焼ける残景
1
《焦眼》キリマの目覚めはいつも最悪で、体のどこかが灼けているように感じる。
今朝は特にひどい。
やけに喉が渇いていたし、顔の半分がひりつくように痛む。
(何か夢を見たかもしれない)
が、まるで覚えていない。
簡素すぎるパイプベッドから体を起こし、キリマは自分がひどく汗をかいていることに気づく。
そういえばもう夏だ。
キリマには気温の高低というものがよくわからない。
理由は自覚している。そうなってから、もう何年か経つ――エーテル知覚がそれに拍車をかけている。
彼が見る世界はいつも灼けている。
(特に昨日は最悪だった)
暑さと寒さを感じなくても、汗をかいたぶん、水は補給しなければならない。
キリマは手を伸ばし、テーブルの上のペットボトルを手にする。昨夜、ウィスキーの水割りに使ったやつが、半分ほど残っていた。
(あの男、珍しい剣を使っていたな)
ぬるい水が喉を通り抜ける、不快な感触とともに思い出す。
昨日、交戦することになった「勇者」のことだ。
バスタード・ソードというやつだろうか。片手でも両手でも扱えるよう重心を工夫した剣。
(あれはすごく強いな。未来を予知するエーテル知覚か? 世の中は広い。あのタイミングで俺の炎を――)
「ええ。キリマ先生の炎を避けました。信じられませんよね」
考え事に、いきなり割り込まれた。部屋の隅で女の声がした。
「あのとき、剣から自分で手を離しました。通常では考えられない行動です。恐らく読み切っていたのでしょう」
抑揚に乏しい口調が、やや早口になっている。
たぶん、《E3》をやっているのだろう。キリマの思考を『盗み見』したのだから間違いない。
彼は憂鬱な気分で部屋の隅を見る。
「いかがですか、キリマ先生。あの勇者と次に交戦すれば勝てますか」
極端に色の薄い、金髪の女だった。顔立ちはおそらく北欧系。
二十歳を越えていると聞いていたが、やけに幼く見えることがある。
物言いのせいだろうか、それとも適当な申告をしているのか。
とにかく彼女は、うんざりするほどの真顔でキリマを見つめていた。
キリマとはもう半年ほどの付き合いになるが、彼女が笑ったり取り乱したりしているところを見たことがない。
「クライアントの要望上、大きな問題となる可能性があります。どうですか」
彼女は自らを新井木と名乗っていた。
どうせ偽名だろうし、下の名前は憶えていない。
彼女が自称するところではキリマの「秘書」だというが、実際は監視役だ。
少なくともキリマにはそうとしか思えない。キリマを雇っている連中の、使い走り――もしくは連絡員。
だが、キリマにはどちらでもよかった。
彼は彼の仕事をするだけだ。
面倒なのは、この新井木と会話をしなければならないことだ。彼女にはあまりに慎重で、神経質なところがある。
「次にあの勇者と遭遇した場合、キリマ先生は勝てますか?」
「ああ」
ほぼ即座に答えた。
「手口はだいたいわかった、次にやれば勝つよ。――たぶん向こうもそう思っているだろうけど」
キリマは片手を振って、会話を終わらせた。少なくともそのつもりだった。
しかし新井木はさらに質問を重ねてくる。
「苛立っていますね、キリマ先生。ストレスを感じているようです」
「いつものことだ」
「いつもよりさらに、という意味です。何か事情があれば伺いますが。立場上、これでも秘書ですから」
「うるさいよ、お前」
「昨日、対峙した人物の中に知り合いがいましたね? たとえば、あの子供のような――」
キリマは喉の奥で唸った。新井木をにらみつける。
「俺の記憶を見るなよ」
「不愉快にさせてしまったようですね。失礼しました。キリマ先生の精神状態をケアするのも秘書の役目だと思っていましたが、余計な詮索でしたか?」
新井木は笑いもせずに言う。
まさか本気で言っているわけでもないだろう、とキリマは思う。
「そう思うなら放っておいてくれ」
面倒になってきたので、キリマは上着をつかみ、それを羽織る。身支度を整えたら今日も仕事だ。
まずは顔でも洗うべきだろう。
「ですが、キリマ先生。こちらの事情もご理解ください。キリマ先生には無敵でいてもらわなくては困ります。誰よりも強くあっていただきたい」
またしても、新井木はこういうことを真顔で言う。
ひどい冗談としか思えない。
「どっちが強いかなんてどうでもいいよ」
吐き捨て、キリマは洗面台に向かう。顔を洗いたかった。
「強くても弱くても、心臓を刺せば死ぬ。首を切っても死ぬ……なあ。バカみたいだ。そんな当たり前のことを聞きたいのか?」
「また不愉快にさせてしまったようですね。失礼しました。以後、気を付けます」
「そうしてくれ」
だいたいキリマはいつも不愉快だ。
なぜなら、顔を炎で炙られているような感覚がつきまとっている。こうして水で洗っても変わらない。
「秘書なら、もっとそれらしい仕事をしろよ。次の予定は? 誰を殺す? 魔王か、勇者か?」
「もちろん、プラン通りにお願いします。次の段階に、今日から着手してほしいと」
「わかった。まずは誰だ?」
「《トリスタン》ラムジー・ヒギンズ。ついに本格的に始めるようですね」
「……そうか」
知っている名前だ。
アーサー王が率いる、円卓の騎士。現行する「勇者」というシステムの管理者たちの一人。
「やっとか」
キリマは呟いてみたが、思ったより感慨がない。
そういうものかもしれない。
円卓の騎士とはいえ、相手も勇者だ。ただの人間。
心臓を貫けば死ぬ。
「受諾していただけますか、キリマ先生」
「そのつもりで契約した。武器と弾薬を用意しろ。それから、新しい仮面だ」
鏡に映った新井木が、うなずいてタブレット端末を取り出すのが見えた。
「承知しました。同じものをご用意します」
「……なあ」
キリマは顔をしかめる。
「髑髏の面。あのセンスはどうにかならないのか?」
「残念ながら。クライアントの意向ですから」
ならば仕方がない。キリマは黙って、ため息をついた。
「――なら、ユニオン経由で連絡を回しといてくれ。人を集めて計画を立てる」
ユニオンとは、傭兵による組合のようなものだった。
この時世、勇者であり傭兵である人間たちの間では、それなりに信頼のおけるネットワークは重要だ。
雇い主の身元を保証し、互いに密かに連絡を取り合い、情報を交換する。
個人単位にアカウントを持つ、強力な機密性とセキュリティの保たれたSNSのようなものだ。
北の《黒領地》で転戦してきたキリマは、その重要性をよく知っている。
ユニオン経由ならば、やつら――《半分のドラゴン》たちに察知されることもない。そのはずだ。
(……おそらく。いまのところは)
「ああ。その、ユニオンからですが」
新井木はタブレット端末に指を滑らせながら、片方の眉をわずかに動かした。
「連絡が入っていますね。キリマ先生に連絡を希望する者がいます」
「ん」
困惑――というより警戒だった。ユニオン経由で接触を図ってくるとは、大胆な相手というべきか。
メンバー間での情報の透明性と中立性を重視するユニオンでは、メッセージの発信者はすべての身元が明らかになる。
キリマは顔を拭いて振り返る。
「……誰からだ?」
「印堂雪音」
思わず、顔がひきつった――火傷の痛みを感じる。
「かつての《黒領地》防衛旅団『いぶき』所属。現在は十六歳で、アカデミーに就学しています。面談を希望しており、目的は『約束のため』とのことですが――この少女。もしかして、昨日の?」
「ああ」
思ったより早く、昨日からの疑問に答えが出そうだ。
おそらく向こうもそう思っているに違いない。
「面談をする。予定を入れといてくれ」
「失礼ですが、どのようなご関係ですか? アカデミーの関係者ならば、軽率に会うことはお勧めできません」
「問題ないよ」
そうだとしても、会わなければならない。約束を持ち出されていれば。
キリマは少し言葉を選び、結局は手垢のついたような言葉を口に出した。
「妹みたいなものなんだ」
言ってから後悔しなかったかと問われれば、嘘になる。
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