番外編・冷たい散歩(8)
印堂の状況は危機的だった。
足の負傷はすぐに治るだろうが、そう簡単には距離をとって休めない。
トモエの追撃が厳しい。
理由は相手の使う武器だ。短槍というだけでなく、穂先に鎌状の棘がある。これが極端なまでに印堂の攻め手を防いでいた。
未知の形状の武器は、それだけで難易度のレベルを跳ね上げる。どうやって捌くべきかノウハウがないからだ。
特に印堂のような反射で戦うタイプなら、珍しい武器ほど効果的だった。
ダガーを使う印堂の強みは、小柄な体とエーテル知覚を活かした奇襲――その斬撃から続く至近距離での格闘術にある。
近づけさせないトモエの槍と、隙の少ない刺突がそれを封じていた。
「よっ」
と、わざとらしいくらい軽い掛け声とともに、トモエの槍が旋回する。
というよりトモエの場合、イラつく言動はすべて故意にやっていると思った方がいい。
「遅いじゃん、印堂」
これもだ。
印堂のナイフが弾かれ、鎖骨すれすれを刃がかすめる――いや。穂先の棘が肩をえぐった。かわしたと思っても、避けきれていない。
印堂の足が止まっているせいもある。
「なにやってんだ、おい」
俺はといえば、野次を飛ばすことしかできない。
「印堂! 負けたら後で城ヶ峰とセーラにバラすぞ!」
トモエと《貪婪たる鱗》卿の距離が近すぎる――引き離すことができていない。いま攻めても二人を同時に相手にさせられるだろう。
すなわち、逃げる隙を与えてしまう。
「いいねえ、その感じ」
答えたのはトモエだ。踏み込んで突きを放ちながら笑う。
「あんたのところの師匠、だいぶ追い込んでくるじゃん? 教えるの下手すぎない?」
印堂は答えなかった。
だが、その瞳を細めたのがわかった。太ももの負傷から血があふれ、傷口が開くのも気にせず、反撃に移る。
トモエの槍の引き手にあわせ、左右の連撃。
「ふぅぅっ」
獰猛な印堂の呼吸。小柄な体を伸ばして、ひらりと蝶が羽ばたくような刃の切り替えし。見事な高速のコンビネーション――だが、読まれている。
もともと、トモエの刺突自体が誘いだった。
俺の目はすべてを見ていた。
トモエの動きに迷いはなかった。
槍の旋回で左右のナイフを捌き、ステップアウトして連撃を避ける。
印堂の攻め手が止まった。そう思った瞬間には頭部へ穂先の一撃――致命傷を狙うやつ――印堂はきっと避けきれない。
紙一重でかわそうとする印堂の回避動作では、左目が抉れる。
畜生。
俺はありったけの言い訳を並べた。
どうせ失敗だったから。トモエが十分に引き離されていなかったから。印堂が負傷するとうるさい連中がいるから。この件に巻き込む形になったから。
あとは――そうだ。これがある。
トモエの野郎、俺が教えるの下手なんて言いやがった。
これだけで万死に値する。
「印堂」
俺は加速し、トモエと印堂の間に割り込んだ。
ぎりぎりで間に合う。トモエの槍の穂先を、抜き打ち気味のバスタード・ソードで叩き落す。
「お前、あとで補習だからな!」
おまけの片手斬り上げはガードされたが、距離が詰まっている。俺は槍の柄を、空いた左手で掴もうとする――が、外された。
トモエは飛びのいて距離をとる。
そして、この二秒ほどの攻防は、《貪婪たる鱗》卿に十分な機会を与えてしまっていた。
側面からの銃撃も、まばらになってきている。《輝ける紫煙》卿の三流眷属ども、徐々に引き上げ始めていやがるらしい。
「お前が、噂の《死神》か――俺を迎えにくるのはまだ早いぞ」
やつは余裕あるような寝言をほざいて、片手を車に伸ばした。
ぐぎん、と異様な音が響いて、そのドアが剥がれた。まるで紙を一枚、無造作に剥ぎ取るような仕草だった。
単なる腕力ではなく、そういうエーテル知覚なのだ。事前情報通り。
やつは剥がした車のドアを、こちらへ向かって投げつける。
弾丸の速度で追おうにも、それが俺を阻んだ。俺のバスタード・ソードなら切り裂けないことはないが、トモエの牽制もしなければならない。
「クソ野郎」
結論として、俺は飛んできたドアを蹴り飛ばすことにした。トモエをさらに飛びのかせることはできたが、追いかけるきっかけを失った。
《貪婪たる鱗》卿が逃げていく。
倉庫と倉庫の隙間へ、脱兎のごとく駆け込むのが見えた。手下どもを見捨てるかなりアホな逃げ方だが、なりふり構わない割り切り方はさすがだ。
トモエは嬉しそうに笑った。
「失敗だね。《死神》って看板、下ろしたら?」
「お前、まだわかってないようだな」
俺はバスタード・ソードを担ぐように構える。
「《死神》に狙われたら助からないんだよ。剣の腕なんて手札の一つでしかない。あいつ、もうすぐ死ぬぜ」
俺の発言はすぐに証明できた。
倉庫の隙間から、《貪婪たる鱗》卿が蹴りだされてきたからだ。その左足首から先が失われていて、血が噴き出ている。
やつの悲鳴はよく響いた。
「あ。あーあ……」
トモエが引きつった声をあげ、一歩後退する。
「な? 言っとくが偶然じゃないぜ。なんでここで仕掛けたと思う?」
何が起きたのか、トモエは気になっているだろう。
俺は顎でそちらを見るように促す。
「あの魔王はこの辺りにクルーザーを隠してるだけあって、さすがに道に詳しい。で、逃げるならあのコースだって推測できた」
倉庫と倉庫の隙間から、マルタがぬっと顔を出した。返り血を浴び、片手に日本刀をぶら下げている姿。
「んん」
注目を浴びて恥ずかしかったのか、軽く咳払いをする。
「よくねえよ、旦那」
マルタは日本刀を下段に構え、地面を這う《貪婪たる鱗》卿に近づく。
「エイスケを蹴飛ばしたな? そういうことやっちゃダメだよ。メシの皿までひっくり返しやがるんだからなあ」
マルタはぶつぶつと呟きながら、自分の首筋をかきむしる。
「……エイスケ? って誰?」
印堂が不可解そうな顔で尋ねてくる。どうせマルタが適当につけた野良猫の名前だろう。
《貪婪たる鱗》卿は不幸にもマルタが猫に餌をやっている現場に突入してしまい、なんらかの狼藉を働いてしまったというわけだ。
しかも猫を蹴飛ばすとは――マルタはそういうやつに相応の罰を与える。
すくなくとも、蹴飛ばした足は切り落とす。
「なあ。ヤシロ」
マルタは顔をあげて俺を見た。
「こいつ、もう一太刀だけおれがやってもいい? おれさあ、ほんとダメなんだよ。動物を蹴ったり殴ったりとか、そういうのほんと見てらんなくて――」
いいよ、と俺が言うよりも早く、《貪婪たる鱗》卿が動いた。
馬鹿め。
やつは地面のアスファルトを掴み、それを軽々と「引き剥がした」。
ひとかたまりの巨大なフリスビーができあがり、そいつをマルタにぶつけようとするが、無駄なあがきだ。
「え、っと」
マルタは少し悩んだ様子で、身を翻した。
「どこ斬ろうかな。やっぱり、この……」
軽々と飛来した巨大フリスビーを避け、一閃。今度は右足首から先が飛んだ。
「じゃあ、ここで」
再び魔王の悲鳴。かわいそうに。
トモエが舌打ちとともに、こちらに背を向けるのがわかった。逃げるつもりだろうが、追っている暇はない。
《貪婪たる鱗》卿にトドメを刺す。それで終わりだ。
だが、動き出そうとした俺の上着の裾が掴まれた。
「……教官。言いたい、ことが、あるんだけど」
珍しく息が切れている。
「前々から。言いたかった。重要なこと。いま、言わせて」
「いま忙しいんだけど」
俺はそれとなく断ろうとしたが、印堂は止まらない。
普段は無口なくせに、こうなると言い切るまでやめない。こいつにはそういう頑固さがある。
「一つ目。動いてる最中に、アドバイスされても、ぜんぜん集中して聞けない……」
「あ」
なるほど。と、俺は思った。
目から鱗だ。
俺が師匠からそういう教育をされたから、無意識にこいつらにも同じようにしてしまっていた。
俺のエーテル知覚なら、戦闘中だろうが複雑な助言を聞きつつ行動することができる。そのせいで完全に失念していた。
「二つ目。教官のアドバイス、長すぎる……」
「おう……」
二度目のなるほど、だ。
印堂が理解するには長すぎる。余計な部分は端折るべきだというのは、確かに。言えてる。
「最後、三つ目……」
印堂は眉間にしわを寄せ、立ち上がる。
「私はアキより弱いわけじゃない。これは本当。トモエ……あいつ、すごく強くなってた。前に会った時よりぜんぜん速かった。あれはちょっと変。おかしい」
「……なるほど」
三度目。今度は声に出してしまった。
いくらなんでも、印堂が苦戦するレベルだ。
俺から見れば隙だらけのように見えたが、いや――それはそうかもしれない――俺の横ざまからの一撃を生意気にも防ぎやがった。
何かがある。
俺はこの前のゴスロリ女と、《ルービック》のことを思い出した。
また嫌な予感がする。思ったより大きな事態が動いているのかもしれない。
だが、なんにせよ、いまは散歩を終えておこう。
勇者の一日の終わりには、魔王の死が必要だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます