番外編・梅雨の勇者(7)
「やってられるか、こんなの」
俺はありったけの憤懣をこめ、吐き捨てた。
甲板に立ち込める煙の向こうから、赤いローブを翻して《夏枯れの鏡》卿が近づいてくる。
「何をした」
《夏枯れの鏡》卿は声をあげた。やつの瞳にあったのは、俺たちへの怒りと疑念が半分ずつというところか。
「お前たちに聞いている。いま、何をした!」
冗談じゃない――こっちは金網の中にいるというのに。
それに悪いのはほぼ完全にジョーの方だ。
「ジョー、こいつは貸しだからな! 俺は逃げる!」
「誰が逃がすか変態クソ野郎」
マジかよ、と俺は思った。ジョーはまだやる気らしい。
血の混じった唾を吐き捨て、大股に踏み込んでくる。弾丸の速度。真正面のストレートだ。
大粒の雨を砕き、迫る拳を、鼻先の紙一重でよける。
続いて撃ち込まれるのは、脇腹へのショートフック。これも捌く。
俺なら余裕。怒り狂ったゴリラの連打が、《E3》を使った俺に通じるはずもない。先ほどのように捕まえることもできただろう。
しかし、いまは悠長な関節技でジョーを仕留めている場合ではない。
「このバカ」
仕方なく、俺はジョーの足を払った。
一度、距離をとる――言葉をかける。
「やめろ、本物のバカか? 当初の目的を忘れてんじゃねえよ!」
「うるせっ」
俺の主張は通らなかった。が、結果はそう悪いものでもなかった。
ジョーの手が空中で何かを掴み、引きちぎるような仕草をした。次の瞬間、再び爆発が起きる。
ちょうど俺のいた空間を、弾ける炎の連鎖が走り抜けていった。
そいつは金網を吹き飛ばし、その向こうから接近していた《夏枯れの鏡》卿を飲み込んで膨れ上がった。
《ソルト》ジョー。
どういう原理だ? いままで知らなかったが、こいつ、空間そのものを爆発させることもできるのか。それとも爆発のさせ方にバリエーションがあるのか?
いったいジョーの視界にはどれだけの量の「導火線」が見えているのか――
ともあれ、それは金網を吹き飛ばし、《夏枯れの鏡》卿を炎に巻き込んだ。
と、思う。
「んん……うまくいったな。ヤシロ、やれ」
ジョーが低い声でささやいた。
あのハゲふらつく足取りで、酒の入ったスキットルを取り出すのが見えた。
「ここまでがオレの計画ってわけだ。どうよ?」
「ウソつけアホ。完全に途中まで忘れてただろ」
絶対嘘だと思った。こんなめちゃくちゃな計画があってたまるか。
が、いずれにせよ、このチャンスを逃す俺じゃない。
最高加速だ。
爆発で破けた金網をすり抜け、《夏枯れの鏡》卿に迫る。傾く船体、降りしきる大粒の雨、黒い煙。誰かの悲鳴と怒号。それをかき分けた後には、あの《夏枯れの鏡》卿の大きな人影が。
――いや。なかった。
「避難を! 船が持たない」
これもまた、どういう原理だ?
《夏枯れの鏡》卿は、すでに天幕の下にいて、なにやら大声で指示を飛ばしていた。雨にも濡れていない。
そういうエーテル知覚なのか?
さっき爆発で吹き飛ばしたように見えたのは――
「その顔」
《夏枯れの鏡》卿は、俺たちを指さす。
こけおどしと苛立ちに満ちた、ことさら冷酷を装った目で。
「覚えたぞ。何者だ?」
「何者じゃねえよバカ、俺は無敵の《死神》ヤシロだよ」
面倒なことになる。そう思った俺は、再加速して《夏枯れの鏡》卿に接近しようとした。ここで始末をつけようと思った。
だが、船全体に走った、致命的な振動がそれを阻んだ。
俺がコケそうになったとか、そういうわけじゃない。
ジョーの妹――榊原エレナが転倒するのを見た。
「あ」
彼女は甲板をすべり、そのまま海へ落ちていく。完全にそのコースに乗っていた。俺とジョーはほぼ同時に駆け出している。
俺たちはクズだ。
人殺しを生業とする、勇者だ。
だが友達の妹を見殺しにするような、最低のラインを踏み外してはいない――そうだろう。
俺がこんな善人みたいな真似をするのは、友達にそういうアピールをしたいからかもしれない。
俺はジョーの肩をぶん殴った。
「ジョー、俺が飛ぶ」
「ざけんな変態ロリコン野郎、オレの妹に指一本触れてみろ。ぶち殺すぞ」
「言ってる場合か、命綱出せ。例の『導火線』」
「てめーが持て! 妹はオレが助けに――」
「お前にしか触れねえだろ! 俺の『導火線』を離すなよ!」
言うが早いか、俺は跳んだ。
砕ける船体から、榊原エレナを抱きかかえて海面へ。自殺行為ってわけじゃない。
ジョーが俺の「導火線」を掴んでくれると思ったからだ。別にあいつを信用していたとか、そういうチンケな理由じゃない。
あいつが妹を見捨てられないやつだとわかっていたからだ。
そして、それはうまくいった。
俺と榊原エレナは、海面を砕いて盛大な水しぶきをあげた。
気分は最悪だった――雨が降る夜の海は、ある種の力に満ちていた。波と冷たさ、暗さと得体のしれない厳かさ。どれも吐き気がする。この力に飲み込まれれば帰ってこれないような予感。
ジョーが俺の命綱を確保していなければ、間違いなくそうなっていただろう。
「ヤシロさん」
海水と雨と波に翻弄される合間に、かろうじてエレナの声はそれだけ聞こえた。
「絶対助けてくれると思ってました」
彼女は蒼白な顔で、しかもバニーガールの衣装で、滑稽なほど真面目な微笑を浮かべた。
俺は彼女を離すわけにはいかず、力の限り抱きかかえているしかなかった。
「ヤシロさんに、聞きたいこと、もうひとつあったんです」
海の水しぶきを浴びながら、エレナは俺の耳に唇を寄せた。
「ヤシロさんって、もしかして」
俺はといえば、六月の海水の冷たさにただムカついていた。それどころじゃなかった。が、エレナの考えていたことは、想像以上にロクでもなかった。
「――私の、お兄ちゃんじゃないですか?」
「あ?」
俺の返答はよほど間抜けに聞こえたに違いない。
だが、致命的なことになる前に、助け――みたいなものがやってきた。
俺たちを照らした光がある。
月の光でも、ジョーの爆炎でもない、もっと人工的で無機質な光。
「――やあ、どうも」
白いライトを照射しながら、ひとつのモーターボートが俺たちに近づいてきていた。
その舳先にいる人物が、片手をあげて俺たちに挨拶をした。
「妙なところでばかり会いますね、《死神》ヤシロさん」
「先生」
と、榊原エレナも口に手を当てて驚いた。
「いらしてたんですか?」
胡散臭いほど、うんざりするほど爽やかな笑顔の男。
見覚えがある。
アーサー王の側近、《トリスタン》ラムジー。
やつは弦のない変な弓を片手に、この夜の海の主であるように腕を組んだ。
「もしかして、この《戦争》に一枚噛むつもりで? それは興味深いですね。ええ。本当に興味深い」
そうしてやつは、爽やかに笑って見せた。
最悪だ、と俺は思った。
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