番外編・梅雨の勇者(エピローグ)
船の上は最悪だった――寒いし、濡れているし、目の前で巨大な船が爆発していた。
波も風も、雨も強い。
おまけに隣には《トリスタン》ラムジー・ヒギンズ――あのイカれたアカデミーの教師までいる。
ジョーを引き上げて、一息つく頃には、俺はもう苛立ちが限界に達しつつあった。
俺はさっさとコートを脱ぎ捨て、ラムジーに投げつけた。
「話しかけるなよ。っつーか、喋るな」
「そういうわけには、いかないですね」
ラムジーは投げつけられた俺のコートを、見事に受け取った。
さらに苦笑いまでしたが、そこには鼻につくような、インチキくさい爽やかさがあった。
「ヤシロさんには、私の生徒がお世話になったようで」
ラムジーは俺の背後に隠れようにして座る、榊原エレナを一瞥した。
いまの彼女は毛布にくるまっている。バニーガールの衣装はそのままであるため、なんだか場違いな漂流者みたいな雰囲気がある。
《ソルト》ジョーによく似た、その目つきだけが強気だ。
「どうでした? 《夏枯れの鏡》卿。実力的には、東京都南部の五指に入ると思いますよ」
ラムジーは俺の表情をうかがっている。何かを探るように――それを隠そうともしない。
なんて腹立たしいやつだ。
「彼は自分を小さく見せるのがうまい。おかげで魔王の勢力争いを生き延びてきたようなものですね」
もちろん俺には、答えるつもりはない。すごく不機嫌だったからだ。
「知るかアホ。てめーは喋るなっつったろ」
「仕方ない。では、榊原さん。いかがでした?」
「……かなり手ごわいと感じました。ヤシロさんも、
「おい、いまなんつった? 適当なこと言ってんじゃねえぞ」
素直に答えやがったエレナを、俺は強く睨んだ。
「あんなやつ、ちょっと本気になりゃ楽勝だよ。そもそも今日はオフのつもりだったんだ。見学っつーか見物っつーか、それをお前、面倒な話にしやがって――」
あえて乱暴にまくしたてたが、これはよくなかった。
エレナの背後でガーゴイルのようにうずくまっていたジョーに、俺よりさらに凄まじい目つきで睨まれたからだ。
「どうしろってんだよ」
俺はジョーを咎めるように吐き捨てた。やつの事情も、もう洗いざらいぶちまけてしまおうかと思った――だが無理だ。
後々が面倒臭すぎる。
ジョーは俺から顔をそらした。気まずい沈黙。エレナが戸惑ったように俺とジョーを交互に見る。
「しかしですね――今回の件は大ごとですよ。ヤシロさんたちが意図したにせよ、しないにせよ」
ラムジーは俺たちの空気を、たぶん故意に無視した。明るい声を張り上げる。
「やはり、戦争になりそうですね。このテロ事件、確実に南北の境界線を揺るがすでしょうし」
テロ事件。
この豪華客船爆破による騒動のことか。確かに、他の何物でもあるまい。
俺はますます嫌悪に満ちた目でジョーを睨んだ。やつは一言も発しないが、いっそう気まずそうな気配を漂わせ始めた。
だが、そのまま睨んでいても仕方がない。
俺は舌打ちをして、気になった単語を聞き返すことにした。
「――で、いまなんつった。戦争だって?」
「ええ、まあ。《嵐の柩》卿が消えて、小競り合いが増えたんですが、夏には一段落するでしょう。勢力の統合です。そしたらもちろん、次は勢力同士の戦争が待っています」
「勇者にとっては稼ぎ時ってわけだ。そりゃよかった」
言ってから、しまったと思った。
稼ぎ時。こいつはあの気に食わないアーサー王の思惑通りの状況というやつだ。
ラムジーは快活に笑った。
「はい、それはもう戦争ですからね。東京北部の《三弦同盟》と、南部の《ローグス》。ヤシロさんたちはどっちにつくおつもりで?」
「お前らと違う方」
そのことだけは明確にしておこうと思った。
「どうせ悪だくみしてるんだろ」
「まさか。我々は戦争に介入して、民間人への被害を少しでも減らすよう努力するつもりですよ。どちらかに加担などしません。勇者は魔王を討つのが仕事ですからね」
「アホか」
俺は鼻で笑った。ひどい御託だ。
聞こえはいいが、つまり戦争による小競り合いを活発化させて、戦争を泥沼に引きずり込むような動きをするのだろう。
最終的にいずれかの勢力が勝利し、「大魔王」と呼ぶべき状況になるのを待つ。
そこから「アーサー王の大征伐」というわけだ。
バカバカしい。
「いかがですか、ヤシロさん。あなたも我々と一緒に活動しませんか?」
爽やかな笑顔のまま、ラムジーは俺に片手を差し出した。
手の平にはバッジが光っている――怪物のバッジ。半分に割られたドラゴンの顔。
「ちょうど、円卓には二席ほど空きがあります。ぼくはヤシロさん、《パーシヴァル》の席に推薦しようと思うんですが――」
「馬鹿じゃねえのか」
俺はラムジーの手から、銀色のバッジをひったくった。
そして、思い切り荒れた海へと放り投げる。バッジは波にのまれてすぐに見えなくなった。
「ああ。勿体ない」
ラムジーが呟いたのはそれだけだった。まるで残念そうでもない。
こいつ、俺を舐めていやがる。少なくとも俺はそう思った。そういうやつを相手に、俺は容赦しないことにしている。
やはり、この男とはいずれ決着をつける必要があるだろう――
そう確信したときだった。
「――あの、ヤシロさん」
背後から、エレナが小声で呼びかけてきた。
「さっきの話なんですが。私がバカなこと言ってると思ったら、すみません。あの――ヤシロさんって、妹とか」
「最後まで聞く価値ねえな。バカなこと言ってるよ、お前」
ジョーが不愉快そうに眼を血走らせたが、俺は気にしない。
もう今夜のような茶番はうんざりだ。
「お前みたいなフツーの間抜けの兄貴が、勇者のはずがない。絶対なれねえよ」
「でも私――幼い頃に、兄さんが」
「無理だね」
俺はエレナが頭からかぶっている毛布を掴み、その視界を隠すように引きずりおろした。
こいつの目つきは、どうも苦手だ。
「お前の兄貴はとっくに死んでるか、さもなきゃその辺でクソ真面目に働いてるだろうよ。プロの勇者の俺が言うんだから、間違いねえ」
そうして俺はジョーに対して、とっておきの皮肉な笑みを浮かべてやった。
「そう思うだろ、
何も言えないジョーの怒りの表情が、今夜の唯一の報酬といえた。
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