第2話
すでに、「丸塚電気」の店内では混乱が起きていた。
馬鹿正直に入口から入るわけにはいかない。
が、このパターンでの突入時のルートくらいは想定済みだ。
俺と印堂は素早くビルの裏側に回り、非常階段を見上げた。《蹉跌する泡》卿がこっちから逃げてきてくれればいいのだが、そう都合よくはいかない。
この暑いのに黒スーツ――《蹉跌する泡》卿の眷属と思われる奴が、五階あたりから顔を出し、こちらを見下ろしていた。
まだ俺たちを敵だと認識していないように見える。
これは好都合。
「それじゃあ印堂、今回のルールだ。お前はエーテル知覚禁止な」
言いながら、俺は首筋に《E3》のインジェクターを押し当てる。
変化は一瞬。
思考が加速する際の、酩酊に似た感触。
「もし使ったら、二度と指導はしない。いいな?」
「……跳んじゃダメなの? 聞いてない……」
印堂もやや不満そうに《E3》を使う。首筋の注射痕がざわりと蠢くのがわかった。
「予め教えてたら、臨機応変な対応の練習にならねーじゃん」
俺は印堂の背中を押して、階段を上らせにかかる。
「そのくらいのハンデがなきゃ、お前も面白くないだろうし」
「面白さ、必要あるの……?」
印堂は眉間にシワを寄せ、大ぶりなナイフを二本、両手に握りこむ。
「お前の場合、エーテル知覚が効かない相手にも対応できるようになっとけ。前はそれで痛い目見たよな?」
「……そうだけど」
「わかったら、さっさと行け」
まだ不満そうではあるが、印堂は俊敏な猿のように駆けだす。
手すりを蹴って、ショートカットしながら上っていく――その途中で、降りてきた黒スーツの連中と交錯する。
向こうの数は二人。
「だめだ! こっちの階段も押さえられてる!」
黒スーツの一人が叫んだ。
「猿みたいなガキが――」
もちろん、最後まで発言することはできない。
か、か、かん、と音高く階段を駆け上がった印堂が、手中のナイフを振るっていた。
首筋を一掻き。
声の代わりに血があふれた。それで終わりだ。
残されたもう一人の黒服は、さすがに応戦する。
「なんだよ、畜生」
突き出したのは拳銃――なんとまあ、かわいそうな話だ。《E3》を持たせてもらっていないとは。
勇者に対して拳銃というのは、数がそろって初めて有効になる武器だ。
数人がかりで連射して弾幕を張れば、銃弾が当たってかなり痛いし、足止めくらいはできる。
逆に言えば、ただそれだけでしかない。
印堂は軽く銃弾を回避して、手すりを蹴って宙返りを果たす。
マジで猿みたいだ。
が、それでぜんぶ終わった。黒スーツの拳銃を握っていた手首は斬り飛ばされ、やっぱり首筋から血が噴き出している。
黒スーツ、二人分の死体が階段を転げ落ちていく。
俺はそいつを飛び越えて、たやすく五階にたどり着いた。こいつは楽だ。
「お疲れ」
「ん。余裕」
返り血を浴びた印堂の肩をたたくが、不満そうにその手を払いのけられた。
「違う……頭」
「なんだって?」
「頭」
印堂は俺の手をつかんで頭を触らせた。とげぬき地蔵か、こいつは。それか猿。
「わかった、お疲れ」
「そう。それでいい」
印堂が納得したので、非常扉を蹴り開けるようにして店内へ。
店内のエアコンの、冷たい風がありがたい。
だが――もちろん、そこはもっとひどい騒動になっていた。
誰かが鳴らした非常ベルがうるさいし、客も店員も階段から逃げようとしている。
「あーあー。ひでえな」
俺は頭をかきむしる。
「たぶんニュースになるぞ、これ。お前らのアカデミーだと、報告書出さないといけないんじゃなかったか?」
言った途端に、足元に人間が転がってくる。
外にいたのとは、また別の黒スーツ。
こいつには《E3》の注射痕があった。が、すでに事切れている。胸部に深い裂傷。こういうことをやるのは。
「――遅ぇよ、センセイ。雪音も」
文句をつけてくるのは、抜身の日本刀をぶら下げた長身の少女。
癖のある金色の髪の毛を一つに束ね、不機嫌そうに俺を睨んでいる。セーラ・カシワギ・ペンドラゴン。俺の生徒の二人目だ――一応は。
「あのさ。こっからどうするんだよ」
と、彼女は挑むように尋ねてくる。
「もう計画どころじゃねえんだけど。いま、別口の勇者パーティーが追いこんで行ったよ。あっちの非常口の方に」
「まあ、最初の計画通りじゃないな。そりゃ確かだけども」
俺は認めて、ややわざとらしく肩をすくめた。
「で? お前は同業者が追い込みかけてる間、何やってた?」
「こいつの相手だよ! あと、センセイと雪音を待ってたんだけど!」
「わざわざライバルの仕事を楽にしてやったわけか。待ってないで追うべきだったな。お前さ、ちょっと必死さが足りないんじゃないか?」
俺はしゃべる間にも足を進めている。
フロアの奥。セーラが指さした出口の方へ。
「そんなこと言ったって、予想外のことが起きたらフツーは――」
「同業者と襲撃がカチあうのが、そこまで予想外か?」
「……うっ。私は、ただ……!」
「っていうか、お前らがつかんだネタを外にリークしたの俺だからな。このくらいのトラブルはあると思ってた」
「え、うえぇっ? なんだよそれ、ひどくない!?」
城ヶ峰が調べた《蹉跌する泡》卿の外出情報は、すでに匿名で複数のルートに流れている。
そのままだと計画通りに仕事が終わって面白くないから、俺が仕込んでおいたネタの一つだ。
魔王仲間が援護に来るか、逆に罠を張られるか、どちらかだと思っていたが――よその勇者パーティーが来ているとは、いまいちな話だ。あまり練習にならないかもしれない。
こいつは苦笑いするしかない。
「生徒が知らない間にサプライズを用意する。我ながらまじめな先生すぎるな……」
「どこがだよ! そ、そういうの、前もって言っといてくれれば……!」
「前もって言っておいて練習になるかよ。印堂もそうだけど、ちょっと気合い入れなおせ」
印堂の名前を出すと、セーラは顔をしかめて黙った。
当の印堂は無言で彼女の肩をたたいた。励ますような仕草。
他人のことが言えた立場か、と思うが、まあいいだろう。
「つまり、このくらいは『予想外』じゃない。ちょっとしたトラブルだ。いちいち立ち止まってたらお前も死ぬぞ、セーラ――その点、認めたくはないけど」
言葉を続ける俺の足元に、また人間が転がってくる。
こちらは黒スーツではない。
首筋に注射痕のある、一人の少女。なんとなく作り物めいた顔立ち。額のあたりから出血していても、まあ整っていることはわかる。
彼女はごろごろと転がり、俺の傍らの商品棚に頭をぶつけて止まった。
ごがん、と、かなり派手な音がした。
「ぶぐ!」
というのは、陳列されていた炊飯ジャーの一つが落下して、顔面を直撃したときの悲鳴だ。鼻血がこぼれた。
「……まったくな。マジで認めたくはねーけど」
と、俺は繰り返しそこを強調し、彼女を見下ろした。ついでに軽く蹴る。
「こいつの必死さ。そこんとこだけは評価できる。おい。寝てる場合じゃねーぞ、城ヶ峰」
「はいっ、師匠!」
彼女はいっそムカつくほど清々しく反応し、飛び起きた。
「私はまだまだ楽勝ですっ!」
城ヶ峰亜希。
彼女が三人目。本当に悩ましい話ではあるが、こいつも一応――形式上、やむをえず言及するとすれば、俺の生徒の一人だった。
「吹っ飛ばされといて、お前はよく言うよ。で、残りは?」
「はい! 首尾よくセーラが一人片付けたので、残り二人です!」
城ヶ峰は片手剣と盾を構え、前方を――店の奥を睨みつける。
「少々お待ちください! 少し手間取っていますが、この城ヶ峰! 《死神》ヤシロ師匠の弟子――《可憐なる雷鳴》の城ヶ峰として!」
城ヶ峰の名乗り上げは無視することにした。
付き合ってもいいことはないからだ。
それより、店の奥を観察する。
――なるほど、そこには黒スーツが二人。
日本刀を構えた年かさの男と、肉厚の片手剣を構えた小柄な女。
魔王の眷属で、《E3》を使うやつなのは間違いない。
「よーし。じゃあ始めるか。印堂、お前はエーテル知覚禁止な」
「……まだ?」
「まだだ。そして、そこの暑苦しい黒スーツ二人!」
俺は怒鳴った。
「こっちの盾持ったアホが城ヶ峰! 他人の心を読むエーテル知覚持ってる!」
「はい! 私は人の心を聞くことができます!」
「えっ。ちょっと待った、センセイ――」
「あと、こっちの目つき悪い金髪がセーラ! 脅威を感知するエーテル知覚を使う。いいか! つまり半端なフェイントは通用しねーから、そのつもりでガンガン攻めてこい!」
「う、うわ、うわああっ!」
案の定、セーラはひどく慌てた。
「なんでバラすんだよ、センセイ! そ、そんなんアリかよ!」
「レッスンのレベル2だよ。大したことねぇだろ。工夫して勝て」
大きな欠伸をしながら、俺は城ヶ峰の頭を直撃した炊飯ジャーを拾い上げた。
「俺が買い替える炊飯ジャー選んでる間に終わらせるように。じゃ、よろしく!」
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