番外編・冷たい散歩(4)
マルタと合流して、昼食をとる場所は決めていた。
やることがあったし、印堂をファミレスに連れて行ったときのことはよく覚えている。学んだ。やつにメニューを見せて注文を委ねてはいけない。
選んだのは、駅前の屋外型フードコート。
不満そうな印堂の眉間のしわを一切無視して、俺は勝手に買うべきものを買ってきた。
平日なのに中々の人混みで、何度かぶつかりかけ、しまいには座っていた客の足を踏んだ。サラリーマンみたいな相手から睨まれると、俺は肩身が狭くなって具合が悪くなる。
さすがランチタイム。
やはり昼間は俺が活動するべき時間帯ではない。
「待たせたな」
ホットドッグを三つ、カレーを三つ。
俺が買ってきたのはそれだけで、印堂は露骨に「足りない」と言わんばかりの顔をした。
「……これだけ?」
「これで十分だろ。お前は食いすぎるんだよ」
「私は育ち盛り」
「だといいな。勝手についてきたお前に奢ってやるんだから、文句言うなよ。あと、城ヶ峰やセーラには今日のこと絶対言うなよ」
「がんばる」
印堂は拳を握りしめた。あまりにもいつも通りの無表情のため、本当にわかっているかどうか心配になる。
「うわっ、カレーだ!」
一方で、マルタは嬉しそうにスプーンを掴んでいた。
「いいのかい、ヤシロ。おれ、カレー超好きだよ! カレー屋になろうと思ったくらいだもん!」
その動作はまさに「掴む」。
こいつはちゃんとしたスプーンの持ち方を知らないし、教えてもぜんぜん覚えないのであきらめた。
「そういえばマルタ、お前、カレー屋でバイトしてた時期なかったっけ?」
俺はホットドッグにかぶりつきながら尋ねる。
あのときは嬉々としたマルタの顔を見ながら、これで堅気にドロップインした人間がついに現れちまったと絶望したほどだ。ジョーと一緒に店に嫌がらせしそうになったが、どうにか思いとどまった。
「聞いてなかったけど、なんでクビになったんだ? ネパール出身の店長がめちゃいい人だって言ってたよな」
「店長はいい人だったよ。問題は日本人のオーナー。なんか、売り上げの……ロイヤ……ロイヤルティ? っていうの? あれがすごい厳しかったみたいでさあ。おれはいじめられてる店長のためにと思って――」
「あ、もういいや。クビの理由分かった」
「え、もういいの?」
「ああ。マルタは好きなだけカレー食え。他に食いたいのがあったら言え。買ってくるから」
やったあ、と嬉しそうに叫ぶマルタを横目に、印堂はまだ納得いっていない様子だった。
彼女は高速でカレーを頬張る、その合間に呟く。
「……なんか、教官。マルタ、さんに甘い……扱いがぜんぜん違う……」
「そりゃそうだよ。今日はマルタ、お前と違って仕事してるんだぜ」
「え」
印堂は瞬きをした。上目遣いにマルタを見る。
「してるの? 仕事?」
「へっへっへ。おれはこう見えても、やればできる大人の男なんだ」
マルタは口の周りをカレーまみれにしながら、偉そうに笑った。とてもそうは見えない。仕方がないのでナプキンを差し出してやる。
「口の周り拭け、超アホに見えるぞ。おまけに目立つ。……で? その仕事の話だけど、車は? 駐車場は予定通りの場所だったよな。何台あった?」
「五つ」
マルタは五本の指を開いた。
「数えたから間違いないよ」
「よし。一台に四人と考えると、本人と非戦闘員あわせて二十前後か。タイヤは?」
「完璧。二つパンクさせといた。片方は時間差で空気が抜けるよ」
「六、七人くらい減ったかな。ナイスアシスト。さすがマルタ」
俺たちのそういうやりとりを、印堂はスプーンをくわえたまま不思議そうな顔で聞いていた。が、途中で口を挟んでくる。
「教官。いまの、どういう話?」
「今日のターゲットの話。《貪婪たる鱗》卿は、本日ビジネスの打ち合わせでこの近辺に来てる。こっちは、その打ち合わせ場所と駐車場を割り出してある」
単純な話だ。
魔王を叩くときは、居城に乗り込むのは上策じゃない。外に出ざるを得ないタイミングで、用意を整えて計画を実行する。
幸いにも《貪婪たる鱗》卿は大した魔王じゃない。
本人は警戒心でガチガチでも、周りはその意識が徹底されていないということだ。情報漏洩というやつは、そういう部分から起きる。
「印堂、これレッスンだからな。魔王と戦うときは徐々に戦力を削った方がいい。一気に削ると、厄介な動きをされることがある。《ローグス》の上役に連絡されたりな」
「そうなの?」
「ただの腹痛でいきなり救急車を呼ぶやつは少ないが、いきなり血を吐いたら呼ぶかもしれない。気づいたら手遅れってのが一番いい」
「よくわかんない……」
たとえが下手で悪かったな、と思った。
ちょっとイラっときたので先を続けることにする。
「戦う相手を絞り込めってことだ。車で逃げようとしても、パンクさせてるから全員は乗れない。で、あと警戒するのは《ローグス》への連絡なんだけど――あれ見ろ」
ホットドッグの残りを全部口の中に押し込み、ある方向を指さす。
俺がさっきぶつかった、サラリーマン風の男。そいつはいま、テーブルに突っ伏すようにして顔を伏せている。眠っているようにしか見えないし、実際眠っている。
「さっき貰った錠剤な、あれは睡眠薬。砕いてあいつのカレーに混ぜた。めちゃくちゃ効きがいいな、やっぱり。カート・コバーンが晩年に服用してたやつと同じ種類らしいぜ」
「あれ、誰?」
「《貪婪たる鱗》卿と《ローグス》の仲介役。傭兵とかに連絡する、繋ぎの係。しばらく起きないだろうけど、ここを出るときついでにスマホ盗んで壊すつもりだ」
水を飲んで、氷もかみ砕く。
「さっさと食え、印堂。これからまだ寄る場所あるし、結構スピーディーにやらなきゃいけないからな」
「ん……次、どこ行くの?」
「レンタルDVDの店。だから早く――」
「食べた」
印堂は簡潔に呟いて、立ち上がった。
確かに。なんという早業――いつの間に平らげていたのか。
「急ぐんでしょ。早く行こう、教官」
「うわ、ちょ、ちょっと待ってくれよ! ごめん!」
マルタが慌ててカレーの残りを食べ始める。
「すぐ食べるからさ! 置いてくのは無しで頼むよ!」
「わかってるって。印堂、マルタが焦るから座ってろ! 着席! お座り!」
「……やっぱり、教官はこの人に甘い……。甘すぎでは……?」
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