レッスン2:敵に先手を取らせるな
第1話
目覚めは最悪だった。
特に今朝のやつは、歴代の最悪の目覚めの中でもトップクラスといえる。
昔の夢を見ただけじゃなくて、いきなりインターフォンが鳴り響いたからだ。
そいつに起こされた。
(マルタか、ジョーか。それとも殺し屋か)
少なくともネット通販や宅配が届く予定はない。頭を掻きむしり、水を飲み、モニター画面のないインターフォンに向かう。
(殺し屋だったら面倒だな。ここ最近、恨みを買った記憶はあんまりないんだけど)
俺はまだ眠気に襲われながらも無防備にインターフォンの応答ボタンを押し、そして己の迂闊さを悟った。
というか、一気に目が覚めた。
『――師匠!』
(マジか)
キーン、と耳の奥が鳴るくらいの声だった。
頭に突き刺さってくる衝撃を感じる。もしかしたら俺は白目を剥いていたかもしれない。
こいつは、殺し屋なんて甘いもんじゃない。
最悪中の最悪だ。
『師匠、起きてください! 大変です! 師匠が! このままでは、師匠が犯罪者ですよ! いますぐ開けてください、その理由を書いたフリップをお見せしますから――』
『待った。そのフリップはやめろよ亜希……一時間ぐらいかかるやつじゃん……』
俺は若干、気が遠くなった。意識を失いかけた気がする。
城ヶ峰だけじゃない。
同時に聞こえてきた声、あれはセーラだ。
城ヶ峰だけではなくセーラまで?
『離せ、セーラ! 私は師匠に問いたださねばならないのだ! 雪音が!』
『落ち着けよ! こっちが通報されるだろ。よく考えたら、アレだ、センセイが雪音を部屋に入れたって決まったわけじゃないだろ?』
『かもしれない! だが、それはともかく! 雪音が師匠の家を一人だけ知っていたのが問題なのだ! 違うかっ?』
『それは確かにそうだし、二人とも死ぬほど問い詰めたいけど……』
城ヶ峰とセーラの声を聴く間に、俺は必至で考えを巡らせた。
(こいつらどうやって俺の家に? 朝っぱらから? どうやって? なんで? 何のためにここまで来た?)
自分でもびっくりするほど大量の疑問が湧き出てくる。まさか印堂のやつ、住所をバラしやがったのか?
やつには厳しい制裁が必要だ。
いや、それよりまた引っ越しを考えなければ――一刻も早く。
エーテル知覚なしにも関わらず、俺の思考は電光石火の引っ越しプランを七つほど思いついた。
(とにかく窓から逃げよう)
そう思い、インターフォンから離れようとした時だ。
さらにもう一つ、声が聞こえてきた。しかも、俺の部屋のドアを叩く音も。
「ヤシロさーん、おはようございます」
それは男の声だった。
嫌気が差すほどさわやかな声――俺はこいつを知っている。
《トリスタン》。ラムジー・ヒギンズ。
「ちょっとお話を伺いたいのですが、よろしいですか? ……城ヶ峰さん、セーラさん、ちょっとお静かに。近所迷惑になってしまいますから」
「しかし! 師匠は!」
「いいから亜希はちょっと黙ってろ……《トリスタン》。先生。もしかして留守なんじゃないですか?」
「インターフォンに応答がありましたし。気配もありますよ」
トリスタンは冷静に俺の迂闊さを指摘した。
どうやらやつらは三人で、もう俺の部屋のドアの前に立っているらしい。
くそっ。
「……お前ら、このマンションはオートロックなんだけど。どうやって入ってきた?」
俺はこの現実へのせめてもの抗議の意味で、インターフォンに向かって問いかける。
「はい、もちろん。ちょうどほかの部屋の方が帰っていらしたところだったので。一緒にするっと入りました」
トリスタンは朗らかに答えた。
そうだろうな、と俺は思った。
「帰ってくれねえかな。俺は忙しいんだ! そのモンスター二人を連れて消えてくれ!」
「モンスターとは! 師匠、あまりにも酷い!」
城ヶ峰の悲痛な声が響く。
「この不肖・城ヶ峰亜希! 師匠の無実を信じ、ここまで参りました! なんなら弁護士も買って出ようと考えております!」
「お前に弁護士なんて頼むのは、遺書にサインするのと変わらねえんだよ! ……というか、なんなんだよ!」
具合が悪くなってきた。
この状況自体が、朝っぱらから叩き込まれるべき情報量ではない。
「なんでお前らが俺の部屋まで押しかけてきてんだよ。どうやって知った? 印堂か? あいつ、うちのポップコーン食いまくるだけじゃ収まらなかったのか」
「雪音」
セーラがうめいた。なんらかのショックを受けたようだった。
「やっぱり――センセイ、雪音がここに来てたんだな? っつーかなんで雪音だけ住所を知ってたんだよ! よくないぞ、そういうの!」
「それは」
俺は頭を掻きむしる。経緯も説明も面倒くさい。
「どうでもいいだろ。とにかく帰れ!」
「よくない! センセイ、雪音はここにいるのか? も、もしかして、そこに泊まったのかよ! おいっ! 本当によくないぞ!」
ガン、と凄い勢いでドアが殴られたようだ。
さすがセーラ。腕力が強い。
「お、おい、今度はきみが落ち着けセーラ。いいか、我々は師匠の無実を証明するために――」
「なにが無実だよっ、雪音がセンセイのところに、ひ、一人で泊まったら無実もクソもないだろ! どけ亜希、このドアを蹴り破ってやるっ」
「やめろバカ」
そのあたりでなんとなく理解した。
どういう容疑が自分にかけられているのか。
「印堂ならこんなところにいねーよ。昨日の夜来たけど映画見て帰った」
「ほう?」
トリスタンの呟き。そして一瞬の間。
「すみませんが、その辺のお話しをもう少し詳しくお願いできますか? なにしろ、状況が切迫しているもので……すみません」
少しもすまなく思っていないであろう、トリスタンの顔が脳裏に浮かぶ。
俺もだんだん腹が立ってきた。
(なんなんだよ、こいつら)
俺の平穏な生活に土足で踏み込んできたのも同然。そろそろ顔を睨んで文句を言ってやりたくなった。
足早に玄関のドアに向かう。
「そっちの状況ぐらい聞かせろよ。その内容次第じゃお前たちを一人一発ずつ蹴り飛ばしてやるからな……不法侵入で訴えてもいいぞ。この犯罪者どもめ」
「おっと! 奇遇ですね。それならぼくら、犯罪者仲間になるかもしれませんよ」
「ああ?」
「実はいま、ヤシロさんにも誘拐容疑がかかっています」
俺がドアスコープごしに見たトリスタンは、果たして満面の笑みを浮かべていた。
「印堂雪音さんが昨夜から寮に戻っていません。行方不明なんですよ」
俺はどういう文句も返すことができなかった。曖昧な唸り声だけ漏らしたかもしれない。
「我々もログ――じゃない、足取りを追ったんです。我が円卓にはそういうエーテル知覚の持ち主もいますからね。……それで、行きついた先が」
わざとらしくも、トリスタンは俺の部屋のドアをノックした。
「《死神》ヤシロさんと、そのお宅だったというわけです」
なんて最悪なエーテル知覚の使い手だ。
俺はそいつを今後数年がかりで恨むことに決めた。
「いやあ本当、びっくりしましたよ。昨夜の印堂さんが最後に会った相手があなたと、ここでとは! ヤシロさん、お話、聞かせていただけますよね」
トリスタンの言葉に答える前に、俺はドアに頭をぶつけた。やや強めに。
(本当に俺はアホだ)
いくら《嵐の柩》卿の脅威がなくなったからって――油断しすぎだ、この間抜け野郎。
印堂に見つかった時点で、速やかに引っ越すべきだったのだ。
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