番外編・冷たい散歩(7)

 新米の魔王には弱みがある。

 理由は本人よりも、部下、というか眷属にあることが多い。


 警戒心の甘さや忠誠心もそうだが、最も重要なのは《E3》を本当の意味で使える人材の育成が間に合わないということだ。

《E3》は単なるドーピング薬とは違う。

 それによって強化された身体能力を操るにはコツがある。


 たとえて言うなら、いままで軽トラックに乗っていた人間が、いきなりレーシングカーを運転するようなものだ。

 自分のスピードを制御しきれずに吹っ飛ぶとか、自分の骨格の構造を理解しきれずに殴った腕が負傷するとか。そういうケースは多い。

 特に、極度の緊張を強いられる戦闘状態では。


 ちゃんと《E3》を使うには練習がいる――新米の魔王はそういう人材を育成しきれない。

 そのため、大抵は傭兵を護衛として雇う。

 忠誠心はないだろうが、金さえ払えば対価相応の仕事はする。


 このとき、車から転がり出てきた少女もそういう事情で雇われたのだろう。

 見覚えのある生意気そうな顔だ。


「お」

 その少女――トモエは、俺たちを見て中途半端に口を開いた。

「やっぱりね。どこかで会うと思ってたけど」

 嬉しそうな口調。

「こんなに早く? これって私の日頃の行いがイイから?」

 片手には槍。以前に見たものよりも柄が短くなっている。穂先の根本に棘のような突起――これはあれか。片鎌槍とか、鉤鎌槍とか呼ばれる類の武器か。

 たぶん特注品だな。


「ね、あの笑えないアホはどこよ? なんて言ったっけ、城ヶ峰?」

 いまも側面からは断続的な銃撃が続いている。が、トモエはそれを気にした様子もなく、車の影から尋ねてくる。

 余裕があるのも当然だ。その気になれば《E3》使いは銃弾より速い。

「会いたかったんだよね。ヤシロ――《死神》ヤシロ! 教授から聞いてる、実はすごい有名人なんだって?」


「印堂。あの半笑いのバカを引き離せ」

 俺はトモエを無視して、やつに続いてひっそりと出てきた人影の方を注視する。

 トモエの背後で、悠然と――少なくともそう見えるように黒いサマーコートの襟を直し、ついでのように流れ弾を素手で叩き落す。

 無言でかすかに眉をひそめるのは、ちょっと痛かったからだ。演技の修行不足。


 あれが《貪婪たる鱗》卿だ。

 頬にトカゲの入れ墨。オールバックに痩せた頬。無言のまま俺を睨みつけてくる。さぞや腹が立っているだろう。それと同じだけビビっているはずだ。


「十五秒くらいでいい。あとは俺が片付けて引き上げる」

 俺はバスタード・ソードの柄に手をかける。

 事前に仕入れた《貪婪たる鱗》卿のエーテル能力を考えれば、味方への援護はまずない。そしてこの距離なら、やつは俺の敵じゃない。

 トモエの剣技だけが唯一の障害となる。


「殺してもいい?」

「できるならな」

「じゃあ、余裕」

 印堂はすでに動き出している。

 つんのめるように、前へ。空間の「隙間」を飛び越えて、一歩でトモエへ肉薄する。死角となる背後をとる形だった。


 これが印堂のエーテル知覚。

 対策なしでこれを捌くのは無茶だ。普通はこれで決まるか、重大な負傷を与える。

 だが――


「おっと」

 トモエの首筋を狙い、印堂がナイフを閃かせた瞬間、やつの槍が動いた。

 背面をとられることをわかっていたかのように、穂先で印堂の刃を弾く。それと同時に、槍を旋回させ、柄の方で反撃。腹を狙う。

「ん」

 印堂の眉間にかすかな皺が寄った。


 反撃の柄は横っ飛びにかわしたが、トモエの構えを崩すことすらできなかった。読まれた、ということが驚きだったのか。


「それはあれか。お前のエーテル知覚と、あんまり相性が良くないな」

 俺はそう結論づける。

 トモエの能力を思い出す。こいつは確か、相手の位置を知ることができた。それが効いている。印堂の空間移動は、別にテレポートのように瞬間移動しているわけではない。


 印堂の話をかみ砕くと、こうだ。

 空間の「隙間」から亜空間の通路――だかなんだか――とにかくそういうものを経由して、瞬間的に移動したように見える。

 要するに、亜空間の通路を通っている間、その所在を把握できていれば、どこに出てくるかもわかる。そういう理屈だろうか? それとも、単に出現したところで所在を即座に把握し、反射神経で対応しているだけか?


 前者でも後者でも厄介なのに変わりはない。

 確実なのは、トモエがあのしょぼいエーテル知覚を訓練し、戦闘で使えるようなテクニックまで身に着けているということだ。


「印堂、気をつけろよ」

 俺は忠告を飛ばす。

 こいつは教官として負けていられないと思ったからだ。ついこの前もそうだった。これじゃあ俺の方が教えるのが下手みたいじゃないか?

「そいつ、得物も変えてる。短槍とやったことはあるか? 攻撃半径が小さい分、近接戦での速度は長槍の比じゃないぞ」


 印堂は聞いているのかどうかわからない。俺に背中を向けたまま、大きく呼吸をした。

「おい、印堂! 前も言ったよな。エーテル知覚があんまり通じない相手なら、工夫しろ。たとえば柄斬り――」

「ふっ!」

 俺のアドヴァイスも途中なのに、印堂のやつはまた動き出しやがった。


 短い呼吸とともに、空間を跳ぶ。

 今度はトモエの頭上。逆さまになった異様な体勢で、トモエの首――いや、鎖骨を狙う機動だった。

 もちろん、読まれている。


「あっは」

 笑って弾き、柄で打ち据える。印堂の防御は間に合ったが、地面に叩き落される結果は同じだ。

「わかるんだって。それとも、え、なに? もしかしてソレが通じない相手と戦ったことないとか?」


 挑発している――トモエはこういう戦い方をするようだ。

 以前もそうだった気がする。あのときはそのトークが通用しないアホが相手だったが、気を散らす喋り方はなかなか板についているじゃないか。

 おまけに、言葉選びのチョイスが抜群だ。

「あんた、さてはあの城ヶ峰より弱くない?」


 これには印堂も我慢できなかった。

 仕方がない。俺だってそんなことを言われたらイラッとくる。

 思い切り眉間に皺が寄り、起き上がりざまの斬撃。

 左右のナイフが閃く。が、当然こんなもんは防御されるし、空間を跳ぼうとサイドステップする動きに合わせられる。


 たぶん、そっちに飛ぶしかないように仕向けられたのだ。

 トモエは防御する際、穂先から突き出た棘をつかった。そいつで印堂のナイフを引っ掻け、横ざまに振った。

 本当に、あの得物を使えるようになっていやがる。


「はい、そっち」

 トモエの槍が印堂の脛を削った。ふくらはぎの肉を破り、血を噴出させる。倒れこみながらの印堂の反撃――柄で防御され、それどころか反撃の刺突を食らう。

 脇腹だ。深めに抉る。

 印堂がよろめく。バランスを崩して倒れる。


「っぐ、――んんっ」

 印堂は意味不明なうめき声をあげた。トモエの追撃を弾く。辛うじてだ。立てない以上、反撃ができない。

 さらなる攻撃にさらされる羽目になる。


「おいおい」

 俺は唸った。

「意外とこれ、まずくないか?」

 これには二つの意味がある。

 一つ、印堂の命の危機。

 二つ、トモエの予想外の上達。


 いよいよマジで、俺が教えるの下手みたいじゃないか?

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