番外編・冷たい散歩(1)
眠りが浅いせいか、このところ夢をよく見る。
しかも、決まって悪夢を。
こういうのは気候のせいだ。俺はそう思うことにしている。六月末。夏は目の前にあるのに、どうも肌寒い雨の日が続いていた。
その日の夢の中身は、こんな感じだった。
体のどこかに穴が開いていて、俺は死にかけている――夜の廃墟だかどこか、薄汚れた場所――動く気力もない。
「なんでだよ」
妙にイラつく。
誰かが助けに来てくれるのを待つ。こういう風景は記憶にある。あれはイシノオと組んで仕事をしたときだったか――
あまりにも憂鬱で、いい加減に目を覚ましたいと思っていたところで、現実の方から呼ばれた。
ドアを叩く音だった。
がんがん、と、やや乱雑なノック。
「なんだよ」
口の中でだけ呟いて、俺は体を起こす。眠気が染みついた目をこする。
いつも通りの、自分の部屋のベッド。
でかすぎる作業用のデスクが目立つ、殺風景な部屋。引っ越してからまだ開けていない段ボールがいくつか。
春先にこの部屋を借りてから、もうそろそろ慣れてきた景色ではあった。
《嵐の柩》卿に追われてホテルを転々とする生活が終わって良かった、と思う。
がんがんがん、と、ドアを叩く音は強く速くなっていく。
「うるせえ!」
一声だけ怒鳴って、サイドボードのコップを手に取る。昨日の残りの水割り焼酎を捨てる。顔を洗って、歯を磨く。
ここまでがルーチンワーク。
意識しなくてもやってしまう動作だ。
昨日の記憶――よし。はっきりと残っている。
変なトラブルに首を突っ込んでいない。勇者にも魔王にもかかわっていない。《グーニーズ》にも立ち寄らなかった。俺にはやることがあった。
そうして俺が歯を磨いている間にも、ドアを叩く音は勢いを増す。
勿体をつけるのも、もう限界か。
口を濯いで髪の毛を撫でつけて、俺はようやく玄関に向かう。右手にはバスタード・ソード。左手には《E3》。
《嵐の柩》卿を相手にした数か月で覚えた備えだ。
「そんなにバカみたいに叩かなくても聞こえてるよ! いいから黙れ!」
怒鳴って、俺はドアを開ける。
バスタード・ソードと《E3》の準備は万全。どんな攻撃であれ、俺は後出しジャンケンのチャンピオンだ。返り討ちにしてやる。
だが――
「おはよう。ござい、ます」
印堂雪音がそこにいた。
相変わらずの仏頂面で、ぎこちなく頭を下げた。
俺は目まいがした。
玄関を叩いていたのはこいつか――いつもの制服姿ではない。薄いグレイのサマーパーカーに、えらく無骨なカーゴパンツ。
おまけにリュックサックを背負った姿で、彼女はそこにいた。
「教官。もうお昼なのに。寝てたの?」
「嘘だろ、おい」
俺は印堂の質問を無視した。
なぜ印堂が俺の部屋に。突き止めたというのか。
空間転移を可能とするエーテル知覚の使い手――まさか犬みたいな嗅覚まで併せ持ち、俺の居場所を探り当てたんじゃないだろうな。
「印堂。早速でなんだが、帰ってくれ。そして俺のねぐらの場所を忘れてくれ。ここに来たこととか、できれば全部」
「え。……無理」
「そこをどうにか! お前ら三人のうち誰かに居場所がバレてるとか、超こええぇぇーーんだよ! いやマジでコズミックホラーだよ! わかってくれよ! ってかどうやったんだ? どうやってここが――あ」
そこで俺は気づいた。
印堂雪音の背後に、やたらと猫背なハンチング帽の小男がいることを。
「やあ、どうも。ヤシロ。久しぶり」
マルタだ。あいつは気弱な笑顔で一礼しやがった。
別に久しぶりってわけでもないが、マルタの時間感覚はよくわからない。
「マルタ」
俺は呆れて、倒れそうになった。
「なんでお前……印堂を連れて、ここに……」
「いやー。ヤシロ、昨日は《グーニーズ》に来なかっただろう。月曜日なのに」
「まあな」
《グーニーズ》の月曜日は特別だ。勇者専門の営業になる。このところ、暇だった俺は毎週のように顔を出していた。
だが、昨日は別だ。やるべきことがあったので、《グーニーズ》には顔を出せなかった。
「俺だっていつも暇なわけじゃねえよ。昨日はやることがあった。それがどうした?」
「それがね、俺は止めたんだけど、この子がね……どうしてもヤシロに会いたいって聞かなくて」
「うん。教官。……セーラとアキが」
印堂が不意を打つように口を開いた。
「昨日の夜、たくさん、えっと……メール? とかをしたって聞いた。教官に用があって」
「お? ああ、メールか」
俺はポケットの中のスマートフォンを手に取る。
なるほど。確かに城ヶ峰のアホとセーラから大量のメールが届いていた。城ヶ峰からは『緊急事態!!!』というタイトルで37件。
セーラからは『頼み事があるんだけど……』というタイトルで2件、に加えて、SNS経由でメッセージを1件ずつ。
着信履歴は――まあ、見るのはやめておこう。
なにがあったのか、少し気になった。
「――だから。私が、教官に直接会いに来ようと思って。メールしか頼れない、不甲斐ない二人の代わりに」
印堂はマルタを指さす。
「この人に、がんばってお願いした」
「がんばってお願いされちゃあ、しょうがないよね。これって、おれ、いいことしてるよね? そうだろ?」
マルタが気弱な微笑みを浮かべる。
畜生。
この二人――インターネットの「イ」の字もろくに理解していないアナログ原始人どもめ。メールが使えないからこそ、家に直接来るという選択肢を選びやがる。
「マルタ。お前、俺たちがこの前買ってやったスマホどうしたんだよ」
「え? や、あれね。電池が切れちゃって」
「あれは充電式だよ、そういうんじゃねえよ! くそっ! 解約してやる!」
「――教官」
俺が頭をかきむしってうつむくと、印堂が回り込んで俺の顔を正面から見つめてくる。
小動物、というより、真剣な犬みたいな顔つきだ。
「教官。大変なことになってる」
印堂は神妙な顔でそう言った。
「期末試験が、マジでヤバいの」
「――はあ?」
俺はものすごく嫌悪感に満ちた顔をしたと思う。
期末試験など知るか。そう言いたかったのだが――
「なあ、頼むよヤシロ。おれたち、友達だろ? この子にこれ以上付きまとわれたら、おれ、ストレスたまっちゃうよ。おれの嫁が黙っちゃいねえよ」
「お前の嫁か。……なら、しょうがねえな」
我ながら、俺はマルタに甘い。というより、《グーニーズ》のメンバーは誰もがマルタに甘い。
「とりあえずマルタ、お前は風呂入れ。くさいから。で――印堂、とりあえずてめーの話を聞くから入れ。その代わり! 俺の住所、絶対に城ヶ峰とかセーラとかには言うなよ!」
「え、おれ、くさい?」
「はい」
マルタは不思議そうな顔をしたが、印堂は鋭くうなずいた。
「誓って、誰にも言わない。マジで。それで――ちょっとだけ教官の部屋、探索してもいい?」
「絶対ダメだよ。そこに座れ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます