番外編・梅雨の勇者(4)

 バーカウンターに腰を下ろし、グラスを掴む。

 中身はコニャックにした――アルコールの種類は充実していたが、なんとなく、ビールを頼むと舐められそうな気がしたからだ。

 そういう俺の隣に、たいした遠慮もなく榊原エレナが腰掛ける。


「ヤシロさんのこと、城ヶ峰さんから聞いてます。私も一度ちゃんとお話ししたかったんですよね。この前のメイド喫茶からずっと」

 彼女はどこか嬉しそうに言う。この感じには困る。俺はさも取っつきづらい人間であるかのように、鼻を鳴らした。

「俺はそっちと話したいことなんてないけどな」

「そう言うと思いました。でも個人的に興味が――というより、あれです。聞きたいこと結構あるんです」


 案の定、エレナは好奇心が強いタイプだ。俺はこの会話を遮りたかった。ジョーの姿を船内に探すが、見当たらない。

「ヤシロさんって、城ヶ峰さんの師匠さんなんですよね?」

「それは城ヶ峰が勝手に言ってるだけだ。俺はあいつが嫌いだし苦手だし存在が腹立つんだよ」

「そうなんですか? まあ、私も城ヶ峰さんは苦手ではありますけど」


 俺はやや早口に喋るエレナを観察する。

 彼女の態度は堂々としたものだ。その独特の雰囲気が、ともすればこの場で浮きかねない、若すぎる外見をカバーしているように思う。

 いや――バニーガールのコスプレをしているため、そもそも周囲から浮くとかそういう問題ではないかもしれない。


「私、城ヶ峰さんとの模擬戦闘だといっつも調子出ないんですよ。やりにくいっていうか」

「だろうな。あいつは無茶苦茶だ」

「確かにあの戦い方、アカデミーで教わるセオリーにはないですね。私、師匠さんのおかげじゃないかって思ってました。城ヶ峰さん、ヤシロさんは無敵の勇者だって言ってましたから」

「弟子にした覚えはねえよ。俺が無敵なのは本当だけどな――あいつ、さては俺のことあることないこと吹聴してるだろ!」


「そうでもないですよ」

 エレナは喉を鳴らすようにして笑った。

「腕が立つのは本当じゃないですか。《光芒の蛇》卿を討伐したっていう――あれは本当ですよね? ヤシロさんの名前、城ヶ峰さんのおかげで有名ですよ」

「有名にするな! ふざけやがって――ってか、あいつの話はその辺にしとけよ」

 俺は周囲に視線を走らせた。


「悪魔の名前を呼ぶと、悪魔が来るかもしれない」

「悪魔って! まさか、来ませんよ」

 エレナはまた笑う。本気で言ったつもりだが、彼女は冗談だと思ったらしい。呑気なやつだ。

「これは私たちのパーティーの課題ですから」

「お前たちのパーティーか。つまり、お仲間も来てるってことか?」

「いえ。今日は情報収集で、私だけ。仕掛けるつもりはなかったんですが――」


 そこでエレナは俺の顔を覗き込んだ。

 城ヶ峰のように頭の中を覗けるわけでもないだろうが、やけに強気な視線だ。ジョーを連想してしまい、気分が悪くなる。

「ヤシロさん、もしかして《夏枯れの鏡》卿を狙ってます? それだと、困るなあ。課題にならないから」


「彼に狙ってたとしても、同業者にそんなこと明かさねえよ」

 だが、わざわざこの船に乗り込んでいるのだ。他に目的は思いつかないだろう。

 ほぼ確実に、俺が《夏枯れの鏡》卿をターゲットにしているものだと考えるはずだ。しかし――

「あ。じゃあ、もしかしてコロッセオ狙いですか?」

「ん?」


 妙な単語が飛び出してきた。俺は反射的に聞き返す。

「なんだそりゃ」

「知らないんですか? それ目当てで来てるのかと思った。このカジノ・クルーズの目玉で……あっと。ちょうど時間ですよ」

 エレナは窓の外を指さした。ついでに俺の腕をとる。


「見に行きましょう」

「腕を組むのは必要か?」

 リスキーな体勢だ。凶暴化したジョーに襲い掛かられる可能性がある。

「こっちの方が怪しまれないんじゃないですか? ほら、私、いまバニーガールなんで」

「お前のバニーガールのイメージは――まあいいや」


 急に面倒になった。いくら凶暴化したジョーでも、エレナもろとも俺を爆破したりはすまい。たぶん。


「ほら、ヤシロさん。あれです。コロッセオです」

 エレナが指さすのは、窓の外。広い甲板だ。

 金網で囲まれ、大仰な照明でライトアップされた六角形のスペース。


「マジかよ」

 俺は《夏枯れの鏡》卿の正気を疑う。

 一辺の金網が開いて、上半身が裸の男が進み出てくるのが見えた。背中に猿みたいな怪物の入れ墨。バンテージの巻かれた両腕をあげて吠える。

 周囲からは歓声。


「バカすぎる。ファイトクラブかよ」

「ええ。しかも、《E3》の使用OKの」

「……だろうな」

 つまり、あの猿の入れ墨の男は勇者か、勇者崩れのアホということだ。

 そいつが空中でシャドーボクシングするのを眺め、俺は手元のグラスを呷った。


 コロッセオというのは、つまりこういういことだ。勇者同士にステゴロの戦いをさせて、客はそれに賭ける。

 野蛮極まりない。

 人の生死に金を賭けるなんて、どういう神経してやがるのか。

「《夏枯れ》のやつ、ちょっとはセンスいいやつかと思いきや」

 俺の目は鋭いので、見逃さない。


 金網のリングの脇に、ひときわ立派な席が設けられている。天幕のような覆いで隠されているが、それゆえに、そこにVIPがいるのは確実だろう。

 つまり、《夏枯れの鏡》卿。

 この試合をまさしく特等席で観戦するつもりに違いない。

 それはやつがこの催しを、非常に気に入っている――そういうセンスの持ち主であることを意味していた。


「何考えてんだ、あの魔王は」

「ギャンブルとしての評判はいいみたいですよ。武器は禁止ですけど、かなり派手な試合になるんですって」

「そうかよ」

 俺は関わりたくない。

 そうして俺が窓から視線を外そうとしたときだ。


「あ」

 エレナが目を細めた。

「あの人。もしかして」


 その頃には、俺もわかってしまった。

 猿の入れ墨をした男――そいつと逆のコーナーから進み出てきた男に見覚えがあった。スキンヘッドにサングラス。薄汚いジャケットを脱ぐ、その乱暴な仕草。

 


「ジョー!」

馳夫ストライダーさん?」

 俺とエレナの声は重なった。

 ジョーの片手に握られたボトルはだいぶ量が減っているように見えた――さてはあの野郎、だいぶ酔っぱらっていやがる。


 どんどん話が面倒になるぞ、と俺は思った。

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