番外編・梅雨の勇者(6)

 金網のリングに踏み込むと、すぐに独特の熱気を感じた。

 オーディエンスからの注目と興奮、それと惨劇を期待するような歓声。どいつもこいつも、こんなところに集まるぐらいだからいい趣味してやがる。


 そして対角線には、《ソルト》ジョー。

 凶悪な人相。


「……あの、ヤシロさん。本気でやるんですか?」

 榊原エレナの質問が、金網の外から聞こえた。俺は顔をしかめる。よくも呑気にそんなことを聞けたものだ――誰のせいだと思っていやがる。

 俺のコーナーに陣取っているところを見るに、セコンドのつもりでいるのか。

「すごく強いし、友達なんでしょう? あの、馳夫ストライダーさんと」


「まあ、確かに。どっちかというと友達だし、俺が知る勇者の中でも――強いことは強いな」

 俺は首筋にインジェクターを押し当て、《E3》を皮下にぶちまける。

 酩酊に近い目まい。

「でも、この条件でやるなら俺が負けるはずない」

 というか実際に負けたことがない。


「むしろ、心配なのは――」

「心配なのは?」

 エレナが重ねて聞いてくるが、答えることはできなかった。

 答えても意味はなかっただろう。


 ゴングらしき電子音が鳴り響いていた。割れた鉄の塊をぶん殴ったような、ひどく雑な音声だった。こういう細かいところに魔王のセンスが出る――

(思った以上に新米魔王なのかもな。それこそ、《嵐の柩》が消えてから台頭してきたような)

 俺は金網の傍、天幕の下の玉座を一瞥する。


《夏枯れの鏡》卿。

 見た目は三十代男性――短く刈り込んだ髪と髭。それにかなり体格のいい魔王だ。コケオドシであろう赤いローブに身を包んでいてもわかる。

 薄い笑いを浮かべ、こちらを見ている。


(最近だいぶ増えたな、こういう魔王連中)

 正確には、《嵐の柩》卿がいなくなってからだ。やつの勢力の陰で息を潜めていた、有象無象の成り上がりどもが急にデカい顔をしはじめている。

 こんなクルーザーで賭博場を開くような、あんまり頭のよくない真似をするのは、賢い魔王としてのノウハウが少ないせいだ。

 アーサー王の思惑通りでムカつくが、勇者としては獲物が増えて好都合ではある。


 とはいえ、ああいうアホな金持ち連中から見世物にされるのは、個人的に気が進まない。

「やめとこうぜ」

 ため息とともにかけた俺の言葉を無視して、ジョーが血走った目で進み出てくる。やや強まり始めた雨の向こうで、湯気さえ立ち上っているようだ。

「気が進まないんだよな。お前じゃ俺に勝てねえよ」

 俺はすごくいいやつなので、繰り返しジョーに警告してやった。


 正直言うと、俺はジョーのことがあんまり好きではない。むしろ性格的には「嫌いなやつ」の部類に入る。

 だが、好きなやつだから助けようというなら誰にだってできる。どんなクズでもそのくらいはやるだろう。

 俺の境界線はそこじゃない。「嫌いなやつ」だからこそ助ける価値がある。

 少なくとも俺はそう決めている。


「なあ、ジョー。やるなら《メダリオン》でケリつけようぜ」

「黙れクソ野郎」

 ジョーは唸るように言って、まだ無造作に前進してくる。


「人の妹になんて格好させてやがるんだ」

 ひどい誤解だ。俺は苦笑いした。

「俺はまったく関与してねーよ。ただ――うおっ!」

 ジョーは俺の話など聞くつもりもないらしい。

 いきなり加速して踏み込み、左の拳を突き出してきた。


(この野郎、本気だな)

 顔つきからは想像できないような、えらく綺麗なジャブを打ってくるものだ――俺は感心する。

 軍隊に所属していたことがある、というのも本当かもしれない。

 さらにこの牽制のジャブは、そのまま右のストレートを撃ち込む導線になっている。下半身では体重移動が始まっていた。


 通常、《E3》で加速されたジャブを回避するのは、玄人でも困難だ。そういうエーテル知覚を持っていない限りは。

 ――つまり俺なら楽勝。


 拳が砕く雨粒の、一つ一つでさえはっきりと見えた。


「だから、やめとけって」

 左拳を余裕でかわして掴む。

 そのままジョーの体重移動を利用する形で、投げ飛ばした。左腕は離さない。うつぶせにして地面に押さえつける。

 ここまで一挙動だ。

 さすが俺。


 ジョーと戦うときは、コツがある。

 とにかく密着することだ。

 こうしてしまえば、どんなに怒り狂っていても爆破のエーテル知覚は使えない。自分まで巻き込んでしまうからだ。


 その姿勢のまま、俺はジョーに小声で告げる。

「酔っ払いめ、当初の目的を完全に忘れてるな」

 間違いなく、こいつは酒と《E3》を同時に摂取していやがる。そういうやつを、業界では容赦なく『酔っ払い』扱いしていいことになっている。


「落ち着けよ、ジョー。大事な妹のために、《夏枯れの鏡》卿を始末するんじゃなかったか?」

「けっ。オレの妹に近づいた薄ぎたねぇ人殺しのチンピラを始末する方が先だ」

 ジョーはこの状態でもまるで戦意を失わず、唸った。

「しかもてめぇ、バニーガールの服まで着せやがって! マジで犯罪だぞ! あの女子高生どもとまだ付き合いがあるっつーから怪しいと思ってたんだ!」


「違う」

 よりひどい誤解をされそうだったので、俺は弁明しようとした。

「俺はそもそもお前の妹に近づくつもりはなかったし、あの衣装は最初から着てた。ありゃたぶん本人の趣味で――おっと」

「あぁん?」

 言わなきゃよかった、と思った。ジョーの血走った目に火がともったからだ。


「オレの妹の趣味が、なんだって?」

 かろうじて自由だったジョーの左手が、何かを掴むように動いた。

 加速する感覚で俺は察知する。何かが首に触れてくる感覚。これはジョーのエーテル知覚だ。物体の『導火線』を見るやつ。


 原理としては《琥珀の茨》卿のやつによく似ている。

 こいつは『導火線』を見るだけでなく、それを使って物体に干渉できるらしい。たとえば、首を締め上げるために使うことも――


 そこまで考えて、俺はすぐに退避行動をとった。

 ジョーの腕を離し、見えない『導火線』が首に巻き付いてくる前に飛びのく。

 これが良かったのか、悪かったのか――たぶん両方だ。


「ぶっ殺す」

 ジョーが頭の悪そうなセリフとともに、何かを勢いよく引っ張った――というより、引きちぎるような仕草をした。


 次の瞬間だ。

 激しい爆炎が、ジョーの背後で弾けた。

 ――ごばっ、と、遅れて鈍いような爆音が響く。甲板が激しく揺れる。誰かが悲鳴をあげ、また別の誰かが罵声をあげていたと思う。


 それから、目を見開いて立ち上がる《夏枯れの鏡》卿。

 ついでにゆっくりと傾き始める船。


「馬鹿かお前」

 俺は呆れた。

 ジョーのやつは物体の『導火線』を見て、それを切断することで爆破させることができる。対象の大きさは問わない。生物も無生物もお構いなしだ。

 俺は以前にこいつが10階建てくらいのビルを爆破したのを見たことがある。


 こいつ、この「船」の導火線を引きちぎりやがった。

「……馬鹿か、お前」

 俺はもう一度、呟いた。そうせずにはいられなかった。

 ジョーと仕事をすると、ほとんどいつも爆発オチが待っている気がする。

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