珍しい。
そのまま、逆上したように動き出した。音が鳴るほど激しく踏み込んで、太刀を捻るように繰り出す。鋭い太刀筋。
とはいえ、やっぱりそれは遅すぎた。
すでに金髪の女は距離をとっている。軽くかわせる。
「あなた」
金髪の女は少し驚いたように言った。
「いまさら踏み込んでくるの? 遅すぎるんじゃない?」
「――う」
セーラは犬が吠えるように言葉を吐き出した。
「うるせえっ」
さらに斬撃を放っても、あまり意味がない。相手が逃げに入っている。
「じゃあ、私はこれで」
金髪の女はいっそ優雅にうなずいて――もしかしたら頭を下げたつもりだったのだろうか――そのまま踵を返して去った。
印堂とキリマの姿はとっくに見えない。
俺は頭をかきむしった。
(ひでえな、こいつは)
一方的にやられた、という感じがする。
(最悪に近いな)
足元で焼けこげたトリスタン。左腕を切り落とされた城ヶ峰。さっさと逃げた《勇者狩り》のキリマと、それを追っていなくなった印堂。
ついでに、青ざめた顔のセーラ。
それから――これが一番の最悪だが、
「ご無事で何よりです、ヤシロ様」
俺は声のした方を振り返る。路地の奥。ひどく場違いな、夜会のドレスのような衣装に身を包んだ女がいる。
そいつの周囲では、これ見よがしにナイフが浮いてゆっくりと旋回していた。
「滅多にないことですよね――あの《死神》ヤシロ様を助けることができるなんて」
そいつはどこか暗い笑みを浮かべた。
「身に余る光栄です」
ひどい皮肉のセンスだ。
俺はその女を知っている。かつてそいつは、《嵐の柩》卿と呼ばれていた。元・魔王の勇者。
こういう場所で遭遇する相手としては、最悪の中でも最悪の部類だ。
今朝起きてからずっと、どうも後手にばかり回っている気がする。
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