番外編・冷たい散歩(2)

「――教官の部屋」

 印堂は俺の部屋を盛んに見回して、やや落胆したようにうなずいた。


「なんにも面白いものがない……。本当にここで生活してるの?」

「ちゃんと生活してるよ、おい。どういう意味だよ」

「テレビもゲームもない」

「お前の生活の中心、その二つかよ。テレビとかゲームならパソコンがあるだろ。ノートのやつが」

「パソコン? で、ゲームができるの?」

「うおっ、そこからか」


 俺は呆れて首を振る。

「印堂、よくそんなんで現代社会で生活できるな……いや別にできてねえか。勇者の免許取れなかったらお前、マルタ並みに路頭に迷いかねないもんな」

「それは失礼。私はマルタ、さんほどじゃない。と思う」

 印堂は眉間にしわを寄せて、俺から顔をそむけた。


 マルタを風呂に入れている間、印堂の相手をする必要があった。

 こいつはさっきから立ったり座ったり、二、三歩動いてまた止まったり、奇妙な動作を繰り返していた。見知らぬ環境に放り込まれたネズミのような忙しなさだった。


「印堂――お前はいいから落ち着けよ。座れ。じっとしてろ」

 フローリングの上のクッションを指さすと、印堂は鼻から息を漏らし、ようやくそこに座った。

「別に。私は落ち着いてる。ぜんぜん落ち着いてる」

「そうか……」

 印堂は珍しく早口に反応した。あまり追及はしないでおこう。それより重要なことがある。


「印堂、約束してくれ。城ヶ峰とかセーラとかにここの場所を絶対に言うなよ。それが守れなければ、お前の記憶を消去する必要が出てくる。いいな! あいつらに言ったが最後――」

「うん」

 俺が脅し文句を続けようとしたところで、印堂はあっさりとうなずいた。

「わかった。約束」


「……お前、ホントにわかってんのか?」

「うん。わかる。アキとかセーラとかには内緒っていう約束」

 印堂はぐっと親指を立てて見せる。

「守ってあげる」


 真剣な気概だけは伝わってくる。

 どこまで理解されたか怪しいが、本人が『守る』と言うのなら、これ以上脅しようがない。

「じゃあ、いいよ。そろそろ帰ってくれ。俺はこれから用事があるんだ」

「それは無理」

「なんでだよ!」

「私たち、すごく困ってるから」


 それは完全にお前らの事情だろう、と言いたかった。もう少し暇なときに聞きたい。だが、印堂にそういう理屈が通じるだろうか?

 何か適当な言い訳を考えつく前に、印堂は話し始めている。


「アカデミーのこと。七月になると、一学期の期末考査がある」

「へー。学生っぽいな。がんばれよ」

「うん、がんばる。課題は魔王の討伐――いつも通り。計画を立てて、魔王を殺す」

 なんて物騒な期末考査だ。さすが人殺し養成学校。こんな教育機関の存在を認めるような世論を作り上げたアーサー王は、とんでもないクソ野郎だと思う。


「だから困ってるの。教官にも相談しようと思って」

「なるほど。わかった。お前ら計画立てるの超苦手だもんな」

「うん」

 当然、といったように印堂はうなずく。


「アキはめちゃくちゃだし、セーラは慎重すぎるし。私の責任が重大……。なんとか二人をまとめなきゃ」

「ん? ああ……そうか……」


 印堂の顔は無表情で、ちっとも冗談の気配がなかった。

 もしかして、こいつ――城ヶ峰班の実質的なリーダーのつもりでいるのではないだろうか? そう思ったが、何も言わずにおいた。


「というわけで、教官」

 印堂はぎこちなく頭を下げた。

「私が計画を立てるから、相談に乗って。私たち、大物狙ってるから。ここで成績を挽回しないと……厳しい」

 一瞬だけ、珍しく口ごもる気配があった。

「……私の筆記試験を挽回するような、大物を狩りたいの」


「計画ね。そういうの、授業じゃ教わらないのかよ」

「授業……」

 梅干しでも丸ごと口に含んだような、苦しげな表情。印堂は二秒ほど沈黙した。その沈黙で、俺はだいたいのことがわかった。

「あんまり……授業聞いてないから。それに、普通は教員に相談するけど。私たちの相談に乗ってくれる人なんて、いない」


「《トリスタン》にでも頼めよ」

「ダメ。断られた。無理な指導はしない主義だって」

「そりゃ正しいな。さすが教師、お前らを落第させるのがベストな教育ってわけだ」

「私、あの人嫌い」


 それは俺もだ。

 つまり――こいつはちょっとした意趣返しになりそうだ。そこそこ面白くなりそうじゃないか。


「それなら、ちょうどいいな」

 俺は椅子から立ち上がる。

「参考になるかどうかお前次第だけど。ちょっと散歩に行こうぜ」

「散歩? ……なんで?」


 それに俺が答える前に、ユニットバスの方からマルタの声が飛んできた。

「……ヤシロ! なんか、おれの服ないんだけど! どこ?」

「お前の服、超くせーから洗ってるんだよ! そこにあるやつを着ろ!」

「ええ? ほ、ほんとに? ホームレス仲間のヨシさんから貰ったのに……」

「あんなもん目立ちすぎるだろ。今日やること、お前わかってんだろうな!」

「だ、大丈夫。大丈夫だよ、わかってるって!」


 このやり取りに、印堂は目を細めた。

「……今日やること?」

「説明してる時間ないから、歩きながらな。まずは《プラチナ》に行く」

「なにそれ?」

「デリヘル。合法じゃないドラッグも売ってる……あ。お前、今日は俺の妹っていう設定な」

「……なにそれ?」

「これから昼飯を食って、夕飯までに魔王を殺す――そんでビールを飲む。お前らには俺のちゃんとした仕事、見せてなかったよな。参考にしろ」

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