番外編・アーサー王の教場(1)

 セーラ・カシワギ・ペンドラゴンは、正真正銘の「お嬢様」というやつだ。

 少なくともそういう環境で育った。

 その巨大な門を目の前にしながら、俺は改めてそのことを認識した。


 鉄格子でできた門は、まさに中世ヨーロッパの貴族の屋敷のようだ――俺は実際にその類の実物を見たことはないが、たぶんこんな感じだろう。

 これもどうせ親父のアーサー王の趣味に違いない。

 あいつは本当にそういうコケオドシが好きだ。勇者という仕事を取り繕ったところで、何が変わるわけでもないだろうに。


 だが、利点はある。

 セーラの家を訪れるにあたって、道に迷う心配はほとんどなかった。

 家自体の敷地がでかくて、近づけば嫌でもわかったからだ。自分が歩いている道は、さっきからずっとセーラの家の庭にそって伸びる道だったと。


「さすがだな」

 思わず声に出してしまったかもしれない。

 さすがは当代のアーサー王。円卓財団の長。東京都内にこれだけ大きな屋敷を持つとは、ちょっと現実離れしているようにも思う。


 この家には過去に一度、セーラを家まで送る時に近づいたことはあったものの、目の前まで来たことはない。

 目の前の屋敷になんとなく威圧されているような気分になる。

 少し苛立ちを感じて、俺はうっすらと首筋に浮いた汗をぬぐった。梅雨が明けてから急に暑くなった気がする。


 さて、どうしたものか。

 入る方法がわからない。門の近くにはインターホンらしきものがある。暗証番号を打ち込むらしいキーパッドもあった。

 とりあえずこれを押してみるか。


 そう思って手を伸ばしかけたとき、背後から声をかけられた。


「――あの」

 控えめではあったが、恐る恐る、という調子ではない。なにか楽しみを堪えるような気配があった。

「すみません、お客様。当家に何か御用でしょうか?」


 当家に御用、ときた。

 こんな言い方をする人種とは久しぶりに会う。俺がそちらを振り返ると、メイド姿の女の姿がそこにあった。


 小柄で、ややくすんだアッシュブロンドの髪の毛。顔立ちからして日本人ではあるまい。片手には箒。

 青い切れ長の瞳で、何かを窺うように――あるいは隙を探るように、こちらを見ていた。


「会長なら不在ですよ」

 メイドらしき女は、続けて言った。

「報復だとか、なんらかの抗議活動でしたら、当家を襲ってもあまり意味はないと思います。そもそも、成功率はとても低いでしょうし――まあ」

 彼女はそこで、考え込むように片目を閉じた。

「帰ってきたら虫の死骸があった程度には嫌がるかもしれませんが、それだけですね」


「いや。あんたらのボスには用はない」

 女の口調に挑戦的なものを感じ取り、俺は早めに用件を告げることにした。

「嫌がらせっていうアイデアは最高にいいと思うけどな。用があるのは、娘の方。会う約束をしてたんだが、知ってるか?」

「ああ」

 メイドらしき女が微笑した。なんだか嫌な感じの微笑だなと思った。


「セーラさんを。なるほど。そうですか。あなたが――《死神》ヤシロさん」

「なんだよ」

 俺はメイドらしき女を睨みつけた。一方的に知られているというのは、気分がよくない。

「あいつ、俺のこと何か言ってんのか? もしかして俺が無敵の勇者だとか、最強の《メダリオン》ゲーマーだとか、そんな感じの噂話?」


「そんなところですね」

 メイドらしき女は軽口に応じない。嫌いではないが苦手なタイプだ、と俺は思う。

「では、セーラさんをお呼びしましょう。少々お待ちください」

 どういうわけかえらく楽しげに言って、身を翻す。

 そして彼女はキーパッドを何やら操作し、最後にインターホンを押した。


『――はい。何?』

 ややかすれたような、セーラの声が響く。たぶん寝起きなのだろう。

「セーラさん。お客様がいらっしゃっていますよ」

『はあ?』

 あくびをするようなセーラの反応。たぶん、とんでもない間抜けヅラをしているだろう。

『お客さんって、誰?』


「《死神》ヤシロさん。あなたの先生ですよ」

『……え?』

「セーラさんのお部屋にお通ししましょうか?」

『い、いっ、いやいやいやいやいやいや! 待った! 待ってよ!』

 セーラの声が裏返り、ノイズが混じった。どん、何かを蹴倒すような音、がたがたと何かをどかすような音。


『部屋とか! ダメ! ダメに決まってんじゃん! ないって! え、っていうか、ホントに? センセイ来てんの、マジで? ケイさんジョークじゃないよね?』

「ケイさんジョークではないです。お通ししてもよろしいですか?」

『ダメって言ったじゃん! ぜんぜん、片付いて、ないしっ、ほら! あの、あれ。さっきまで寝てたし!』


「寝すぎだよ、お前」

 話が長くなりそうだったので、俺はケイさん、と呼ばれたメイドの背後から声をかけることにした。

「もう昼だろ。マルタですら起きて活動してる時間だぜ、どんだけ寝てるんだよ」

『うっげ、センセイじゃん……マジでいるし……』

 セーラの呻くような声が聞こえる。


「そりゃいるよ。相談があるんだろ。お前の家まで来いって言われたから来たんだけど」

『言ったけど! え、いや、いきなり今日来るとは思わなかったし!』

「相談なんて早い方がいいだろうよ。ってことで入れてほしいんだけど、お前の部屋ってそんなに散らかってんの?」

『そ、そんなに散らかってねーよ! 失礼すぎるだろ! ただ、いまは液タブとか使ってて、作業が中途半端で――いや、ってかケイさん! 応接室に通してくれればいいじゃん! すぐ行くから!』


 セーラの声は悲鳴に近く、「ケイさん」は忍び笑いをもらした。

「かしこまりました。お通しします」

 それから彼女はまたキーパッドを操作して、会話を打ち切った。流れるようにこちらを振り返り、微笑する。

 いや――彼女のそれは、満面の笑みに近い笑い方ではなかっただろうか。


「名乗るのが遅れました。私、円卓騎士の《ケイ》ことアリシンダ・カークリーと申します。どうぞ《ケイ》とお呼びください――歓迎いたします、ヤシロさん」

「ああ」

 そんなことだろうと思った。アーサー王の家で「ケイ」といえば、この人物しかいないだろう。

 アーサー王。

 やつには貸し借りがある。この世でトップクラスに気に入らない男の一人だ。だから、何か皮肉めいたことでも言ってやろう。そんな気になった。


「驚いた」

 俺はあえて無遠慮にケイの頭からつま先までを眺めた。

「円卓騎士ってのはメイド服を着ることもあるんだな。トリスタンのやつも着るのか?」


「いえ。彼は着ませんし、そんな風習もありません。着たらさぞ面白いでしょうけれど」

 ケイは微笑をまったく崩さず、スカートの裾をつまんでみせた。

「これは単なる私の趣味です。可愛いでしょう」

 知るか、と俺は思った。

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