第7話

 何を隠そう、俺が最も恐れていたのは、印堂雪音がマンションの部屋の前で待っていることだった。

 マンション住民間にろくでもない噂を流されるだろうし、通報とかされたらどうしよう、と思っていた。


 だがもう一つ、それと同じくらいに危惧していたことといえば――


「お帰り」

 印堂雪音はすでに部屋の中にいて、首を傾けて呟いた。

「なさい」

 ソファに胡坐をかき、冷房を全開に、テレビを見ていたようだった。

 俺が契約している動画配信サービスの映画で、勇者と魔王が殺し合うやつ。サイドテーブルにはポップコーンまである。


 作ったのか。俺のキッチンで。

 確かに一か月前、酔っ払って大量買いしたポップコーンの種一キロが有り余っていたが――唖然とするしかない。頭も軽く痛む。


「最悪ケースのBパターンだ」

 俺はコートを放り投げ、軽く痛む頭を押さえる。

「勝手に入るなよ、人の部屋に! 鍵はどうした!」

「鍵……」

 印堂は不思議そうな顔をした。そうだ。我ながら、この質問は馬鹿げていた。


「私は、空間の」

「――いや待て、いい。そんなことのために貴重な《E3》を使ったのが想定外だった。お前は鍵とか関係ねーよな、くそっ」

 そもそも部屋を突き止められたのが致命的だった。

 やはり横着せずに引っ越していればよかった。だが、最近のこのクソ暑さで引っ越す気力が出なかったのは仕方がない。


「印堂、お前は不法侵入の法律とか知らないのかよ。倫理観マルタかよ」

「不法……侵入……は知ってるけど」

「知らないやつの言い方だ」

「知ってるけど」

 言い張って、印堂はテレビのリモコンをぎこちなく操り、勇者と魔王が罵り合っているシーンの音量を下げた。


「寮にいるとアキがうるさいし」

「それは諦めろ、関わったのが悪い」

「勉強しろって言うし」

「それはしろ、せめて指で九九の計算するのやめろ」

「教官までうるさい……」

 印堂は眉間に皺を寄せた。


「せっかく教官の相談に乗ってあげようと思ったのに……」

「なんで俺がお前に相談する流れなんだよ! 俺は貴重な時間を割いてお前らの家庭教師をやらされてるんだぞ!」

「そうだけど。聞きたいことならあるはずと思って。あの……昼間の、髑髏のお面の」

「あ」


 呆れるあまり忘れるところだった。

 確かにそれだ。

 ――こいつ、なかなかやるな。突っ込みどころが多すぎて、うっかり部屋から問答無用でたたき出すところだった。


「そうだよ。お前、あのアホ髑髏野郎の知り合いか? 教官とか言ってたよな?」

「うん。言ってた」

「なんでだよ」

「……昔、教官だったから?」

 印堂は考えた挙句、あまり答えになっていない答えを口にした。


 ダメだ、これは――印堂への質問の仕方が悪い。

 聞かれたことだけを律義に答えやがるから、ちゃんとした説明になっていない。

 これは城ヶ峰の逆パターンで、会話から出てくる情報量が少なすぎる。

 こっちが聞き方を工夫する必要がある。


「わかった。北海道での話だろ? 何があったか言え。傭兵みたいなことやってて、お前らの部隊は全滅したんじゃなかったのか?」

「そのはず、だと思ってたけど……」

 印堂は眉間の皺をやや深め、珍しく語尾を弱めた。


「《ネフィリム》……あの巨人がやってきて、駐屯地が燃えて、逃げるのに必死だったから……」

 それはたぶん、印堂にとって最も苦痛を伴う記憶の一つなのだろう。

 無意識なのだろうが、祈るように両手を結んでいる。その指先が白くなるくらいには、力がこもっていた。


「あのとき、私に技を教えてくれた教官がいた」

 そんなことだろうと思った。印堂だってオオカミや猿に育てられたわけじゃない。

 誰かそこそこ腕の立つやつがいたのだろうと推測してはいた。


「……怒った?」

 印堂は俺の顔をうかがうように、上目遣いに見上げてきた。

「なんでだよ」

「ほかの人を教官って呼んだら、やきもちを焼くかもしれないと思って」

「コケにしてるのか? おい、真面目な話じゃねえのか?」

「……違うなら、いい」

 印堂はため息をついた。そしてまた眉間に皺を寄せる。


「……《ネフィリム》に襲われたとき。教官――元・教官は生き残ったのかも」

「かもな」

 俺は欠伸交じりに答えた。

 その声が、どうでも良さそうに聞こえていればいいが。


 俺はこういうとき、真面目な顔をするやつがどうも気に食わない。

 理由は自分でもよくわからないが、そういう相手は真剣すぎて蹴飛ばしたくなる。


「で、そいつの名前は? どんなエーテル知覚を使う?」

「キリマ」

 印堂の呟きは、なんだか異質な響きがあった。

「キリマ教官。あの人のは、自分の傷を人に移す……みたいな……エーテル知覚だったはず。でも……」

「あれは違ったな。顔が燃えてたし、剣に炎が燃え移った」


 だが、ケースは少ないものの、稀にはある。

 後天的にエーテル知覚の性質が変化することだ。

 例えば火に対して激しいトラウマを受けるとか、感動するとか――そういう体験が、炎に関するエーテル知覚を目覚めさせる。

 ということもある、らしい。


「じゃ、ほかの髑髏のやつらはどうなんだ?」

「ぜんぜん知らない」

「だよな」

 印堂の知り合いがそんなにたくさんいたら驚くどころの騒ぎじゃない。


 ということは――なんだ?

 髑髏の男は印堂の元・教官で、勇者狩りみたいなことをやっている? その目的は――ちょっとわかる気がするが、ええと――待て。

 何か紙にでも書いて整理しないと。


 だが、俺が作業用デスクに向かったところで、印堂が突拍子もなく思えることを呟いた。

「どうすればいい?」

「……なにが?」

「昔、お世話になった人が、ああいう……なんか……よくわからないことやってるとき。普通は、止めればいいの?」

「ああ」


 俺はデスクの引き出しを開けながら、できるだけ大したことじゃなさそうに言う。

「あの髑髏のマスク、センスが最悪だからやめろって言ってやれよ。もうちょいマシなのを選べって。あれはないだろ」

「……そうじゃなくて」

「なんだか知らんけど、本人がそう決めたんだろ。昔はああいう感じじゃなかったのか」

「うん」


 印堂はこれ以上ないほど険しい顔でうなずいた。眉間にぐぐっと皺が寄っている。

 これは分数の計算をさせられているときの顔と同じだ。


「キリマ教官は。お金を稼いで、傭兵みたいな仕事から、みんなで……違う。私たち年少組だけでも足を洗わせてやる……みたいに。言ってた」

 俺は思わず噴き出した。馬鹿げている。

「仲良くなれそうにねえな。そいつは頭がイカれてるんだ」

「少し教官に似てる」

 俺を指さしてきやがる。ムカッとした。


「似てるわけねーだろ! 他人のために大金稼ぐようなアホじゃねえよ!」

「そうだけど、そういう意味じゃなくて……」

「なんだよ」

「……うまく言えない」


 だろうな、と思った。それからまた印堂は呟く。

「どうすればいいと思う?」

「勝手にしろよ」

 俺は片手を振った。


「お前、ちょっとは自分でモノを考えろ。やりたいことを思いつけ。死ぬまで勇者やる羽目になるぞ」

「……そう?」

 まるで意外なことを言われたように、印堂は目を瞬かせた。


「普通はどうするの?」

「だから、普通なんて知らねーよ。勝手にやれ。それがスムーズにできないのが、お前のヘボいところだ。最近、調子悪かっただろ」

「……うん」

 不満そうに唸る。


「……まあ。少しは。教官が、いろいろ……考えろとか言うから……」

 それから、抗議するように俺を見る。

「私、前より弱くなった気がする」


「慣れてないことをやろうとしてるからだ」

 俺はデスクからウィスキーのボトルを引っ張り出す。

 今日はもう一杯くらい飲まないと眠れそうにない。印堂にカードゲームを邪魔されて、なんだか消化不良な気分だ。


「お前はもっと考えろ。いくら時間をかけてもいいから、答えを出せ。自分の希望ぐらいは知っといてもいいんじゃねえの」

「やりたいこと。私の?」

「そうだ。お前、一生死ぬまで勇者をやるつもりか? 何のために?」

 ちなみに、俺はごめんだ。


 印堂は数秒間ほど沈黙した――その間、テレビからは勇者が魔王に怒鳴り、日本刀で斬りかかるシーンが流れていた。


「……わかった」

 しばらくの後、印堂は小さくうなずいた。

「私は考えて、なにか答えを出してみる」

「おう」

「……でも」


 印堂はソファから立ち上がり、俺を指さした。

「私にとっての教官は、いまでは教官一人だけ。それは決まってる」

「あ、そう」

「……安心した?」

 首をかしげて尋ねられた。

 何を安心しろというのか。人殺しに師事して、安心もクソもないだろう。だから、俺が返せる言葉は一つだけだ。


「やめとけ」

「やめない」

 印堂は断言する。


 ――それから三十分後、印堂雪音は勇者映画を見終えて、俺の部屋を去った。

 やつが失踪したのは、その直後のことだった。

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