番外編・アーサー王の教場(5)
「マジでやるのかよ」
セーラは半分呆れた、あるいは不安そうな顔で俺を見上げる。
「《トリスタン》……先生は、結構ガチめに強いんだけど」
「そういう風に見せてるだけって可能性もある。お前とか、かなり騙されやすいし」
せめてこれだけは、と強制された胴体用のプロテクターをつけながら、俺も答える。
あと必要なのはヘルメットか。バイク乗るときみたいなフルフェイスのやつ。かなりダサいけど、やるならこっちも被るしかない。
《トリスタン》が特例として認めた、部外者を交えての試合の、これが条件だった。
やつは「どうしてもやりたいなら」、と言っていたが、どう考えてもやりたかったのは《トリスタン》の方だ。
なにせ「勝ったらなんでも質問に答える」という賭けの条件を設定しやがったからだ。
これにはトモエのやつがアホだから食いついたし、実のところ俺もここで教えている技を見ておきたかった。
利害は一致したというわけだ。
「……まあ、《E3》なしなら怪我とかしないか……。ってか待った。私、別に騙されやすくねーし」
「詐欺にあうやつはみんなそう言う。でもまあ……」
俺はヘルメットを被る前に、試合場を注視する。《トリスタン》と、トモエが向かい合っている。
俺の前に、あの二人の立ち合いが先になった。理由はすぐにわかるだろう。
「実力がそこそこあるのは嘘じゃなさそうだ」
そういう俺の言葉に反応したわけじゃないだろうが、《トリスタン》は爽やかに笑って模造剣を正面に構えた。
剣を立て、半身になるオーソドックスな構え。やつが選んだ武器は両手剣だった。果たして本来の得物かどうか、俺にはわからない。
「いつでもいいですよ」
と、《トリスタン》は言った。
「もしも私に勝てたら、なんでも一つ質問に答えます」
「あ、そう」
トモエは模造の槍を下段に構えたまま、無造作に見えるくらいの足取りで距離を詰める。フルフェイスのヘルメットがやっぱり間抜けだ。
「じゃあその前に一つ確認しときたいんだけど。私らって、ほら、勇者狩りの」
と、すべて言い終わる前に動く。
意表をつこうとしたのだろう。
下段――相手の足を狙う刺突をフェイントに、穂先で顎を叩き割ろうとする。一瞬、《トリスタン》はその通りに打ち込まれた、ように見えた。
その体の軸がほとんど動かなかったからだ。
「はい。終わりですね」
ばちん、ばちん、と異様な音が続けて響き、トモエの手から槍が叩きとおされた。
《トリスタン》は長剣の切っ先をトモエの首筋に触れさせている。
「フェイントをかけるなら体重移動にもっと注意してください。いまのは、格上には通じにくいですよ」
痛烈な嫌味。たぶんトモエ本人にしか通じなかっただろう。
おおお、と、試合を見ていた周囲からどよめきが上がった。一部の女子生徒は歓声さえあげている。
「《トリスタン》先生!」
――だ。すごい人望じゃないか。
一方でトモエはつまらなさそうに舌打ちをし、背後で見ていたニナと視線を合わせる――ニナは顔をしかめて首を振った。
もうやめとけ、という感じだ。
「なるほど。大人気だな、《トリスタン》先生は」
俺が呟くと、セーラは複雑な心情を持て余すように顔をしかめる。
「まあ、見た目が割といいし……ウチの学校女子多いし」
「なるほど、さてはお前もファンだな」
「いや私は普通に顔面的にセン――おい待った。関係ないだろ! 別にファンじゃねーし!」
セーラは束ねたポニーテールをしきりと触っていた。
このときは金髪をかきむしったくらいだ。動揺している。本当にファンという説もあり得る。
「じゃあ、コテンパンにしてもいいな。親父に言いつけるなよ」
「言いつけねーよ……」
セーラは唇を噛み、俺を睨んだ。憤りが半分。おちょくられてイラついている。
一方で、俺は気分がリラックスしていくのを感じる。単純な人間心理だ。動揺した人間を見ると、相対的に落ち着く。
「ってか、ホントに強いよ。《トリスタン》先生は。仮にも《円卓》のメンバーだしさ」
「どんな戦いでもそうだけど、強い弱いは要素の一つでしかない」
俺はフルフェイスのヘルメットを被り、留め具のベルトを締めた。
「勝つ負けるはまた別の問題だ。俺だって、真面目に勝とうと思ってない。手の内を見せるのは嫌だしな。ただ……」
トモエを退場させた《トリスタン》が、俺に対して爽やかに笑って手招きする。周囲からまた歓声らしき声があがった。
俺はゆっくりとそちらに歩き出す。
「普通にやられるのはムカつくんで、それなりにはやる。見とけ。参考にしろ、後でテストするからな」
「えええ……?」
セーラの少し慌てたような顔。俺は気にせず《トリスタン》と向き合う。
使う得物は長剣。《トリスタン》と同じ両手使いのものだ。バスタード・ソードとはずいぶん扱いが異なるが、このくらいがちょうどいい。
互いにハンデ戦ということだ。
「じゃあ、来ていいぜ。軽く揉んでやる」
「手加減してくださいね」
《トリスタン》は図々しいことを口にした。
「たとえ練習でも、私は《円卓》ですから」
睨みあう。その時間は短い。
どのみち、俺たちは二人とも手の内を見せあうつもりはない。
「ヤシロさん、一つ私からも聞きたいことが」
「なんだよ」
「あなたの三人の生徒――」
「あ、ちょっと待った。このプロテクターなんだけど」
《トリスタン》のアホが何か言うのを止めて、俺は左手を長剣から一瞬だけ離し、背中に回そうとした。
その瞬間に片手で撃ちかかる。
直線的な歩法、単純な袈裟切り。
「これはどうも」
苦笑して、《トリスタン》がそれを受ける。
「テンポが速いですね」
「だろ」
受けられるのは想定済みだ。
片手とは言え、俺が上になった形でのバインド。俺は即座に柄に左手を添え、《トリスタン》の剣との接点を支点に、梃子の原理で剣を動かした。
下から、刃の下をかいくぐる動き。
同時に柄のポンメル――柄頭を突き出して、《トリスタン》の鼻っ柱を殴りつけにいく。
これを師匠は《廻しの技》と呼んでいた。やっぱりネーミングセンスが単純すぎる。
「ふ」
それは笑ったのか、単なる呼気なのか。
さすがに《トリスタン》は見事に防いだ。肘で突き出す柄を弾き、半身になって飛び下がる。距離が開く。それも一瞬。
そこから始まった斬撃の応酬は、《E3》のない俺が実況できるような種類のものじゃない。
《トリスタン》の横殴りの斬撃を弾いて、刃を滑らせながらスライス。
柄に引っかかっても、そこを支点に刃を動かして斬りに行く――これも《廻しの技》の変形――《トリスタン》は体を傾けてかわす。最小限の動き。反撃の刺突。当然、俺もかわす。
お返しの斬撃。防御される。また斬撃、回避、フェイント、脛切り。防いで、擦り上げながら捻って胴。手首。腹部、鎖骨、首筋――
「……おい」
俺はいつしか動きを止めていた。
《トリスタン》のやつが、剣を取り落としていたからだ。俺の模造剣は、《トリスタン》の頭部を叩き割る寸前で止まっていた。
周囲から、どよめきの声があがる。
中には悲鳴のような声も聞こえた。どうせ《トリスタン》のファンだろう。
俺は非常に呆れた。
「待てよ。いま、俺、相打ち気味に負けてやるつもりだったんだけど」
「奇遇ですね。私も、ヤシロさんに勝つより負ける方が楽だと思ったんですよ」
《トリスタン》は嫌になるほど爽やかに笑った。
「気が合うじゃないですか。私たち、いいコンビになりそうじゃないですか? バディとか組みません?」
「絶対やだ」
俺は《トリスタン》に前蹴りを食らわせた。
《トリスタン》は尻餅をついたが、あまり手ごたえはなかった――やつは自分から跳んだと思う。
「どういうつもりだよ、お前」
「もちろん、こういうつもりで――みなさん!」
《トリスタン》は立ち上がると、両手をあげて振り返った。
「この私も負けてしまいました。素晴らしい技量でしょう? この方こそは《死神》ヤシロさん。かのアーサー王も一目置く、敏腕の勇者です」
そうして《トリスタン》は拍手をした。
「今日は特別にここで練習を監督していただけるそうです」
やめろアホ。既成事実を作ろうとしているんじゃねえ――と俺は思った。生徒たちの間に再びざわめきが走っていた。
最悪だった。
「皆さん、質問があったらぜひ彼に――」
「おい、こら」
と、声をかけたのは俺ではない。
あと一秒あったら、俺も止めに入っていたところだ。冗談じゃないことをさせられそうだった。
が、《トリスタン》が最後まで発言する前に、また体育館の入り口から、こちらはずいぶんとガラの悪い女が顔を覗かせていた。
片目に眼帯をした女だった。滑らかな黒髪と、顔立ちからして恐らくアジア系。
「《トリスタン》! 何をしてる。部外者と試合してるとか連絡があった。なんだお前? 舐めてんの?」
なかなかに威圧的な物言い。
しかし《トリスタン》はまるで動じない。
「《ガウェイン》。落ち着いて。こちらが彼ですよ、私が《円卓》に推薦している《死神》ヤシロ。ご存知でしょう」
「そんなもん知るか」
吐き捨てるように言って、眼帯の女は俺を一瞥し、すぐに視線を外した。
「いくら戦争の手駒が足りないからって、無節操にスカウトするなよ。訳の分からんやつの素性調査に駆り出される《アグラヴェイン》の身にもなれ」
「彼は信用できますよ。アーサー王のお墨付きです」
「だからなんだ。私は納得してねえぞ」
そうしてやつは、俺を睨みつけた。
「《死神》だかなんだか知らないけど、いますぐ消えろ。《トリスタン》のやつは私がぶち殺しておく――生徒どもも、散れ!」
別の意味で騒がしくなってくる体育館の中、俺は横目にセーラを見る。
そして、そのクソまずい薬を飲み込むような表情で察した。
こいつ、この《ガウェイン》に口調を影響されているな、と。
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