番外編・冷たい散歩(6)
品川区から、太田区へ。
東京湾に沿って歩けば、人工的に成型された陸地が続いている。
埋め立てられた沿岸部は直線と角で構成され、幾何学的な形状で海を切り取っているように見える。
だが、その途中には大きな欠けがある。
数年前の抗争でえぐられた、大型のクレーター群だ。
とある魔王のエーテル知覚により、この沿岸地域は激しく破壊された。そのせいで海上からの東京支配を狙っていた《輝ける紫煙》卿の目論見は潰えることとなった。
おかげで貿易や漁業に多大な損賠が出たし、いまだに影響は残っている。
この一帯は、いまでも政府の目の届かないスポットが多い。
俺と印堂が歩くのは、そういう砕けた沿岸を臨む、海浜公園の一つだった。
露店で軽食を買って、呑気な足取りで歩く。傍目から見れば、平日昼間からの気楽な散歩にしか見えないだろう。
――腰に吊った剣を除けば。
「……久しぶりに見たけど、だいぶ修理が進んできたな」
俺は亀裂の走った地面を跨ぎ、海浜公園の景色に目を向ける。
そこそこ人の影はある。満員御礼とはいかないが、海外からの観光客が多いようだ。これはあまりいい傾向ではない。
何人か、武装した俺に注目するやつもいるからだ。
「夕方になると、もうちょい人が増えそうだ。さっさと片をつけるか」
「教官は、前もここに来たことがある?」
印堂はぼんやりと水平線を眺めながら歩く。
「例の、大きな抗争のときに?」
「まあな。俺は勇者業界で期待のホープだったからな。《輝ける紫煙》卿の眷属とも張り合ったよ」
あのときは、《光芒の蛇》卿という魔王に雇われていた。
思いっきりこの一帯での戦闘に関与した。
実のところ、このクレーター群をつくって沿岸を破壊したのは、《光芒の蛇》卿に他ならない。一夜のうちに光の蛇が沿岸を焼き払い、抉り取るのを、俺は見た。
「一晩中殺し合いやって、朝になったら、この辺はひどかった。花火大会の後のゴミみたいに死体が散らばってたんだぜ」
「ふーん」
あまり興味のなさそうな返事をして、印堂はやや足を速めた。
無理やり俺の半歩前を歩くような形になる。それから振り返って俺の顔を見た。
「……教官の思い出、他には?」
「あの夜は戦車まで持ち出したアホな魔王がいてな、砲弾が直撃すると《E3》で強化された人体でも持たないんだな。だいぶグロかった」
「そういうのじゃなくて……もっと……」
言いかけて、印堂は首を振った。
「やめた。教官にはそういう話無理そうだし。それより……ここで、やるの?」
失礼なことを言われた気がするが、いちいち否定しているほど暇じゃない。
俺は腕時計を見て、いまの時間を確認する。そろそろやって来てもおかしくはない。
「やるならここだ。たぶん、《貪婪たる鱗》卿はここに来る」
「どうして? 自分の城に帰るんじゃないの?」
「あいつがクルーザーを買った履歴を見つけたんだよ。あっちの倉庫だらけの区画に隠してある」
間違いなく、逃走用のクルーザーだ。こんな場所に隠しておくのだから、《ローグス》内での立場が悪くなったときのことを考えていたに違いない。
「手に入れた道具ってのは使いたくなるもんだからな。まあ、七割くらいの確率でこっちに来ると思う」
「そう? じゃあ、残りの……三割になったら?」
印堂は指を折って数え、残った指で「三」を示した。こいつの計算力、かなりヤバいな、と俺は思った。
「向こうの城に乗り込むの?」
「ちょっと面倒だけどそうなる。仕掛けはしてあるけど」
具体的に言えば、《二代目》イシノオが下っ端の小間使いとして城に侵入している。何事もなければ「バイト代金」を勝手に持ち帰るだろう。
やつらが城へ逃げ帰るなら、あいつが内側から攪乱することになる。
イシノオにとってはどっちにしても楽な仕事だ。
「でもたぶん、そうはならねえよ。《貪婪たる鱗》卿の性格は調べてある。こういうときは逃げの一手だ」
「ふーん」
また印堂はどこか上の空のような返事をした。
が、少し周りに視線を配り、また口を開く。
「……マルタ、さんは? 別行動?」
「そんな感じ。近所の猫に餌やってくるってさ」
「それも何かの仕掛け?」
「違う、マルタの趣味だ。迷惑だからやめろって言っても聞かねーから言うのやめた。お前もそっち行きたかったか」
「違う」
印堂は眉間にしわを寄せ、やや不機嫌そうに否定した。
「ぜんぜん違う。いままでマルタ……さんがいたから、あんまり感じが出なかった。……そう思っただけ」
「なんだ、感じって」
俺は少し意外な気がした。
「お前、マルタ苦手なのかよ。ちょっと似てるのに」
「ん……?」
もしかすると動物の縄張り争いみたなものかもしれない。俺はそう推測したが、印堂の眉間のしわがさらに深まった気がする。
「んんん……? 似てる、っていうことは……んん……?」
唸り声をあげて、印堂は珍しくも何かを考え込む表情をした。本当に珍しい。
「教官の感想、だいぶ複雑。あの人のことは苦手じゃない。別に。けど……」
「けど?」
「感じが出なかったのは、確実」
「だから、『感じ』ってなんだよ」
「んんんん……。それ、言うの?」
さらに眉間のしわを深くして、印堂は唸り声をあげた。
「感じは、感じ。アレの。アレしてる感じ」
「城ヶ峰並みの説明やめろ」
「だから」
印堂は一瞬、目を逸らす――大通りの方を見る。理由はすぐにわかった。俺もそちらを見る。
「……こんなときに来る」
「意外と早かったな」
「せっかく、……ふつうに散歩してる感じになってきたのに」
ため息混じりに印堂が呟き、俺は騒音を聞いている。
車は三台。いかにも高級そうな黒塗りの車体が、通りを駆けてくる。
法定速度を明らかに超えているだろう。こちらの倉庫街へ一直線だ。
俺はポケットから《E3》のインジェクターを引っ張り出す。
「《貪婪たる鱗》卿は、トモエってやつを護衛で雇ったらしいな。張り付かれてると面倒だから、引きはがしたいところだ」
「もしかして、トモエって槍使いの子? アキにボコボコにされてた?」
「まあ、十中八九そうだろうよ。お前、自信ありそうだな」
俺が笑うと、印堂も澄ました顔でうなずく。
「楽勝だと思う」
「どうかな。腕を上げてるかもしれない。妙なやつの指導を受けたりとか」
「アキに負けた相手に負けるとか、ない。私は強いから」
「言うじゃねえか。それならお前がやってみるか?」
「いいけど。報酬は?」
これも無表情のまま、わずかに首を傾げて印堂は言う。
だが、俺にはなんとなくわかってきた。
こういう顔でこういう発言をするときの印堂は、ちょっとふざけている。というか、甘えているのに近い。セーラや城ヶ峰相手にはよく見せる仕草だ。
「夕飯ぐらいは奢ってやろうか。高級な店を予約してあるからな」
「約束」
うなずいた印堂もまた、《E3》のインジェクターを引っ張り出す。何気ない、まさに散歩するような足取りで、俺たちは道路へ進み出る。
黒塗りの車は三台続いて、俺たちをひき殺さんばかりの速度で迫り――そして、横合いからぶち込まれた機関銃の弾丸の嵐を浴びることになる。
「派手な援護だな。よし、終わらせるか」
間違いなく《輝ける紫煙》卿の眷属ども。これで車は止まる。
俺は《E3》を首筋に打ち込む。慌ただしい世界の流れが鈍化して、冷たい感覚が広がっていく。
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